第96話 熱可塑性って、つくれちゃう?
葵は麦茶で喉を潤し、乃亜の次なる質問に備える。
「でさ。最後に訊きたいのはこれ何だけど……」
乃亜はフィギュアラックの前から移動し、壁際にある棚の上にずらりと並んだ美少女フィギュアの前に葵を連れていく。
「置き場なくて、プライズフィギュアとかは棚の上に飾ってるんだけど、この片足立ちポーズをしたアイドル衣装の真白たんフィギュアが前に傾いてヤバいの」
葵は問題のあるプライズフィギュアを観察する。それは真白という名前のアイドルキャラクターであり、ライブシーンの一部を切り取ったように片腕を前に伸ばし、片足立ちする躍動感のあるポーズを決めていた。
しかし、フィギュア本体が前のめりに傾いており、そのままで自立しないのか倒れないようにフィギュアスタンドで支えられていた。
「ゲーセンで取って開封した時はふつーだったんだけど、飾っているうちに段々と前に傾いてきちゃったの。今じゃ、支えなしだと倒れちゃうんだよね~」
「なるほど。フィギュアの足が曲がったり全体が傾いてしまうなど、いわゆる変形・歪み・傾きの問題ですね」
「これってさ、やっぱ暑さが原因? 夏だとめっちゃ暑いじゃん? 部屋にいない時はエアコン切ってるし、やっぱヤバい?」
「そうですね。熱も原因のひとつです。フィギュアが変形するのは自重による負荷や、熱が原因かと思います。先程フィギュアの素材であるPVCには熱を加えると柔らかくなり、冷えると硬化する熱可塑性という特性があると説明しました」
「やっぱ、そのせい?」
「要因の一つと言ったところでしょうか。まず市販されているスケールフィギュアですが片足立ちポーズのものなど、不安定なポーズのものは傾き対策と自重を支えるため、脚に軸となる金属線を入れて補強したり、脚だけ素材を変えてABS樹脂にするなどの対策が取られています」
「へぇ~! そうなん? 知らなかった!」
「傾いているこのプライズフィギュアですが、市販のスケールフィギュアとは違い、景品として低コストで大量生産されるため補強されておらず、変形や傾きが発生しやすいと思われます」
「あーね。最近プライズ品もクオリティ高いけど、やっぱ市販品とは違うのか~」
「もちろん、全てのプライズフィギュアがそうなるというわけではありませんが、経験上は市販品よりも変形が起きやすい傾向にありますね」
葵は変形してしまったプライズフィギュアに視線を戻す。
「ポーズやデザイン、衣装によってはフィギュアの特定部分に自重が負荷として集中します。それによって少しずつ変形したり、PVCという素材の特性で夏場の高温で柔らかくなってしまい、自重による負荷も掛かり続けると変形や傾きが進行します。特に日本の夏は高温多湿であるため、フィギュアにとっては過酷な環境かも知れません」
「変形しちゃったフィギュアって、元に戻す方法とかあるの?」
「ありますよ。さっきも説明したPVCの性質を活かした方法です」
「もしかして……温度?」
「正解です。フィギュアの素材はポリ塩化ビニルで熱を加えると柔らかくなり、冷やすと再び硬くなる特性は説明しましたが、これに加えて変形しても熱を加えると成形時の形状に戻ろうとする性質もあります。これを利用してお湯やドライヤーで熱を加えることにより、変形を修正することができます」
「え、待って。今の話……ガレキ製作の時にも話してたよね? そーいえば、レジンも樹脂じゃん!」
ガレージキットの製作時、葵から受けた説明を思い出して乃亜は納得する。
「赤ちゃんから教わったのにガチ忘れてた! マジごめん!」
「謝る必要はないですよ。ガレキ製作中は作業に集中されていましたので。フィギュアの変形を修正する作業の注意点などはいくつかありますが、基本的に〝加温・整える・冷却〟の手順で行うと覚えておけば大丈夫です」
「ドライヤーとかなら手軽に試せそうだし、今度やってみるね。マジ勉強になった! 赤ちゃん、ありがと!」
「どういたしまして。また何か相談や質問があれば、いつでもうかがいますよ」
フィギュアの話が一段落したところで、葵はスマホで時刻を確認する。
「――赤ちゃん、もう帰る?」
「予定している作業がありますので、そろそろ失礼します」
あっという間に時間が過ぎてしまい、葵はどこか名残惜しそうだ。
乃亜は葵が進めている3Dプリンターを使ったオリジナルキャラクターのフィギュア製作など、事情を知っているので引き止めることもなくすんなりと受け入れた。
「赤ちゃん、忙しいのに今日はごめんね」
「とんでもありません! 色々と話せてとても楽しかったです。綾音さんのフィギュアコレクションも見ることができましたし」
「あたしも超楽しかった!」
お互いに充実した時間を過ごし、二人は自然と微笑み合う。
乃亜が玄関まで葵を見送ろうと一緒に階段を下りていると、ちょうど廊下の奥から歩いてきた瑠璃とばったり会う。
「――あら? 赤たん、もう帰っちゃうの?」
「どうも、お邪魔しました」
「良かったら夕飯食べていかない? 何なら泊まっていっても良いわよ」
「ママったら何言ってんの!? 赤ちゃん、これから予定あんの!」
「乃亜がお世話になっているみたいだし、おもてなしをしたいと思って」
「また今度ね! 赤ちゃん忙しいんだから!」
引き留めようと絡んできた瑠璃と葵の間に割って入り、諦めきれない瑠璃の背中を乃亜はグイグイと押していき、そのままリビングに押し込んでドアを閉めた。
「全く……世話焼きにもほどがあるし。赤ちゃん、マジごめん」
「いえいえ。二人とも仲が良さそうで微笑ましいです。親子と言うより、何だか友達みたいですね」
「まーね。たまに子供っぽいとこもあるし」
「綾音さん。妹さんにもよろしくお伝え下さい」
「てか連絡先交換したんだし、赤ちゃんから言った方が良くない?」
「そ、そうでしたね……」
乃亜から指摘を受け、知り合いとのやり取りにまだ不慣れなことを葵は痛感する。
「――綾音さん。今日はお誘い頂きありがとうございました」
「あたしの方こそありがと!」
「それでは失礼します。お邪魔しました」
「まったね~!」
玄関で見送る乃亜に別れを告げ、葵は綾音家を後にした。日暮れが迫って日差しはいくらか和らいだものの、蒸し暑い空気は健在であり、肌にまとわりつくような暑さを保っている。
(――突然の誘いでどうなるかと思ったけど、今日は楽しかったな)
乃亜と知り合ってからというもの、それまで葵の人生では考えられなかった自分の家族以外との人付き合いが少しずつ増えている。
自分の世界を広げてくれる乃亜に感謝しつつ、もっとコミュニケーションを上手く取れるようになるため、自分自身も成長したいと胸に秘めながら葵は帰路についた。




