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表裏の歴史書〜悪魔との契約〜  作者: qp46
創世【物】

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魔族領

ここから2章は健視点になります。

馬車が傾いた。ワイバーンの体当たりだ。


健の思考は既に動いていた。車輪の沈み込み、崩れる路肩の角度、荷重のかかる方向。状況を構造として把握し、最適解を導き出す。


(石柱で支える。崩落点は三箇所。優先度は——)


「創世」


地面から石柱が伸びる。崩れかけた道を補強し、傾いた馬車を持ち直させる。計算通りだった。これで馬車は落ちない。全員、無事だ。


そう判断した、次の瞬間だった。


視界の端で、エナが弾かれた。


死角から突っ込んだワイバーンの体当たり。小さな身体が宙を舞い、崖の外へ投げ出される。


その光景を、健の脳は瞬時に分解した。


(距離、約五メートル。エナの落下軌道、崖の外側。到達まで〇.数秒)


(自分の位置からでは間に合わない。届かない。助けられない)


計算は、そう出ていた。


崖の外へ投げ出されていくエナ。その怯えた顔が、ほんの一瞬、別の誰かと重なった。


妹だった。


理由は分からない。ただ、助けを求める小さな顔が、置いてきたあいつと重なった。


次の瞬間、健は地面を蹴っていた。


思考より先だった。設計も、損得も、生存確率も、何一つ計算していない。気付いた時には、もう崖を蹴って宙へ飛び出していた。


(なぜ動いた)


自分の行動を、自分で理解できなかった。


そんなことは初めてだった。健の身体は常に思考の結論に従って動く。理屈のない行動など、これまで一度もしたことがなかった。


それなのに、今、確かに身体が先に動いた。


空中でエナの腕を掴む。細い腕だった。掴んだ瞬間、エナの怯えた目が健を見た。


(戻す)


それだけは考えた。腕を振り、力の限りエナの身体を道の方へ投げ返す。


「うわぁぁぁぁ!?」


エナが道へ転がっていく。助かった。それは、間に合った。


だが。


エナを投げた反動で、健の身体は完全に崖の外へ出ていた。支えるものは何もない。足場も、掴むものも。


落ちる。


理解した瞬間、思考が加速した。


恐怖がなかったわけじゃない。だが恐怖は思考の邪魔をしない。むしろ加速させる。頭の奥が冷たく冴えていくのを感じながら、健は落ちていく自分の状況を分解し始めた。


(高さ不明。だが大渓谷の深さから逆算して数百メートル以上)


(落下時間から終端速度に達する可能性あり)


(このまま水面へ激突すれば、水面は硬い壁と変わらない)


風が顔を叩く。耳元で空気が悲鳴のように唸る。眼下の闇は近付いてくる気配すらない。それがかえって落下の異常な高さを物語っていた。


普通なら、ここで終わりだ。


だが健の頭は止まらない。落ちながら、必要なものを順に並べていく。


(衝撃の吸収)


(着水時の呼吸確保)


(沈まないための浮力)


三つ。最低でも三つ要る。


問題は時間だった。創世は便利だが万能じゃない。物を一つ作るにも、構造を理解し、形を定め、出力する工程がいる。三つ別々に作る余裕は、この落下時間ではない。


(なら、まとめる)


思考が即座に切り替わる。三つの機能を別個に作るのではなく、一つの物体へ統合する。衝撃を吸収し、内部に空気を保ち、水に浮く。その全てを満たす単一構造。


頭の中で設計図が組み上がっていく。外殻は柔らかく、衝撃を逃がす弾力を持たせる。内部は空洞、ただし完全な密閉ではなく、空気を循環させる余地を残す。比重は水より軽く。


イメージが固まる。


参考にしたのは、皮肉にもこの世界で散々見てきた魔物だった。柔らかく、弾力があり、衝撃を吸収する不定形の身体。


スライム。


「創世」


声に出した瞬間、ウインドが開く。白い光が健の周囲へ広がり、形を成していく。


半透明の球体が、健の身体を包み込んだ。


巨大な、スライムのような球体。


完成と同時だった。


轟音。


ゴォォォォォォォォォォッ!!


