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星師  作者: 小糸
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「先輩! 無事か!?」

「……殺されるわけじゃないさ」

 

 声をひそめて尋ねた俺に対し、緩慢と体を起こして先輩はそう答えた。

 俺はとっさにその全身を確認する。

 記憶よりも艶と張りを取り戻した肌に髪。

 ぼろぼろの制服は脱ぎ捨てて、今はなぜか黒衣くろこに身を包んでいる。

 

「……なんでそんなの着てるわけ?」

 

 思わず突っ込むと、先輩はだるそうに目を閉じた。

 

「陰陽会だっけ? あの口うるさい老人会が、被疑者なれば慎みの意を表して黒衣に身を包むべしって言ってたからさ。……筧の喜代様が貸してくださった。そういう君は、どうしてはかまなんて着てるんだい」

「ババアの命令。あのひと、ちゃんとした服着てないと怒るから」

「ああ……きみ、喜代様の弟子なんだったっけ」

「そう。って、そうじゃなくって」

 

 いちど頷いてから、俺は思いっきり首をよこにぶるぶる振った。

 先輩に詰め寄る。

 

「──帰ろう、先輩」

「……え?」

「連れ戻しに来たんだ。あんたと深紅を。まだ体力も気力も消耗してるのに、こんなところであんな奴等に付き合ってたら、あんたたちおかしくなっちまう」

 

 だから、と俺は息を吸った。

 感情の読めない碧の目をひたと見据えて、もう一度繰り返す。

 

「一緒に、帰ろう。ハル先輩」

「…………」

 

 先輩は黙り込んでしまった。

 俺はその隙に部屋の中を見回して状況を検分した。

 先輩は両手首を金輪かなわのような呪具で拘束されている。これはたぶん簡単に解ける。

 ふすまから耳そばだてれば見張りはどうやら付けられていない。

 となれば、うん、脱出はそう難しいことじゃなさそうだ。

 

「獣たちに助けてもらえば、なんとかなるだろ」

 

 俺が前向きにそう呟いたとき、先輩が静かに口を開いた。

 

「……きみ、正式な星師なんだろ?」

「え? ああ、まあ。まだ名簿には登録されていないけど、いずれそうなるだろうな。なんで?」

 

 このときには板戸を突っついていた俺は振り返って彼を見た。

 先輩はふすまに背中を預けて天井を見上げていた。

 露になった顎のラインが秀でていて思わず見とれた。

 

「星師として、開祖たる五辻の顔に泥を塗る真似だけはしてはいけないと思わないか?」

「んなこと言ってる場合かよ。だいたい俺は五辻がきらいだ」

「それは私的感情だ。星師としての君の大儀、忠誠心は、かの一族をいやしめることを何よりも疎んでいるはず」

「……っ」

 

 俺はぐ、と詰まった。たしかに、その通りだ。

 俺が五辻をきらうのは、深紅の運命を呪わしいものとしたから。彼女の歩む道があまりにも辛く過酷なものであるからだ。

 けれど先輩の指摘したとおり、星師としての俺は五辻に逆らえないし、その一族の存亡に命掛けることを望んでいる。

 その思考に理由はない。

 星を持って生まれたということは、そういうことなのだ。

 

「──でも」

 

 俺はぎゅっと拳を握った。

 俺が今やりたいことは、五辻を守ることじゃない。

 俺は今望んでいるのは先輩を、深紅をここから連れ出すことで、その心は誰にも曲げることはできない。

 

「先輩、俺は……っ」

「それにねぇ、高村くん」

 

 言いかけた俺の言葉を先輩は遮った。

 わずかに眉をひそめて見れば、彼はまっすぐに俺を見ていた。

 碧の瞳に強いきらめきが踊る。

 

「僕は、逃げるつもりはないよ」

「えっ……」

 

 きっぱりとした言葉に絶句してしまった。

 だって、あの陰陽会を相手にまともにやりあうなんて無茶だ!

