②姉の挫折~800m走~陸上部入部
-響希・小4秋-
姉妹の絶縁状態は、時が解決をしてくれた。
その日は、姉の陸上競技の記録会を応援する為に、両親と一緒に競技場を訪れていた。響希の陸上クラブのコーチが、去年までの教え子達の様子を見に来ていて、響希の母親を見付けて挨拶に寄って来る。
クラブをサボり気味でコーチが嫌いな響希は、引き攣った表情で会釈をするだけで、「どうせ、バカコーチは自分の文句を言っているのだろう」と想像して、母とコーチから遠ざかって耳を塞いだ。
「え?かんちゃん・・・?」
響希は、姉が出場した800m走で、信じられない光景を見る。姉と同じユニフォームを着た1人が、スタート直後から、ずっと環奈の真後ろを走り、ラストのホームストレートで環奈を抜き去ってゴールをした。他の学校に姉よりも速い選手がいて、負けてしまうのは仕方が無いと思う。でも、小学校のマラソン大会三冠で、夏前には先輩達をゴボウ抜きにして部内で1番早かったはずの姉が、チームメイトに負けるとは思っていなかった。
ゴール後の環奈は、チームメイトに負けたってショックと、午前中の1500m走では自己ベストに遠く及ばなかった悔しさで涙ぐんでいた。
何で、自慢の姉が負けたのか?応援をしていた響希も悔しかった。
土田太緒。東中1年生で、陸上部の短距離ブロック所属。まだこの時は、長距離ブロックに駆り出されただけの太緒だが、この記録会の800m走で僅差ながら環奈に勝ち、駅伝大会でも区間で上位入賞の成績を修めた実績をキッカケに、長距離ブロックにコンバートする。その後、2年生の春~卒業まで、800m走&1500m走&駅伝で、太緒が東中エースの座を環奈に明け渡すことは無かった。
この出来事は、環奈が高校で陸上を続けなかった一因になる。
2週間後の駅伝大会は、第1走者の環奈は入賞圏内でタスキを託したが、上級生の走りが不甲斐なかった為、アンカーの太緒がタスキを受け取った時には挽回不可能な順位まで後退しており、県大会へ切符を手にすることはできなかった。
-響希・小6秋-
中3になった環奈は中学最後の駅伝大会で、念願の県大会への出場権を獲得した。ただし、長距離ブロック・エースの太緒とはタイム差が開く一方で、挫折に苦しみながらNo2の座を守って走り抜き、東中陸上部を引退する。
同じ時期、響希も陸上クラブ最後の大会で、800m走に出場をする。5~6年生が参加をして、1レース15人で、全6レース。響希は2レース目に出走する。何となく3年間続けた陸上クラブだが、6年生は、これで引退になる。
〈オン ユア マーク!(位置について)〉 パァン!
スターターピストル音が鳴り、響希を含めた第2レース15人が一斉にスタートをする。スタートダッシュに成功した4人がトップ争いをして、5人が後を追い、スタートで遅れた残り6人が一塊になって走る。響希はスタート時は10位だが、コーナーを出るまで(100m経過)に3人に抜かれてしまった。
いつの間にか先頭からは大きく引き離され、トップ集団2人、3位争いの集団5人、響希は残り8人の集団で走っていた。1週400mもあるトラックを2周もしなければならない。まだまだ先は長い。何となくな意地の張り合いで抜きつ抜かれつ、1周が終わったところで「ラスト1週」の鐘が鳴り、ビリ争いの8人が何となくバラけてくる。響希は後ろから5番目。長い800mのうち700mを通過。残り100mで一斉にラストスパートを始めて、響希は3人を抜いて2レース目の8位でゴールをした。
タイムは3分3秒。走り慣れていない同世代に比べればマシなタイムだが、何人かの5年生にも負け、3年間、陸上クラブに所属したランナーとしては、お粗末な記録だった。姉が6年生の時の記録と比べて、15秒以上も遅い。学校のマラソン大会でも、姉のような偉業は成し遂げられなかった。でも、響希の心は、満足な記録を出せなかった悔しさよりも、やっと終わった開放感で満たされていた。真面目に練習しなかった自覚はあるから、達成感も虚無感も無い。
大会後、退団式を終えた響希は、サッサと帰宅をしたかった。だが、母親とコーチが話をしていた為、しばらく、駐車場で待たされていた。コーチが何度か頭を下げていたようだが、会話の内容は解らない。
気になった響希は、帰路で母親と自転車を並走させて、「なに話してたの?」と訪ねる。母親は自転車を走らせながら「あとで話す」と言ったが、響希が何度もしつこく聞くもので、信号待ちをキッカケにして自転車から降りて押し始め、コーチとの会話の内容を教えてくれた。
「コーチさん、お母さんに謝っていたのよ。
謝らなくて良いって言ったのに、何度の何度も頭を下げて・・・」
「えっ?お母さんに、何か悪いことしたの?」
「違うわよ。コーチは、響希のことで謝っていたの」
