152.蚊帳の外
ヤロスラフは初め、突拍子もないセリフに目を丸めていた。
「お前は何を言っている」と言いたかったに違いない。血迷い間違いを犯さんとする息子を諫めようとしたが、シグムントが言葉もなく沈黙し、ウツィアが青い顔で己の様子を伺う姿を目撃し、事態の深刻さに渋い表情で黙り込んだ。
話の流れはわからずとも、流石に空気を読む能力は長けている。
決して茶化して良い話ではないのだと悟ったか、一度目を閉じた。
そしてこめかみを揉み解しながら、ふーっ、と息を吐く。
「……ひとまず、話を聞こうではないか」
ヤーシャは可愛い息子だ。
立場上表には出せないが、この子は最も可愛い息子だ。
軽視されがちな座学にもひたむきで、人の心の機微に敏い。臆病だとされる政の話には誰よりも興味を示す。輝かんばかりの瞳でシグムントを支える目標を掲げていた子が、いまは己れの犠牲すら厭わない信念を燃やしている。
これを茶化すなど、例え親であってもやってはならない。
求められているのは身内殺しを行った「王」だ。
正直、目をかけた子と幼い頃から苦楽を共にした弟を殺す決断をした王になど戻りたくない。しかし退位していないのも確かだから、自分がまだ王なのは否めない。逃げたい気持ちと責任感がせめぎ合い、もう心にもくもくと暗雲が立ちこめたが、子ども達の中で自分を追いかけてきてくれた唯一の子だ。それに無下にすれば、妻や赤狼の古なじみ達に愛想を尽かされるのも間違いない。
ましてやここで逃げては、今度こそヤーシャに幻滅されよう……。
笑い飛ばすこともせず、聞く姿勢をみせた父にヤーシャは安堵を見せる。
王族の複雑な事情を抱えた話し合いは夜まで続き、そして深夜、ヤロスラフはオルレンドル皇帝の部屋を訪ねた。
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長旅で自由を謳歌した後遺症のひとつは、ドレスへの苦痛だ。
着飾るのは悪くない。
でも、全身を締め付けるドレスの長時間に渡る着用は中々キツい。
いつもの木櫛で私の髪を解いてくれるライナルトへ話しかけた。
「結局、今日はなんにも進展しませんでしたね」
「そうだな」
結局、三国会議はあれから進展しなかった。
どうも、あれから更にヤロスラフ王が戻ったらしく、クシェンナ宮全体が隠しきれない慌ただしさに包まれていたのだ。それでも丸一日延期とは思わず夕方まで待っていたから、待機だけと言ってもクタクタ。
たかがドレスくらいでと思われるかもしれないが久方ぶりの公の場だし、いくら着心地はなるべくゆったりめ……といっても、それは「ドレスの中では比較的」となる分類だ。人目があるから姿勢に気を遣うし、気を張る中でクシェンナ宮の冷えが身に沁みる。
もう風邪を引くんじゃないだろうか……と予感を感じさせる中で延期が伝えられ、次に向けた新しい衣装を選んだところで、やっと本当の休息だ。
私があまりにぐったりとしているので、侍女を下がらせたライナルトが髪を手入れしてくれている……そんな状態だ。
彼の手入れは、やはり私より上手い。
髪用の油を必要以上に塗りつけるミスはしないし、どんな状態の髪でも頭皮を引っ張るような真似はしない。最近は「昔を思いだした」といって頭を丁寧に揉んでくれる。力加減も上手だし、気持ちいいから眠ってしまうことも少なくない。髪結いの腕前も良いのでシス達にも勧めたが「代償が怖い」「頭をかち割られそうで怖い」と遠慮したので、これは私だけの特権だ。
「終わった」
「ありがとう」
するりと髪が解放された感触に、そのまま体を後ろに倒す。
寝台の上なので寝転がるのは簡単だ。
心配する必要もなく体は抱き留められ、私は持っていたクッションを抱きしめる。
「それで、あなたはなにを楽しみにされてるの?」
「なんの話だ?」
頭を動かすと、ライナルトの髪がカーテンのように私を覆い、揺れる。
彼が身だしなみに気を遣う範囲は最低限だ。