 相手は百戦錬磨ひゃくせんれんまの狸ジジイと狐ババアの集まりなのに!

 だが俺の心など露知らず、先輩は続ける。

 

「僕は大きな罪を犯した。そのことに気がつきもしないほど、愚かで自分本位な夢を見ていた。悪い夢……だけど甘い夢」

 

 声に抑えきれない悲しみが滲み、かるく眼がふせられる。

 脳裏をよぎった彼の妹の姿を振り払うために俺は意識を別のところに飛ばした。

 ……うわっ、先輩まつげ長っ。

 

「だけど僕は夢から醒めた。醒めてしまった。だからもう逃げたくないし、自分で自分の罪は償う。──そうしないと、アンに顔向けができないし、助けてくれた君たちにも報いることは出来ないと思う」

「……せんぱい」

 

 真摯な言葉が胸を打ち、俺は思わず納得しかける。

 いや、というか納得はしているんだよ。

 先輩は正しい。自分の罪を認めて、きちんと未来を見据えているのも本当に偉いと思う。

 だけどな、大事なのは陰陽会がそういう理屈の通じる相手じゃないって事で。

 俺は頭をかきながら思った。

 なので、言いにくいが、とりあえず説明を試みる。

 

「うーん……先輩の気持ちはよくわかるし、嬉しいけど……陰陽会にはたぶん、っていうか絶対に、そんな理屈は通用しない」

「あれを知ってるのか?」

 

 陰陽会の名前を出した瞬間先輩の顔が思いっきりゆがんだ。

 おわお。既に相当嫌いらしいな。俺もだけど。

 うなづいて答える。

 

「物心ついた時から知ってるぜ。日本の異能者を牛耳ってる偏屈で頑固なジジババの吹き溜まりだ」

「っは、確かに」

 

 俺のひとことに先輩は噴出した。おどろいた。

 わ……笑った!

 先輩が笑うの、超久しぶりに見た!

 うれしくて、思わず自分までちょっと笑ってしまう。

 俺は先輩の手前、畳の上に膝を折った。

 

「……とにかくな。あいつらにまっとうな理屈は通用しない。このままじゃあんたはあいつらの仲間に引きずり込まれるのがオチだ」

「僕が? なぜ」

 

 碧の瞳が驚いたように見開かれる。

 今日の先輩は黒い服を着ているから、その瞳と髪の色彩が際立った。

 俺は彼から眼をそらさずに率直に己の意思を伝えた。

 

「言いにくいけどあんたは半星だ。俺たち星師の名簿には絶対に登録されない。つまり永久に無所属の術者ってことだ。陰陽会はそーゆー奴等をほっとかない。とにかく強い術者をみさかいなしに集めて服従させるのが趣味だからな」

 

 傷つけるかもと思ったが、先輩はどうやらこういう発言は慣れっこのようだった。

 全く動揺するそぶりは見せずに首を傾げて、少し考え込む風にする。

 

「けど……陰陽会って要するに、日本の異能者をとりまとめる役目しか担っていないんだろう? 互いに諍いが起きないように、なおかつ経済的な利益を得るために立ち上げられた、私的法人なのかと思っていたけど」

 

 今度は俺が首を傾げる番だった。

 先輩の言葉が難しくてよくわかりかねる。

 やっぱりこの人、頭いいんだな。

 

「……難しいことはよくわからんが、陰陽会の現トップは仏教系の術者だ。確かどっかの寺の住職。でも陰陽師や退魔師、俺たち星師なんかと比べると異国から持ち込まれた宗教だし、手勢が少ないんだよ。だからいつかのために自分の味方となる術者をできるだけ多く囲って仲間にしたいんじゃないかなと、俺は考えているんだけれど」

 

