虚偽の申告を禁ずる
「承知しております」
「ちなみに停泊区画C-7も担当範囲に含まれますね。最寄りの第三搬入口の夜間作業についてお伺いいたします」
ナディアは何気ない調子で、以前人身売買の様子を遠藤が目撃した箇所を質問に織り込む。
「こちらの配置表では、補助作業員扱いですね」
警備課長が冷汗をかきながら答える。
「はい。警備作業ではなく搬入の補助としてです」
「搬入補助」
また端末へ打ち込む。
「入退構記録から録画記録を本庁に確認させたところ、この補助作業員が搬入口で車両停止指示、セキュリティチェックを行っています。出入管理に関しては補助者に職務権限として含まれていないのでは?」
警備課長の目が、一瞬だけ梁瀬へ向いた。橘はそれを見る。梁瀬は表情を変えない。
「現場の安全確保のため、一時的に誘導したものと思われます」
「誘導ね」
ナディアは打ち込む。
「なるほど。違反ではないとおっしゃりたいのですね。わかります」
ナディアは微笑んだ。
「言葉は大事ですものね」
会議室の空気がさらに冷たく乾いていく。
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不備はいくつか見つかった。重要区画警備に関する規則に照らせば、違反ではある。ただし、即座に営業停止とまではいかない。警備上の違反、記録上の不備、配置と資格区分の齟齬。後日、報告書で指摘し、是正を求める程度には十分なものだった。普通の監査であれば、ここで強く踏み込むかどうかは担当者次第だろう。だが請け負っている警備区分は防衛上重要な区画に隣接する区域の警備である。こういったものは目こぼしできる不備でも、突こうと思えばいくらでも突ける。ナディアはそれについて、淡々と告げた。
「いくつか不備があります。詳細は後日、報告書で通知します。是正計画の提出も求めることになると思います」
会議室にわずかな安堵が広がった。致命傷ではない。少なくとも、今日この場で営業停止でも現場封鎖でもない。その空気が、出席者たちの背筋から少しだけ力を抜いた。その瞬間だった。それまでほとんど黙っていた橘が口を開いた。
「篠崎京子という人物をご存知ですか」
唐突だった。呉が顔を上げる。一瞬だけ間があって、それから眉をひそめた。
「篠崎……?」
心当たりを探る顔ではある。だが、芝居ではない。本当に知らない時の戸惑いだった。
「誰ですか、それは」
橘は相手の顔を見たまま、特に感情を乗せずに続ける。
「では、イルゼ・グラウという名前は」
その瞬間だった。呉の表情は変わらない。相変わらず、何も思い当たる節がないという顔をしているが、同席していた梁瀬警備部長の指がほんのわずかに止まった。呼吸一つ、視線の揺れ一つ、それだけのことだった。だが、その程度でも十分だった。ナディアは端末から目を上げないまま、短く打ち込む。篠崎京子。法務部長反応なし。イルゼ・グラウ。警備部長のみ反応。画面の隅で、サポートAIが人物リストにナディアのメモを統合していく。
その時、梁瀬は内心おくびにも出していないつもりで考えていた。
篠崎京子。表向き清掃業者だが実質的には事故処理とその特殊清掃をやらせている。本名はイルゼ・グラウ。
表に出ている名前だけなら、まだ言い逃れの余地はある。下請けの清掃会社を知っているだけだ、と。だが、本名まで割れているとなると話は別だ。
――どこまで知っていやがる。
そう考えた、ほんの一瞬、喉が詰まったように呼吸が浅くなる。
――連絡する必要があるな。
橘は梁瀬の表情のわずかな変化から、何も知らない人間の反応ではないとあたりをつける。偽名と実名が同じ口から出た時、自分までの後ろ暗い繋がりを照らされたと警戒している人間の顔だった。
「……その二名が、何か?」
呉が訝しげに二人を見る。
「いえ」
ナディアが先に答えた。声はやわらかいままだ。まっすぐ梁瀬を見据えながら
「もう確認できましたので問題ございません」
それだけ言って、見とれるような笑みを梁瀬に向ける。
追及しない。追及しないからこそ、反応した側は、自分の反応だけが相手の記憶に残ったことを悟る。
法務部長は本当に知らないのだろう。少なくとも、篠崎京子という国内名にも、イルゼ・グラウという本名にも心当たりがない。一方で、警備部長は違う。港湾警備の見逃しや補助の運用だけではない。その先で実際に汚れ仕事を引き受ける人間と何らかのつながりがある。表向きは清掃業。実態は、もっと広い意味での汚れ仕事の後片付けだ。
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監査では、その後橘はほとんど口を出さず窓際に立ち外を見ていたが、同時に別のものも見ていた。
視界には会議室から拾える範囲にある、社内ネットワークの無線接続点が表示されていた。通信量の増減、端末認証情報、外部向けセッションの発生。正規の監査権限で触れる範囲ではない。脆弱点から通信ログを眺めていた。まだ眺めているだけだがその時点で全く言い逃れの余地のない違法捜査である。
今回、橘達はここで真船の名前を出すつもりはない。厳格な規定を突くのは、単に揺さぶりをかけるためだけだ。実際に探しているのは、真船が関与している証拠か、あるいは旧ウルガンクス共和国の兵隊崩れとの線である。
新華月警備株式会社は橘達の本当の目的を理解しているとは限らない。何らかの贈収賄の類がばれたのだと思っている可能性もある。
そこへ揺さぶりをかけることで、尻尾を出すやつがいればよし。真船側に動きが出るようであればなお良しである。
本命は、橘によるクラッキングで拾う線と、ウルガンクス残党の名前に反応する人間だった。ナディアはその誤認を修正してやる気はなかった。
梁瀬が、資料をめくるふりをして端末を伏せた。画面は見えない。だが指の動きは見えた。短い定型文。その通信は、いったん新華月の内部ゲートウェイを通ったあと、関係のないダミー会社のサーバーへ送られた。表向きは社内連絡だが、実際には、真船へ渡すための隠蔽された連絡だった。