侍従達の努力があるとはいえ、基から備わっている美貌は変わらない。むしろ、内面から放たれる苛烈さも加わり出会った当初よりも群を抜き、いまや目を離せない存在になっている。初めて彼を見たクシェンナ宮の人が、彼を睨もうとして失敗した姿も目撃している。
でも、普段はもうちょっと違うのだ。
彼は自分の内面を、特に私が気にかける争い事に関しては隠す傾向がある。
別に戦ごとの話になったって倒れるわけじゃないのに、民が傷つけば私が伏して起き上がれないと思っているのではないだろうか。ともあれ自分の趣味に関しては秘密主義だ。おかげで私に入ってくる情報は、たとえば各地に拠点を増やしたのも大体の計画が進んでから……ということも少なくない。
だけど今回はダメダメ。
ライナルトってば、内心からにじみ出る愉しみを隠しきれていない。
それにいま初めて知ったけど、秘密が多いときの彼はさらに口数が減る傾向にあるようだ。こんなところで思わぬ癖を発見できたのは、彼の人間らしさが垣間見えたようで嬉しいが、内容としてはまったく笑い事じゃない。
私だけに許されている特権を駆使し、ライナルトの片頬をむにっと掴む。
「あの様子だと、他にもなにか工作されてたんでしょう。あなたは私の知らないところで、一体どんな楽しみを見出したんですか」
「知りたいか?」
「とっても」
この状況に笑ったのか、それとも「工作」を思いだしたのかは定かではない。
ともあれ彼の魅力的な笑みは、ひどく悪辣であり歪んだものだ。
私は直感でこれはよくないものだと気付いたが、彼の悪心をも受け入れてしまっている手前、咎めることはできない。
ライナルトの大きな手の平が私の頬を覆った。
「そう心配する必要はない。貴方にとっては良いことだ」
「私にとっては……ということは、上手く行けば、きっと多くの人々にとって良い行いになるということでしょうか。でも、それにしてはあなたの愉しみようは変です」
「善行を働いたのに、褒めてはくれないか?」
「私を始めとした多くの人々が幸福と呼ぶものは、あなたにとって不要なものです。私を娶られたからって、あなたの本質が変わったなんてはき違えているつもりはありません」
私のおかげであなたが聖人君子に変わってくれた! なんて勘違いしたが最後、私たちの関係は永久に修復を許されないまでに壊れる。ライナルトもわざとらしく問いかけてくるのはどうし……単なる意地悪かと思っていたけど、もしかして私が変わっていないのか確かめたいのかしら。
だとしたら、存外子供っぽいところがある。
微笑ましさと心外さで複雑な心地でいると、ライナルトは答えた。
「貴方の問いだが……そうだな。もし成功すれば、面白いものを見れるかもと思った」
「面白いものって?」
「分不相応な愚かさだ。貴方に似ている故に、私やヨーの族長達とも違う種類の統治が、砂の城と化したラトリアをどう建て直し、強くするのかと興味が湧いた」
……うーん。まったくわからない。
でもわからないなりに、この人が私にとって悪くなる状況を作るはずはないという信頼があるので、曖昧に微笑んでおく。もしシス達がいたら、文字通り襟首掴んで聞き出しただろうけど、生憎、そろそろ眠気に覆われてきた。
詳しい話は明日……と思い眠りについたのだが、ライナルトの「答え」は翌朝に自らの足でやってきた。
護衛がいないのは見慣れた光景として、なぜかいつもよりも豪奢な衣類に身を包んでいる。たった一日で頬をこけさせた青年は勝手に部屋に入ってくると、気怠そうに椅子に座り、無言で天井を見る。
もしかして寝ていないのだろうか。
疲れているのに、わざわざ昨日の報告でもしてくれるのかしら……と思っていたら、唐突に頭を動かし、ライナルトに向かって顔を向ける。
「私がラトリアの次期国王になる方向で話が纏まった」
一体全体何がどうしてそんな話になってるの???
現在漫画連載中の「転生令嬢と数奇な人生を」の方で外伝を更新するので、あちらが「完結」より「連載中」に戻ります。