 指先でたたみの上に現陰陽会の勢力図を簡単に描きながら俺は説明した。

 大体、異能者の分類というのはその宗教によるものが大きいのだが、やはりこの国には元から住まう神々がいるので、神道系の術者が多い。

 純粋な神道を信仰する術者は退魔師と呼ばれ、異能者の人口の三割くらいの数を占めている。

 でもってそこに仏教や道教の影響も加わった術を操るのは陰陽師。彼らも大体三割くらい。

 仏教系は二割くらいで、俺たち星師は血統が大きくものを言うため少数派だ。一割程度。

 あとは同じように少数派の異能者たちで残りの一割。

 ──めちゃくちゃ大雑把に説明したのだが、先輩はいがいと真面目に聞いてくれた。

 

「……高村君ってバカじゃなかったんだな」

 

 はあ、と短く息を吐き出してそんな風に言う。

 俺は思いっきり噛み付いた。

 

「どーゆーいみだっ!」

「いや、感心してるんだ。そうか、なるほどな。……僕を仲間に引き込んで、五辻とのいさかいを収めようとするってことか」

 

 特に悲観するわけでもなく、穏やかにそう呟いて、先輩は考え込んだ。

 碧の瞳が深い知性にきらりと輝く。

 ──なんだか、人が変わったみたいだ

 俺は内心で考えた。

 この人と戦ったことがまるで嘘みたいに思える。

 俺を傷つけたことなんか忘れたみたいに穏やかで落ち着いたその様子。

 

(……やっぱり、悲しみに狂ってたんだ、先輩は)

 

 俺はそう思った。

 すると先輩がふいに顔を上げた。眼が合う。

 俺は瞬いた。

 

「なに?」

「待てよ、だったら。正攻法できちんと勝ってここを出て行く方法がある」

「……まさか、戦うつもりじゃないよな?」

 

 勝つ、という物言いに不穏な響きを感じ取り、思わず声を低めた俺に対して、先輩は苦笑した。

 

「君ならそうするかもしれないけど。僕は本来は血を見ることが何よりきらいだ。とはいっても、あれだけ傷つけてしまったあとでは説得力も皆無かな」

「……いや」

 

 首を振る。

 痛々しい自嘲は見たいものではなかったから、俺は逆に自分から尋ねた。

 

「教えてくれ。それはどんな方法なんだ?」

「──いいかい」

 

 言いざま先輩は、さっき俺がそうしたように、手でたたみの上に図を描き始めた。

 呪具で拘束された手ではほとんど自由も利かなかったが、先輩は気にする風もなく、淡々と冷静に説明していった。

 

「対陰陽会と五辻。双方の論点は鎮守神を解き放ち、この地に危機をもたらした僕の罪の有無だ。そして陰陽会はその僕、星師になれない無所属の術者である僕が仲間になればすべてなかったことにしようともくろんでいる可能性が高いという。なら、重要ポイントは二つだ。鎮守神の危険性と僕の半星という中途半端な立場。これをいっせいに、彼らの前で潰して見せればいい」

「けどっ……どうやって──」

 

 言うほど簡単なことじゃない。

 眼を剥いて驚く俺に先輩はにっこりと微笑んだ。

 男ながら綺麗な笑顔でどうにも感嘆を禁じえない。

 

「一つはもう済んでいる。高村君、きみは鎮守神を配下に下したね?」

「その言い方は……って、なんで知ってんだ?」

「オーが、オーアが言ってた。それに、気配がする」

 

 言いざまほっそりと長い指先が天井を指差す。

 俺はちらとそちらを見たが、声をかけるまでは山牙は顔を出さないと知っていた。

 そうか。確かに彼が人の味方についた時点で、その危険性は消滅しているわけだ。

 俺は考えて視線を先輩に戻した。

 じゃあ、と続ける。


「もう一つの、問題は──?」

 

 あなたが半星という事実はどうやっても覆せないものなのに。

 俺は思った。言葉にはせずに。

 すると先輩はいまいちど微笑んだ。

 はっとするほど優しく幸せそうな笑顔だったので俺は呼吸を忘れた。

 長い指先が黒衣の襟元をひっかけて、無造作にひき下す。

 そこに現れたものを目撃し、俺は言葉を失った。

 あまりの衝撃に呆然自失としている横で、先輩はさっさと襟元を直して立ち上がってしまった。

 

