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綺麗な首飾り|誰かにかけられた呪いに解きかた  作者: 神代紫音
第三章 隠れ家周辺|朝|イオアンが隠れ家を訪れる
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第60話 隠れ家2

吊り橋の前で、イオアンはククルビタを止めた。

岩場の上の屋敷を見上げる。


大きな屋敷だ。

地方にある牧場主の家族でも住んでいそうな建物だったが、鎧窓は閉ざされ、白い漆喰の壁は崩落し、オレンジ色の屋根瓦は欠けているところもあった。蔦に覆われているところもあるが、その蔦も枯れている。


明るい午前の日差しと澄んだ空気の中で、屋敷は風化した骨のようだった。

気味が悪い感じはしないが、人の気配も感じられない。

時間が止まっているようだ。


岩場の上に見える屋敷を訪れたいという気持ちにはならなかった。

人を拒んでいるような印象がある。

ここまで苦労して来たわけだが、それでもククルビタの向きを変え、いまからでもイグマスに戻ったほうが良いような気がしてきた。


バルバドスの忠告を思い出す。

ただの家庭教師は、あんな怪しげな場所には近づかないだろう。


すでにブッケルムから降りているエルが、

「どうしたの?」

と不思議そうにイオアンを見上げた。

「危ないから、イオアン様も馬から降りて渡ってよ」


「あの細い吊り橋を渡るのか? いまにも切れそうなんだが」

「そう見えるだけで結構頑丈だから。慣れてる俺たちは馬に乗ったままでも渡れるんだけど、ブッケルムもその馬も初めてだからね」

「しかし、あの屋敷なのか? 人が住んでるようには見えないが……」

「そりゃ隠れ家だからね」

「なんとなく、遠慮したほうがいい気がする」

「えー!」

「石切り場では気にならなかったが、現実に来ると、体が拒んでいるんだ」

「気のせいだよ、みんな待ってるからさ」

「待ってはいないだろ」

「そうだけど、せっかくここまで来たんだから」


仕方なくイオアンはククルビタから降りて、手綱を引いた。吊り橋の板はところどころ穴が空いていて、下の空堀が見える。綱は蔦を編んで作ったようだが、こんなもので支え切れるのか?という気がした。

そして、人と馬と犬が歩くと揺れ、風が吹くとさらに大きく揺れた。

吊り橋の綱には、干からびた猿の生首のようなものが幾つも括られていた。まだ毛がへばりついてる皮が乾燥してミイラのようになっている。

もしかしたら人間の頭なのかもしれないが、イオアンは近くの山にいた猿だと思うことにした。これもカルハースという男の趣味なのだろうか。

吊り橋からイオアンが恐る恐る下を覗き込むと、深い空堀までは十メートルぐらいある。先の尖った木の杭が埋め込まれており、そこにも何らかの動物の死骸や骨が引っかかっていた。イオアンの顔から血の気が引いた。


やっぱり私には無理だ。


イオアンは吊り橋の中央で足を止めた。

近づいてきた屋敷の廃墟を眺め、今度は後ろを振り返る。

これ以上進んだら戻れない気がする。


震える声で「エル」と呼びかけると、先を進むエルが足を止め、振り返った。


「ここで別れよう」

「え?」

「やっぱり私はイグマスに帰ることにするよ」

「なに言ってんの」

「へんな胸騒ぎがするんだ」

「そんなこと言ったって、いまさら引き返せないよ。向こうまで渡らなくちゃ」

「渡りたくない」

「だって、馬は戻れないんだから」

「エルが連れていって、また戻してくれ。私はこれ以上は進まない」


エルはブッケルムに声をかけると、イオアンのところまで戻ってきた。強い風が吹くと、ひらひらとスカートがはためく。


「ねえ、そんなこと言わないでさ」

「もう嫌だ」

「もう半分まで来たんだ。あと半分渡ったら、みんなに会えるから」

「〈首なし騎士団〉になんかに会いたくない」

「普通めったに会えないんだよ? 凄いことなんだよ?」

「凄くなくていい」

「馬肉料理を食べられるかもよ? 本当は冬が美味いんだけど」

「腹は減ってない」

「魔物の不思議な生態とか知りたくない?」

「どんな生態だ」

「例えばゴブリンの群れがどうやって暮らしてるとか、繁殖期の行動とか」

「なぜそんなことを知っている」

「俺たちは人間が暮らしている場所は避けるようにしてるからさ、結果的に魔物たちについても詳しくなるんだよ」

「エルもなのか」

「俺はまだまだかなあ。馬のことで精一杯だから。でも抜け道とかはいろいろ教わってる。だから街道の関所とか通らなくても済むんだ。必要なら、ふつうの旅人の何倍も速く移動できるんだよ。ね、とっても便利でしょ?」