激流の音だ。いつの間にか川面が眼前に迫っていた。近付く。さらに近付く。もう川の音しか聞こえない。


そして、激突。


衝撃は、なかった。


球体が水面で弾み、潰れ、ぐにゃりと変形しながら衝撃を逃がす。設計通りだった。健の身体には、軽い揺れが伝わっただけ。


(成功した)


助かった。一瞬、そう思った。


思ったのだが。


次の瞬間、球体ごと激流へ飲み込まれた。


ぐるん。


ぐるん。


ぐるん。


「……」


回る。激流が球体を弄ぶように転がしていく。上下も左右も分からない。内臓が揺れる。視界が揺れる。


ここで初めて、健の思考に綻びが生じた。


(計算外)


衝撃も、呼吸も、浮力も、全て想定通りに機能した。だが一つだけ、致命的に見落としていた要素があった。


回転だ。


激流の中で球体は固定されない。水流に揉まれ、無秩序に転がり続ける。そしてその回転を、健の身体は——正確には、健の三半規管は、まったく想定していなかった。


ぐるん。ぐるん。ぐるん。


「あ……」


嫌な予感がした。


「これ」


ぐるん。


「マジでダメなやつだわ」


馬車で酔った時の記憶が蘇る。いや、比べ物にならない。あれは可愛いものだった。これは、回転の質も量も次元が違う。


どれだけ頭が冴えていても、どれだけ並列で思考できても。


酔いには勝てなかった。


ぐるん。ぐるん。ぐるん。


「おぇ……」


そこで、意識が途切れた。


◇◇◇


目を開く。


知らない天井だった。木造。見慣れない部屋。


(知らない天井だ)


ぼんやりとそんなことを思って、すぐに我に返る。ラノベでよく見るやつだ。まさか自分が言う側になるとは思わなかった。


身体を起こそうとして、頭を押さえる。まだ気持ち悪い。状況を整理する。落下した。スライムボールで着水には成功した。そこから先は——回転で意識を失った。つまり、誰かがここまで運んだ。生きている。ひとまずそれは確定した。


『起きた』


声、ではなかった。


健は眉をひそめた。鼓膜が震えた感覚がない。なのに「起きた」という意味だけが、明確に頭の中へ流れ込んでくる。音として聞こえたわけではなく、意味そのものが直接届いた、という方が近い。


(テレパシーのようなものか)


思念伝達。音声を介さず、意味を直接やり取りする手段。にわかには信じがたいが、現に今、自分はそれを受け取っている。否定する材料がない以上、そういう現象として受け入れるしかなかった。


興味深い、と頭の片隅が反応する。発声器官に依存しない伝達なら、言語の壁を越える可能性がある。仕組みは——


そこまで考えて、思考を止めた。今は状況の把握が先だ。


反射的に、声のした方へ振り向く。


そこにいたのは少女だった。


紫色の髪。褐色の肌。頭からは二本の角が伸び、耳は鋭く尖っている。一目で人間ではないと分かる外見だった。


だが、と健は観察する。


角がある。肌の色が違う。耳が尖っている。その程度だ。目が二つ、鼻が一つ、口が一つ。四肢の構造も、関節の位置も、骨格の比率も、人間とほとんど変わらない。表情の作り方も同じだ。今も、見慣れないものを見る子供の顔をしている。


(身体的な特徴はあれど、骨格も構造も人間と大差ない)


(要するに、見た目が違うだけだ)


そう結論づけると、不思議と警戒が少し緩んだ。理解できない化け物ではない。理解の範囲内にいる存在だ。


(魔族、か)


『何族?』


いきなりだった。


「人間だ」


『人間?』聞いたこともないような反応だった。『スライムじゃなくて?』


「違う」


『でもスライムから出てきた』


「出てきてない」


『スライムに食べられてた人?』


「違う」


『じゃあ何族?』


「だから人間だ」


少女は少し残念そうにこちらを見た。


『スライムなら食べたのに』


「食べる気だったのか」


健は思わず真顔になった。


少女は当然のように頷く。どうやらこの辺りでは、スライムは食料らしい。一つ、文化が分かった。状況は何も好転していないが。


『あなたを吐き出したスライムは食べてもいい?』


「食べるのか、あれを……」


想像して、わずかに眉をひそめる。


「いや、やめておいた方がいい。厳密にはあれはスライムじゃない。俺が作った物だ」


『作る?』


少女が首を傾げる。


『変なこと言うのね』


健は何も言い返さなかった。


噛み合っていない。だが、それは相手も同じだろう。少女にとって「物を作る」は、こちらにとっての「人間を見たことがない」と同じくらい、意味の通らない言葉らしい。


そこで気付く。


会話が成立しているようで、根本的な前提が一つも共有できていない。


少女は改めて健を見て、首を傾げる。そして、当たり前のように言った。


『見たことない』


健は固まった。


「……は?」


『人間。見たことない』


待て。


人間を見たことがない? 魔族なのに?


(なんだ、ここ)


違和感が胸に引っ掛かる。ここは本当に魔族領なのか。


『変な人』


少女が言った。


「それはこっちの台詞だ」

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