第1話 交信不通
虚数ウィルスが終息して1年の月日が流れた。他国から日本の虚数時空間への侵入はなく平和な時が流れていた。陽太と石川さんは虚数時空間防衛隊の副司令官へと昇進し、以前までの訓練の日々から打って変わって、デスクワークと関係各署との会議に追われる日々を過ごしていた。
その日、陽太が出勤すると久しぶりに石川さんを見掛けた。
「石川さん、おはようございます。会うの久しぶりですね」
「陽太、おはよう。最近、出張が多かったの。副司令官になると忙しいわねぇ……」
「そうですねぇ……。ところで今夜、予定空いてますか? 食事に行きませんか?」
「良いわよ。息抜きが必要ね」
「じゃあ、夜また会いましょう」
陽太は夜の食事を唯一のモチベーションにして猛烈なスピードで仕事を片付けた。そして、仕事を終えて帰宅の準備をしていると、隊員から気になる報告を受けた。
「副司令官、失礼します! たった今、宇宙資源開発研究センターから緊急の連絡が入りました」
「どうした?」
「タキオンの採掘でメティスに行っている部隊からの交信が10時間以上も途絶えているそうです。メティスの採掘基地に連絡をしても応答が無いとか」
陽太の手が止まった。
「10時間以上も……。最後に交信があったとき、向こうから何か異常の報告はあったのか?」
「いいえ、定時連絡では『順調』とだけ」
「救難信号は出されていないんだろ?」
「はい」
「それなら大きな事故じゃないさ。きっと現地の通信機材の不具合だろう。俺、今日は予定があるから、これで上がる。何か急ぎの指示が必要なら、俺の携帯へ直接連絡してくれ」
「分かりました。失礼します」
陽太は一度帰宅して、石川さんとの約束した場所で合流し、予約したレストランへ向かった。そのレストランは高級ホテルの最上階にあり、室内にはシックな間接照明が灯り、窓からは遠くまで見渡せる綺麗な夜景を楽しむことができた。
「すごく素敵なところね」
「関係先との会食で一度だけ来たことがあるんです。料理が美味しくて、いつかプライベートで誰かと来たいなって思ってたんですよ」
グラスにワインを注ぐ。
「じゃあ、今日の良くやった仕事に――乾杯」
「乾杯」
グラスが触れ合う心地よい音が響く。最初は他愛のない冗談を言い合っていた2人だったが、極上のコース料理が進むにつれて、話題はいつの間にか仕事の話に変わる。
「陽太、少し太ったんじゃない?」
「そうなんですよ。仕事ではずっと座りっぱなしで。夜は会食でお酒を飲むことが多いし。最近は戦闘訓練なんて、もう何ヶ月もやってませんよ」
「私も忙しいけど、週に一度は戦闘訓練の時間を作るようにしてるわよ」
「偉いですねぇ。俺は全くです……」
「だって、もし今、敵が攻めてきたらマズいわよ。隊員達はまだレベル3の虚数ボディスーツでは戦えないし」
「そうですよね。隊員達の育成が上手くいかないのも悩みの一つなんですよねぇ……」
「虚数時空間防衛隊は出来て間もないから、育成マニュアルみたいなものが無いから難しいわよね。それに……、あ、仕事の話は止めましょ」
「そうですね。せっかく高級レストランに来たんですから」
2人は一通りのコース料理を楽しんだ。
「この後、どうします? もう少しお酒飲みますか? それとも、カジノで少し遊びます?」
「もう少し飲みたいわ」
「じゃあ、バーに行きましょう。良いバーを教えてもらったんですよ!」
そのとき、陽太の緊急用の携帯が鳴った。陽太は眉をひそめ、通話ボタンを押す。
「――俺だ。どうした?」
「副司令官、夜分に申し訳ありません! メティスに行っている部隊から相変わらず連絡が取れないため、明日の始業前に緊急の会議がセットされることになりました。司令官と石川副司令官も同席の予定です」
「分かった。石川副司令官は今一緒にいるから、俺から伝えておく」
「よろしくお願いします」
通話が切れ、陽太は深く、大きな溜息をついた。
「明日の始業前に緊急の会議がセットされたそうです。石川さんも出席しないといけないみたいです」
石川さんはグラスを静かに置き、表情を引き締めた。
「そう……。じゃあ今日は早く帰った方が良さそうね」
「そうですね……。バーはまたの機会にしましょう」
翌朝、午前6時。虚数時空間防衛隊の作戦司令室では、山崎司令官、陽太、そして石川さんの3人が、担当隊員による状況の説明に耳を傾けていた。
「今朝、宇宙資源開発研究センターから虚数時空間防衛隊に対して、正式に人命救助および事態調査の要請が出されました。メティスに向かったのは、宇宙資源開発研究センターの資源開発部門のタキオンチームの5名です。彼らは、現地基地で既に長期探査を行っていた別の5名と交代する予定でした。計画通りであれば、現地で探査を行っていた5名と、その5名が採掘したタキオンを含む岩石を積んで、今頃は帰途についているはずでした」
隊員は一呼吸おいて、説明を続けた。
「しかし、メティス到着の第一報以降、一切の連絡が途絶えています。こちらからのあらゆる周波数での呼びかけにも応答なし。ただし、救難信号は出されていないとのことです。そして、先ほど火星中継基地の高性能光学望遠鏡で捉えたメティス表面の最新画像がこちらです」
「基地の付近には事故や新たな隕石直撃の痕跡はないな……」
山崎司令官が腕を組み、低く唸った。
「はい。基地には物理的な外傷や爆発の形跡は確認できませんでした。しかし、人員の移動や宇宙船の離陸が行われていないのは確実です。何らかトラブルが発生していると見て間違いありません」
司令官は鋭い視線を陽太と石川さんに向ける。
「坂井、石川、メティスでの人命救助および事態調査を命じる。安全を最優先し、2機の宇宙船による分隊とする。坂井と石川がそれぞれの宇宙船の機長となり指揮を執れ。直ちに出動準備に入れ!」
「了解!」
陽太と石川さんはすぐに出発にむけた準備に取り掛かった。
「虚数ボディスーツ着るの久しぶりだなぁ」
陽太はどこか肩の力を抜いたように笑う。
「随分と余裕そうね」
「今回の任務は余裕ですよ。救難信号も出されてないんですから」
「それなら良いんだけど……」
「きっとただの機材トラブルで、新しい通信機材に取り換えて任務完了ですよ」
「きっとそうね」
数時間後、2機の宇宙船は青い地球を背に、漆黒の宇宙空間へと射出された。 彼らはまだ知らなかった――衛星メティスが、人類の存亡を揺るがす恐るべき陰謀の「巨大な罠」と化していることを。
(第1話 終わり)




