イヴの思いとナギアの愉悦
「本当に……《私の目》があれば、妹を救ってあげられるんですか?」
「だからさっきからそう言っているじゃない。あなたの目の力を私に預けてくれれば邪魔な盗賊団を追い払ってあげるよ。それで、どうするの?」
目の前には、全身に傷を負って満身創痍の少女が膝を崩して座り込んでいる。額からは血を流し、おそらく片目は見えていない。腕や足の骨は折れ、そこらじゅうが赤や青に腫れている。もうどういう体勢をとっても辛いのだろう。ピクリとも動かず口だけを必死に動かして自分をの意思を伝えようとする。
「……ひとつ聞かせて欲しいことがあるの」
「時間がかからないのならどうぞ」
「あなたは……一体何者?」
色を失いかけた双眸を見開き、その少女は私を必死に捉えようとした。その瞳に私が写っているのかどうか、写っているならこの私がどのように写っているのか、そんなことは分からないが知る意味もない。
「私の名はナギア。魔界から来たの」
「……魔界」
別にこれから死に逝く者なら伝えたって問題ない。私が魔界の者だからって逃げられるわけもないし、逃げられる力があったとしても逃げるわけがない。だってこの少女は自ら望んで私のもとにやってきたのだから。
「心配しなくても私は人間界になんて興味はないから。あなたの妹を救うと言いつつあなたの力で人間界を――なんてことは考えていないよ」
「そんなこと……口だけなら何とでも言えるんじゃ」
あぁ、そういうこと言うんだ。
私は赤く腫れている彼女の肘を足で小突く。
「イタっ!?」
「勘違いしないほうがいいよ。別に私はあなたの力が欲しくてたまらないわけじゃない。あなたが勝手に頼み込んでくるからその対価に力を要求しているだけ。そういうことを言うのなら今すぐ帰ってもいいんだよ」
「ご、ごめんなさい、信じます、信じますから……」
泣いているのか、震えるような声で懇願する彼女に、私はなんだかすごい惨めな気持ちになる。この構図は人間が種族として敵に位置する魔族に頭を下げてお願いしているのだ。第一魔王軍の奴らなら歓喜するのだろう。だが生憎私は本当に人間界など興味がない。
「じゃあ私も一つ聞こうかな。どうしてそんなに妹を救いたいの?」
「妹は、マーニュは盗賊としての素質があるの。だけど、私がいるばっかりに知らず知らずのうちに力を抑制している。私がいなければあの子はもっと自由に好きなように生きられるはずなの。だから私はもう長くないこの命を妹のために使うと決めたの」
「へぇ、すごい姉妹愛だ」
確かに、もう彼女の命は長くないようだった。それは日々の暴力が重なった結果であり、もう彼女の内蔵はほとんど機能していないのだろう。呼吸をするだけの行為が辛いのが見ているだけでよくわかる。
「でもさ、私思うんだけどその目の力があれば結構盗賊団の暴力にも対抗できると思うんだけど」
「この目、私にとってはなんの意味もない赤い目なんです。マーニュはだんだんこの目の使い方が分かり始めているみたいなんですけど、私には素質も力も足りなくて、使い方がわからないんです」
「ふぅん、そうなんだ」
この少女、何から何まで本当に悲惨だ。あまりの悲惨さに吹き出しそうになってしまった。さすがに笑ってやるのはかわいそうだからこらえるけど、どうしてこんなにこの少女は恵まれていないのか。何と言っても、一番恵まれてないのは――
――私に出会ってしまったことだけど。
「その……そろそろ、お願いしても大丈夫ですか?」
「え、ああ、そうだね。じゃあ始めちゃおう」
力ない少女の声に同意し、私は膝を折ってしゃがみ、彼女と鼻と鼻が触れ合うほどの近さに迫る。そこまで近づいたというのに少女の目は何も捉えられていないようで焦点が合っていない。
「この力で盗賊団を追い払って、妹さんを助けてあげるね」
「よろしくお願いします……」
「結構痛いと思うし、目はしばらく見えなくなると思うけど、大丈夫?」
まぁもう見えていないと思うけどね。
「はい……大丈夫です」
「そっか、じゃあ、いくよ」
それだけ言って、私は額と額を合わせ、彼女の額に私たち魔族の刻印を埋め込み、呪いの準備をする。この呪いによって彼女の目に付与されている力を私に譲渡させる。目の力は彼女の体に深く根付いているから、引き離すにはかなりの痛みを伴う。だが、こんな状態でも正気を保って言葉を話すことができているので、多分大丈夫だろう。
埋め込んだ刻印が額に溶けるように消え、呪いの準備が完了する。私は特に思うことなく右手を彼女の額に重ね、意識を集中する。意識を集中すると、ミルミルのの意識が伝わってきた。どうやら彼女はついに自分の生きる意味を見失ったみたいだった。
あぁ、残念。せっかく私がいろいろ助けてあげたのに。ふたりだけの時間もあれだけ作って、なんだか企んでいることも全部目を瞑ってあげたのに、それでもうまくいかないなんて。
やっぱり人間ってゴミだ。
戦う価値もない、そんな奴らが暮らす世界なんて毛ほども欲しくない。魔界のものが手を下すまでもなく、勝手に滅んでいくだろう。
私の目的はたった一つ。第一魔王のいなくなった魔界を支配すること。それだけ。
今の私の力だけじゃあそれは不可能。そもそも私は第二魔王軍の幹部でしかない。第一魔王軍の魔王が死んだ今、魔界は第二魔王軍がスライドして魔界を支配しようとする動きと、それを否とする第一魔王軍の争いがすぐ目の前まで迫っているだろう。最初は私もその争いに参加して、両者が疲弊したところを狙って何人かの同士を募って第三魔王軍として漁夫の利を頂くつもりでいた。しかし第一魔王の死について調べに来た人間界で思わぬ収穫があった。
魔族の祖先、それも上位能力系の魔族の血を引く人間がいたのだ。彼女の力を解放して、完全に魔界の人間にすることができれば、たった二人でも今の魔界を治めることが出来てしまうかもしれない。第二魔王軍の魔王は、幹部の私だからわかるがかなり弱い。隙あらば私でも討つことができる程度だ。
そして、そのメルルゥ第三魔王化計画の第一段階《全てを破壊する能力》の完遂が迫る。
さっきから叫ぶように頭を抱える少女のこの目の力、その力をもってしてメルルゥに魔王にふさわしい力を授けるのだ。
左目を私に、右目をメルルゥに。
そして左右の目をつなぐ強力な呪い。束縛と主従の力を持つ呪いによってメルルゥの反乱をも防いでしまう。その準備も既に完了し、あとは待つだけ。
「さぁ、メルルゥ。一緒に覇天の道を行こうね」
■
目の色を失い、その痛みで疲弊し、傷だらけの体を引きずるようにして自分の家へと帰るイヴ。その目からは涙がこぼれ落ち、漏れ出る声を押し殺すようにしていた。
「早く帰らないと……マーニュが帰ってきちゃう……心配だけは、かけないようにしないと……」
イヴはもはやマーニュへの気持ちだけで歩いている状態だった。もう長くないこの命でマーニュに言えるだけ言いたいことを言い、伝えなきゃいけないことを伝えないといけないのだ。彼女はこの世界で生きていくには優しすぎる。いずれ私がいなくなっても生きていけるように、強くしっかりとしてもらうために。
「まずはあのお金を、自分のために使うようにならないとね……」
微笑ましい彼女の優しさを思い出し、また一つ力を振り絞る。そして目指すのは、掃き溜めのような世界――。




