20話 命の対価と臨時収入
一通り食事を終えた頃、ふと思い出してマリネさんに尋ねた。
「そういえば、あいつはどうなった?」
あいつ――それは最悪な初対面となった、あのオルフだ。
マリネさんに吸い込まれるようにして消えてから、一度も姿を見せていない。
「ああ、オルちゃんですね。う~んと、多分しばらくは寝てると思いますよ? なんとなく、ですけど」
「……ふーん、そうなのか」
……オルちゃん。名前の呼び方が、やけに馴染んでいる気がする。
……まあ、今のところ害がないなら、気にしすぎる必要もないか。
「そうだ、マリネさんは例のあれ、食べたいものとかはないの? 魔導荷車も手に入ったし、できることは増えたと思うんだけど」
俺の問いに、マリネさんはうーんと考える素振りを見せ――
「特にないですね!」
とあっけらかんに答えた。
マリネさんの答えに、俺はちょっとだけ拍子抜けした。
魔導荷車の話に、あれだけ目を輝かせてたんだ。きっともっと、飛び跳ねるように喜ぶかと思ったのに――案外あっさりしてるな、なんて。
そんな俺の肩の力が抜けたのを察したのか、グルメマンさんがくすっと笑った。
「さてはマーシュ殿、早く魔導荷車を使いたいと見えるな?」
「……はは、バレてましたか」
思わず耳の後ろをかく。図星すぎて、なんだか照れくさくなる。だって、俺だって人並みに浮かれてたんだ。あの荷車の中で何を作ろうか、どんな風に並べようか、想像するだけで楽しくて――。
「じゃあ、明日はクエストがてら試運転してみますか!」
パイの最後のひとかけらをぱくりと頬張ったマリネさんが、目を輝かせて言った。
「せっかくなら、実地で使ってみたいし!」
「……お、いいね! それ、すごくいい!」
思わず身を乗り出していた。自然と頬がゆるむ。準備は整った。道具も、仲間も――そして、あの荷車も。
これから、何かが始まる気がしていた。
だが、ちょうどその時だった。
「あっ……!」
胸の奥に、何かがひっかかる。
「やばい、クエスト報告してない!」
「えっ!? ああっ! すっかり忘れてました!」
マリネさんと俺、同時に立ちかけては、お互いの顔を見合わせる。
ギルドにつくやいなやアベルさんに呼び出されて、それからはずっと魔導荷車のことで頭がいっぱいだった。
立ちかけたまま、ふたりとも椅子から腰が浮いたまま固まる。
「おいおい……」
向かいでグラスを傾けていたグルメマンさんが、肩をすくめた。
「どのみちギルドはもう閉まっておる。今さら騒いでもどうにもならん。明日、改めて報告に行けばよかろう。その時に、新しいクエストも受ければいい」
「……ですよね……」
「はい……」
ふたりしてしょんぼりと席に戻る。
俺は、ほんの少し残っていたエールを一息で飲み干した。冷えた喉にしみる炭酸の刺激が、どこか妙に心地よかった。
テーブルの上には、食べ終えた皿が残っていた。木の窓の向こうでは、夜の帳が静かに降りている。街の喧騒も、少しずつ遠ざかっていくようだった。
* * *
翌朝、俺たちは並んでギルドへ向かった。
朝の街は、前日までの疲れを包み込むような、澄んだ空気に満ちていた。パン屋の煙突からは、焼きたての香ばしい匂いがふんわりと漂い、露店の屋台では活気のある声が飛び交っている。
そんな中を、俺は肩にかけたカバンを何度も気にしながら歩いた。中には、昨日受け取った魔導荷車の利権書――落とすわけにはいかない、大切な証だった。
ギルドの扉を押すと、中は思ったよりも静かだった。木製の床に靴音が響き、受付カウンターの奥にいた女性がこちらに気づいて微笑む。穏やかで、どこか柔らかな雰囲気の人だった。
俺たちはまっすぐカウンターへと向かい、軽く頭を下げた。
「昨日のクエスト、報告に来ました」
俺が言うと、グルメマンさんが一歩前に出て補足する。
「依頼にはペロゴンとあったが、実際に遭遇したのはラージペロゴンだ。念のため、確認しておいてくれ」
受付嬢はわずかに目を見開いたあと、手元の魔結晶を手際よく鑑定箱に置いた。その結晶の淡い光を見つめるうちに、彼女の顔が少しだけ強張った。
「……確認いたしました。たしかにこれは、ラージ種の魔素反応です。こちらの確認不足により、危険な状況に置いてしまい、誠に申し訳ありません」
彼女は深々と頭を下げると、こう続けた。
「正式な報酬に加え、ラージ種相当として一人当たり五万ゴルドを上乗せさせていただきます」
予想外の額に、マリネさんと俺は顔を見合わせた。
「やった……!」
それだけで終わらなかった。受付嬢は小さな帳面をめくりながら、さらに続ける。
「加えて、ギルドからのお詫びとして、三万ゴルドを臨時加算いたします」
思わず声が詰まる。命がけの戦いだった。その報酬が目の前で数値になると、不思議な実感が胸の奥からじわじわと湧いてきた。
するとグルメマンさんが、懐から小さな瓶を取り出して受付嬢に差し出した。
「ついでに、こいつも見てもらえるかな。ラージペロゴンから採ったものなんだが、どうにも見慣れなくてね」
受付嬢が受け取り、鑑定箱に入れた瞬間――彼女の顔がぱっと変わった。
「これは……! 〔オオガマの香油〕ですね。10グラムで十万ゴルドはくだらない、非常に高価な素材です。しかも、この量……少なくとも、100グラムはありそうですね」
しばし沈黙。何かの冗談かと思った俺は、思わず口を開く。
「てことは……ひゃ、百万ゴルド!?」
耳の奥が熱くなった。そんな金額、初めて聞いた。
「これはいい臨時収入だな。調味料の補充に、器具の買い足し。それにお主たちの借金も返せる」
グルメマンさんが静かに笑う。どこか誇らしげで、でもそれを誇示するようなところは一つもない。マリネさんも、両手を胸の前でぎゅっと握っていた。
「副産物……なんてレベルじゃないですよ、これ……!」
彼女の目が、いつになくキラキラと輝いて見えた。
俺たちは、無言のままもう一度顔を見合わせる。言葉はなかったけれど、心の中で同じものが動いた気がした。
――まだ、始まったばかりだ。
この魔導荷車と一緒に、俺たちの旅も、ここから本格的に走り出す。
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