「どうせ、私はイグマスから離れられない」

「そんな決めつけなくてもいいじゃん。人生何があるか分からないんだから」

「私は平穏な人生でじゅうぶんだ」

「それもいいかもしれないけど、たまには刺激も必要だよ。カルハースたちは刺激的だから面白いと思う。ダンジョンの話とか聞けるし」

「まったく必要ない」

「じゃあ、帝国の情勢とかは?」

「なんだ、帝国の情勢というのは?」

「どこの公爵家が強いとか豊かだとか、帝都の内乱の状況とか、そういうのはイオアン様は好きでしょ?」

「まあ、嫌いではないがな……」

「いろいろカルハースたちなら教えてくれるよ」

「そうか? こう見えても、私もある程度は知ってるんだがな」

「でも、イオアン様のは本で読んだ知識でしょ? カルハースたちのは本当にその属州に行って見聞きしたことだよ。それに変わった連中にも会ってるし」

「変わった連中?」

「吟遊詩人に詠われた冒険者とか、禁呪を使って破門された魔術師とか」

「興味はなくもないが……」

「それに、これは俺の勘なんだけど……」

「なんだ?」

「悩みがちなイオアン様は、カルハースに会ったほうがいいと思う」

「その芝居がかった男にか」

「うん。ときどき深いことを語るんだよ、人生の意味とかさ」

「エル。悪いが、そんなのを聞きたい気分じゃない。ただ私は帰りたいんだ!」


そう叫んだイオアンが背を向け、吊り橋の綱を握りながら戻ろうとすると、


「待って!」

とエルが、その手を掴んだ。

「こんなふうに別れるの、俺は嫌だよ!」


イオアンが振り返った。

吊り橋の上で、エルの純白のドレスが風に吹かれている。

「エル……」


「ねえ、イオアン様は嫌かもしれないけど、俺のために会ってくれない? 騎士は誰かのために命を賭けれるから騎士なんでしょ?」

「私は、ただの家庭教師にすぎない」

「俺にとっては最高の騎士だよ。俺の命を救ってくれたんだから!」


エルに見つめられ、イオアンは目を逸らした。

深い空堀に目を落とすと眩暈がした。

また強い風が吹き、掴んでいる吊り橋がゆらゆらと揺れる。


ドキドキしてきた。

この感情は何なんだろうか?

確かに、エルに出会う前は平穏な毎日だった。

そう、セウ家の屋敷と、イグマスの大図書館を往復するだけの日々――。


こんな気持ちは、二度と味わえないだろう。

いま、エルと一緒にいる以外に。


「……分かった。お前の仲間に会おう」


そう決断すると、エルの顔が明るくなった。

「良かった! そう言ってくれると信じていたよ!」


吊り橋を渡り切り、岩場に到着すると、目付きの悪い猫たちがイオアンを出迎えた。地面や岩の上や木の枝から見つめている。なぜか邪悪な感じがした。ポカテルが唸り声をあげると猫たちも毛を逆立て、両者が睨み合った。


ポカテルは猫を追いかけてどこかへ消えてしまった。ふたりは屋敷の前を通り過ぎ、隣にある立派な厩舎に入った。だが、馬はどの馬房にもいない。馬房にブッケルムとククルビタを入れると、屋敷の玄関に戻った。


枯れた雑草が生い茂っているポーチを上がり、扉の前に立った。樫の木の大きな扉だ。馬に乗ったまま入れそうな気がする。悪魔の顔の金具の口から、鉄の輪がぶら下がっている。それを掴んだエルが振り返った。


「最初は、俺が話すから」

「私が喋ると、まずいことでもあるのか?」

「まずくはないけど、どうしてこうなったか事情を説明してからじゃないと」


「まあ……そうだな」

昨日起きたことを説明するだけでも大変なのは、イオアンにも理解できた。

「セウ家の名前を出すのは、やはり危険か?」


「そうだね、慎重に話を進めないと」

「じゃあ私も、その男の反応が分かるまでは、黙っていることにするよ」

「とにかく、カルハースには気をつけてよ」

「どう気をつけるんだ」

「何を考えてるんだか、分からないところがあるからさ」


そう忠告したエルは、重たいドアを開いた。


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