「私のこと?私に嫌なことばっかり言ってたのを謝ってたの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
母は道の真ん中にもかかわらず立ち止まり、少し怒った表情で、つられて立ち止まった響希を見つめる。
「ん?どうしたの、お母さん?」
「響希、あんまり真面目に練習してなかったでしょ。
でも、コーチは、その事は何も言わなかったわ。
ただ、響希を、ちゃんと育ててあげられなくて、
『ごめんなさい』って言っていたの」
「・・・え?」
「響希が4年生の時、中学校の大会を見に来て、
かんちゃんがチームメイトに負けたのを覚えてる?」
「うん、あの時はビックリしちゃったから覚えてるよ。
今じゃ、あの人(土田太緒)の方が、かんちゃんより、ずっと速いんでしょ?」
「あの日、かんちゃんのレースを見ながらコーチと話をしたんだけど、
響希なら、ちゃんと練習すれば、土田さんより速くなるって・・・
嬉しそうに言ってたの。
でも、響希の記録は、かんちゃんが小学校の時の記録よりも、ずっと悪かった。
だからね、響希を3年間預かったのに、
ちゃんと育ててあげられなかったって、そう言って謝ってたの」
「・・・・・・・・・・・・・・」
コーチは、姉よりも出来の悪い響希に、文句を言ってると思ってた。響希の才能に期待して厳しく接しているなんて思っていなかった。謝らなければならないのは、コーチよりも、自分じゃないのか?響希は、歩いて来た道の方を振り返って、少し涙ぐんだ。
-響希・中1春-
花穂寺小学校を卒業して文架東中学校に入学をする。数日後の部活見学で、響希は幼馴染みの清華を連れてバスケ部と陸上部を見に行った。体育館で活動をしていた女子バスケ部の中に、髪を後ろで束ねていて、キビキビと動き回っている格好良い先輩がいた。ゼッケンは5番。後に知った事だが、響希が見惚れた先輩は、副キャプテンでポイントガードの早山咲輝。環奈の友人の長澤尚実ちゃんが、妹分のように可愛がった新3年生だ。
「バスケ、面白そうだね」
「ひびきはそう思うの?私は、難しそうだし、ちょっと怖そうな気がする」
陸上部には小学校の頃から知ってる先輩が何人かいて寄ってきてくれた。見知らぬ先輩も数名いて、一緒に寄ってきた。いつもなら、陸上部の練習は陸上競技場で行うのだが、今日は新入生の部活見学があるので、学校で練習をしている。
「響希ちゃん、清華ちゃん、陸上部に入るの?」
「う~~ん、まだ決めてないです」
「入りなよ」
「怖い人とかいませんか?」
「いないいない!みんな、良い子だよ!」
「あれ?この子、環奈先輩に似てない?」
「そりゃそうだよ。この子、環奈先輩の妹だもん」
「あははっ!ソックリじゃん!」
「陸上部に来なよ!」
「環奈先輩の妹なら、陸上部で決まりだね」
「お姉ちゃん、私達陸上部にとってはレジェンドなんだよ。
環奈先輩が居なかったら、駅伝で県大会進出なんてできなかっただろうね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
かんちゃんとは比べて欲しくない。かんちゃんが凄いことくらい、みんなに言われなくたって知っている。でも、凄いはずのかんちゃんが、チームメイトに勝てなくて、いっぱい苦しんだのも知っている。それでも腐らずに、最後まで頑張ったのも知っている。駅伝で県大会に行けたのは、かんちゃんのおかげじゃなくて、かんちゃんからエースの座を奪ったチームメイトがいたからだ。何にも知らないと思って、適当なことを言わないでほしい。
響希は“空返事”と“聞き流し”で、先輩達の会話をやり過ごし、適当に陸上部の活動を眺めて、その日の部活見学を終えた。
「あ~ゆ~態度、良くないよ、ひびき」
「わかってる・・・でも、私は、かんちゃんじゃないもん」
清華からは注意されたし、自分でも「マズった」とは思っているけど、姉の名を出されてしまって、ニコニコと愛想を振りまくことはできなかった。
その日の夕食時、姉と母と食卓を囲みながら、響希は「清華と一緒に部活見学に行った」「バスケに格好良い先輩(咲輝)が居た」「明日は、バレーボールとテニスを見に行く」等々と話した。
「陸上部には行かなかったのか?」
「行ったけど、多分、入らない」
母が質問をしたので、響希は素っ気なく応えた。環奈がスマホを弄りながら食事をしていたので、母が「食事時くらいスマホを手放しなさい」と注意する。
夕食後、テレビでバラエティ番組を見てから姉妹の部屋に戻ったら、姉は自分の机でスマホを弄っていた。今は、優麗高校の1年生。中3の夏くらいからは、響希が寝る時も、机の灯りを点けて一生懸命に受験勉強をしていた。姉は響希の前では男子の話はしてくれなくなったが、尚実ちゃん情報だと“ふく君”も優麗高を志望していたらしい。少しくらい仲良くなれたのかな?あんな変な人の何処が良いのだろう?