「さて、そろそろ審問が再開される。やるなら早い方がいい。──高村君」

「……っ、え?」

 

 まだ現実にピントが合わない。

 のろのろと首だけを動かして先輩を見た俺は、だが一瞬のち我に返り、自らも立ち上がった。

 すると先輩が体ごと俺に向き直り、向かいあう形になった。

 碧の眼が、じっと静かに俺を見据える。

 ややあった後、先輩は言った。 


「──……僕を、信じてくれるかい?」

 

 エメラルドの瞳の奥に、長く見いだせなかった情熱が見えた。

 アンナさんにはあったもの、けれど、彼女の死に打ちのめされていた先輩にはなかったもの。

 生きようとする毅さ──生きたいと願う心。

 俺はついと眼を閉じた。彼はそれを取り戻したのだ。

 あるいは。 


「……蒼路でいいよ」

 

 あるいは──本来は、彼はそういう人なのかもしれない。

 俺は眼を開けて先輩を見た。虚を突かれたような顔をしていた。

 少々ためらったが手を伸ばしてその肩をたたく。

 見た目は華奢だが、さわると意外にがっちりとした、筋肉質の体をしていた。

 

「先輩。俺は、一度だってあんたを疑ったことはなかったよ」

「たか……」


 先輩は眼をまんまるくして驚きを露にする。

 照れのあまりその顔を見られずに、俺はぷいと顔を逸らした。

 そしてこう付け足した。


「まあ代わりに、腹が立ったことは山ほどあるけどな!」

「……そうだよね」


 ややあって、先輩はくすくすと笑いはじめた。

 その笑いはいつまでも収まらず、次第に大きくなってゆく。

 俺も何だかおかしくなって笑ってしまって、最後には二人で声を殺しながら笑っていた。 


 ***

 

 ──というわけで、話し合いの結果、今夜作戦を決行することになった。

 先輩に綿密な説明を受けてから、俺はいったん屋敷に戻った。

 いろいろと準備しなきゃいけないものがあるし、何よりババアの許可が必要だからだ。

 んでもってこの作戦には深紅の協力が必要不可欠なのだが──彼女への説明はなんと、先輩が請け負ってくれると言っていた。

 殴られると思うけど、と懸念の言葉を述べた俺に、先輩は苦笑しながら自らの頬を手で指した。

 

「もう死ぬほど殴られたから、あと数発くらいは変わらないよ」

「……殴られたの? グーで?」

「そう、グーで。あの姫は苛烈だよねぇ」

 

 そんな風に笑う先輩に、俺は更に注意した。

 

「それ、本人には絶対言っちゃ駄目だかんな!」

 

 ……そんなこんなで。

 屋敷に戻り、支度を整えながら夜を待った俺は、やがて遅い夕闇が漂い始めたのを見計らって山牙の背に飛び乗った。

 くれっぐれも無茶はするなと見送ってくれたババアに手を振って、ふたたび山寺を目指す。

 

『なんだか機嫌がよさそうだな? 蒼路よ』

「んー? そうかあ?」

 

 訝しげな山牙の声に、俺はくつくつ笑いながら請け負った。

 だとしたらそれは、この作戦が絶対にうまくいくとわかっているからだろう。先輩はほんとうに頭が良い。

 これさえ終われば今度こそ晴れて三人で屋敷に帰れると、そう思うだけで心が躍る。

 ──何より嬉しいのは、深紅に会えることだ。

 怒らせたり、泣かせたり。

 再会してからずっとあいつには迷惑をかけっぱなしだったから、全てが終わったらちゃんと謝って、礼を言いたい。

 そして今度こそ、ゆっくりと休ませてやりたいんだ。

 

「……とにかく、あと、少し」

 

 風が耳元をすり抜けていく。

 夜闇が視界を飛んでいく。あと少し。

 あと、少しで。

 全てが──終わる。

 

 


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