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妄想と現実


 実はお風呂がそんなに好きじゃない。確かに気持ちはいいけども、それ以上でもそれ以下でもない。ひとりでお風呂に入ると妙に静かな空間を感じざるを得ないし、また明日も誰も来ない店で一人ただ店番をしていなければならないのかと思うとなかなかに辛いものがある。


 それが毎日毎日、まだ数ヶ月だけどこの先何年も続いていくかもしれない、そう考えてしまうからお風呂はあまり好きじゃない。


 でもそれは裏を返せば、物事をよく考えられる場所であり、被害妄想も理想的な妄想もその時の気分一つで飛躍も萎えもするのだ。これまでネガティブで絶望ばかりのバスタイムだったけど、今日は桃色のバスタイムだった。なにしろ、女の子が来ているのだ。これは桃色の妄想もはかどる。


「現実に起こると興ざめするようなシチュエーションも、妄想なら如何様にも改変できる。自分の好きな展開に持っていける妄想、それが捗るお風呂という空間はなんて素敵な場所なんだ」


 清々しいまでの手のひら返しをしつつ、僕は湯船に顔の半分まで使ってぶくぶくと息を吐きながら妄想の続きをはじめる。


 実際問題、ミルミルがお風呂に入ってくる理由はどれもこ都合主義でいくら妄想でも無理矢理感が出てつまらない。だから僕の妄想はお風呂を出てからを思い描く。


 たぶんミルミルは自分の部屋にいるか、リビングにいるかだと思う。部屋の手帳には大したことが書いてなくて、僕の部屋はあとにしている確率が高い。こうして現実にありえそうな妄想を進めていくのだ。そしてこの二択、どちらでも展開のしがいはあるが、今回は早めに急展開を迎えそうなリビングを選択。リビングには大した暇つぶしができるものもなく、ミルミルは寝る際に着る薄着一枚でくつろいでいるだろう。


 僕は適当に言葉を交わしながら自分の部屋へ、手帳の内容を一応確認し、その後で汗をかかない程度に少し片付ける。そして部屋からもどるとミルミルが机に伏せて寝ているではないか。毎日毎日遠方からこっちの方までやってきて、自分の目的のために何かを継続しているその生活は、決して楽ではないだろう。披露も困憊してきた彼女は可愛い寝息を立ててぐっすりだ。僕はそんな彼女をじっくり眺め、無意味な時間を過ごすのだ。


 すると、気配を察したのか目を覚ましたミルミルが、ひと目で僕が寝顔を拝んでいたことを察して、体勢そのままに頬だけふくらませて怒りをあらわにするのだ。


「悪趣味ですね」


 なんていうのだろうか。多分僕は謝るだろう。ヘラヘラと笑いながら謝り、でも可愛かったからついとかなんとか言って惚気けるのだろう。すると彼女はため息でも一つ吐いて、許してくれるのだろう。


「……あれ、おかしいな」


 捗る妄想のままにいろいろ考えていた僕だったが、途中でまたある違和感に気がつく。


 あまりに妄想が鮮明だったのだ。いくらお風呂で気分のいい状態だからといって、あそこまで鮮明に場面や情景が思い浮かび、無理のない展開がぽんぽんと出てくることなどまずない。普段はああでもなこうでもないと試行錯誤することによって至高のストーリーが出来上がるのだ。


 今回のはなんというか《一度体験したことがあるかのような》妄想になってしまった。こういうことはとても珍しい。


「って、何を考えているんだか。流石に気持ち悪いな…………よし、上がろう」


 行き過ぎた妄想はゆがんだ愛情を招く。僕はいい加減にしておいて、そろそろ現実に戻ることにした。


 




                       ■





 お風呂から上がってリビングに出ると、そこにはミルミルがいた。どこか落ち着かない感じで、そわそわ部屋を見回していた。


「上がったよ」


「おかえりなさい」


 笑顔でそう応じる彼女が、なんだか新妻のようにも見えなくもなくてちょっとにやける。でもそれがバレないように必死に隠して僕は部屋に入り着替えた。


 リビングに戻るとミルミルはただ座ってのんびりしていた。ローブもまとわず、無骨な装備もない彼女は、小さな女の子だった。短く揃えられた髪を手でほぐす動作、寝るとき用の身軽な薄着、足を崩した座り方、どれをとっても今の僕には可愛く映る。


「ご飯にするね。ちょっと待ってて」


「ありがとうございます、楽しみに待ってますね」


 そんな彼女に僕は腕によりをかけて晩御飯を作ろうと思った。と言っても、そのへんの人に毛が生えた程度の腕だ。だが料理は気持ちの問題だ。気になる女の子に作るとなれば、それは気分も高揚するというものだろう。料理を出して、喜んでもらえた時の妄想が頭に浮かぶが、流石に料理中は危ないので控える。ちょこちょこ振り返って見れば、ミルミルは足をパタパタさせていたり、机の上の紙くずを丸めては広げたり、なんとも小気味いい音色をハミングしていたり、実に見ていて飽きなかった。


 小動物的な可愛さに抜群のスタイルを兼ね備えた彼女になんとしても喜んでもらうべく、柄にもなく張り切る僕なのだった。



 


                      ■ 





 もうすぐあの時間がやってきてしまう。あの時間をほかの人と過ごしたことはこれまで一度もない。だけど今日は絶対に失敗したくなかった。

 

 もちろん、毎日うまくいくのが一番良いのだろうけど、一人の時ならば別にうまくいかなくてもどうとでもなる。自分が少し辛いだけだ。でも今日は店員さんの家に店員さんと私の二人。私はこの大切な時間を、空間を台無しにはしたくなかった。今も彼は私のために、料理を作ってくれている。


 普段料理をあまりしないのはこの部屋のゴミ箱を見ればすぐ分かってしまった。ダンジョンの近くと言えど少し先には食事処もある。いつもはそこで済ませているのだろう。でも今日は違う、私のために頑張ってくれているのだ。


 だから私も頑張らなくちゃいけない。絶対に諦めてはいけないんだ。今日だけは、今日だけは失敗しちゃいけないんだ。


 もしかしたら、今日が最後のチャンスかもしれないんだ。


 私はとにかく気を紛らわせるために、その時間が来るというプレッシャーを考えないためにいろいろした。足を伸ばしてぼーっとしてみたり、意味のない作業を繰り返してみたり、好きな音楽をハミングしてみたり。たまに店員さんに見られて恥ずかしかったけど、その店員さんがすごく嬉しそうに笑っていたから、ついつい私も嬉しくなって続けていた。


 あぁ、楽しいなぁ。


 あぁ、幸せだなぁ。


 こんな時間が、永遠に続けばいいのになぁ、と。思ってはいけいないのにそんなことを考えてしまう。そして同じことを彼も考えていれば、それはどれだけ幸せなことなんだろうかと考えて、少しニヤついてしまう。そんな些細なところもしっかり見られて、私は恥ずかしくなって背中を向けてしまう。


 恐る恐るまた振り返ると、残念そうに眉を下げながらまた料理に心頭していた。その悲しそうな表情を見て未読胸が苦しくなるのを感じる。たったこれだけのことなのに、胸が締め付けられるように痛むのだ。


 もし彼が本当に悲しむようなことが起こったら、彼に迷惑をかけてしまうようになったら――


 ――きっと私の《私という存在》は消えてなくなってしまうだろう。

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