響希がベッドに寝転がってマンガ本を読み始めたら、環奈が座っていたイスを回して、響希の方に向いて話しかけてきた。
「響希、陸上部に入んないの?」
夕食時に「入らない」と言ったのに、もう忘れたのかな?そう言えば、姉は、響希が話してる時、ずっとスマホを弄ってたから、聞いてなかったのかもしれない。
「うん、入らない」
「なんで?」
「面白くなさそうだから」
「他に面白そうな部活でもあるの?」
「わかんない。でも、陸上部は無いかな。
かんちゃんはどうなの?高校でも陸上やるんでしょ?
陸上部の人、かんちゃんのことばっかり話していたよ」
「う~~~~~~~ん・・・私は、もう、陸上はやめようかなって思ってる」
「えっ!!?」
環奈の回答は、響希には予想外だった。小学校4年生から陸上競技をやっていて、中学の後輩からはレジェンド扱いされているのに、「もうやらない」ってどういうこと?
「え?え?なんでなんで?走るの、嫌いになっちゃったの?」
「嫌いじゃないんだけど・・・私じゃ、もう、タイムが上がりそうに無いし・・・
友達から、演劇部に誘われてて、ちょっと面白そうだし・・・」
「へ・・・へぇ~・・・そうなんだ?」
響希は、姉が記録を伸ばせずに苦しんだことを知っている。だから、陸上よりも面白そうなことがあるって聞いて、それ以上は何も言えなかった。ただ、ハッキリしていることは、田村家の陸上部枠が空いた。響希が比較をされる対象は、田村家の陸上枠から退いた。
陸上クラブのコーチが、「響希は速くなる」と評価していたのを思い出す。口では否定的なことを言ってるが、陸上に興味を持っている。正直言って、自慢の姉ですら挫折したことを、根性無しの自分がやり通せる自信は無い。でも、自慢の姉が挫折したのなら、自分も挫折したって誰も文句は言えないだろう。ほんのチョットだけ、試してみたくなった。
「陸上・・・やってみよっかな?」
「うんうん!やってみなよ!」
「どうやれば、速くなれんの?」
「練習あるのみ・・・かな」
「えぇ~~~・・・面倒臭そう」
「練習しなきゃなのは、他の部活でも同じでしょ」
「う~~~ん・・・そうかもしれないけど・・・」
「『かもしれない』じゃなくて、そうなの」
「練習、いやだな~~~」
「やってみな!きっと楽しくなるから!
だいたい、響希は、いつも、何にも努力しないで・・・」
「うるさいな~!かんちゃんまで、お母さんみたいな事を言わないで」
話を遮られた環奈は、イスを回して机の方に向き直り、再びスマホを弄り始めた。響希には見えないようにして“東中陸上部のグループライン”を表示させる。環奈は、夕食時から、陸上部の後輩達に「妹の陸上部へのリクルート」を依頼されていた。「あと一押し」「明日、また誘ってみて」と後輩達にメッセージを送る。
環奈が中学の時、小学生時代のコーチが「響希は、ちゃんと練習すれば速くなる」と環奈にも言っていた。響希が、自分と比較されるのを極端に嫌っているのも、姉は気付いていた。最低限、家族内では比較をされないようにしてやらなきゃ、響希は陸上部には入らないだろう。
環奈は、思春期を経由して、自分が「チームメイトのようなスマートな体型を維持できず、女の子らしい体になってしまった」と自覚していた。土田太緒に才能の差を散々見せつけられ、「自分の走りでは、限界が来ていること」に気付いていた。だから、走ることは好きだけど、妹に譲ろうと考えていた。
試してみたいと思ったあとの、響希の行動は早かった。翌日には清華を伴って、陸上部に入部届を提出する。




