第61話「ホームキーパー賞は、どこに飾るべきですか?」
世界大会が終わった翌朝。
朝比奈邸のリビングには、妙な緊張感が漂っていた。
敵襲ではない。
爆発でもない。
ミナミの新型装置が起動したわけでもない。
テーブルの上に置かれているのは、一枚の賞状だった。
最優秀生活運用賞。通称、ホームキーパー賞。
サッちゃんが世界大会で持ち帰った、朝比奈邸にとって初めての“国際的な何か”である。
ユウトはコーヒーを片手に、それを見つめていた。
「……やっぱり、すごいよね」
サッちゃんはその横で、背筋を伸ばしている。表情はいつも通り真面目だが、耳が少し赤い。
「い、いえ! 私はまだまだです! アリアさんのように完璧ではありませんし、クララさんのように警護能力が高いわけでもありません!」
「でも、賞をもらったのは事実でしょ」
「それは……はい」
サッちゃんは賞状をちらりと見て、すぐに視線を逸らした。
その仕草が、分かりやすいくらい照れている。
メグミがソファに座りながら、にやにやしていた。
「サッちゃん、昨日から賞状見るたびに顔赤くしてるよね」
「していません!」
「してるしてる。今も」
「これは、朝の室温が少し高いだけです!」
リナが温度計を見た。
「室温、二十二度。適正ね」
「リナ!?」
ミナミはタブレットを開き、賞状をあらゆる角度から撮影していた。
「受賞ログ、写真、会場記録、審査コメント。全部まとめたら、デジタル展示できるね」
「展示?」
ユウトが嫌な予感を覚える。
ミナミは目を輝かせた。
「近づくと、サッちゃんの決勝名場面がホログラム再生される額縁とかどう? “私は、朝比奈邸のメイドです”のところでライトアップ」
サッちゃんが両手で顔を覆った。
「やめてください! それは羞恥運用です!」
プリズミア《羞恥運用、ログ価値高♡》
「プリズミアも乗らない!」
ノアはすでにメモパッドを開いていた。
「先輩、賞状視認時、頬の赤み上昇を確認。感情反応:照れ。記録価値、高」
「ノアちゃん、そこは記録しなくていいです!」
「重要記録です」
リナが賞状を持ち上げる。
「問題は、これをどこに飾るかね」
その一言で、全員の空気が変わった。
サッちゃんは即座に手を挙げた。
「私の賞状など、物置の隅で十分です!」
「却下」
リナが即答した。
「早い!」
「物置は湿度管理が不十分。紙の保管に向かないわ」
「理由が実務的!」
ユウトも頷いた。
「いや、そもそも物置はダメでしょ。ちゃんと見える場所に飾ろうよ」
サッちゃんは困ったように眉を下げる。
「でも、目立つところに飾るのは……その、自慢みたいで……」
メグミが軽く手を振った。
「いいじゃん。自慢しなよ。世界大会だよ? 私だったら玄関に置いて、来客全員に説明する」
「それはそれで強い」
ユウトが苦笑する。
ミナミがタブレットに候補地を表示した。
「案その一。玄関正面。来客インパクト最大」
リナが即座に首を振る。
「過度な自己主張に見える可能性があるから、却下」
「案その二。リビング中央。家族内視認率最大」
「生活導線の邪魔にならないなら候補ね」
「案その三。地下ラボ入口」
「却下」
「まだ理由言ってない」
「地下ラボだとあなた以外の視覚に入らないでしょ」
ミナミが不満そうに頬を膨らませる。
「じゃあ案その四。サッちゃんの部屋」
サッちゃんがびくっとした。
「わ、私の部屋ですか!?」
ノアが真剣に頷いた。
「先輩の精神安定に寄与する可能性があります」
「でも、自分の部屋に自分の賞状を飾るのは……!」
メグミがにやりと笑う。
「寝る前に見て、にやにやする?」
「しません!」
ユウトは少し考えてから、リビングの壁を見た。
そこは、朝食や夕食の時に自然と目に入る場所だった。派手ではない。けれど、ちゃんと家の中にある場所。
「俺は、リビングのこの辺がいいと思う」
サッちゃんが顔を上げる。
「ご主人様?」
「毎朝見える場所がいいな。サッちゃんが頑張った証拠だし」
サッちゃんの動きが止まった。
耳どころか、頬まで赤くなる。
「ま、毎朝……見える……」
メグミが口元を押さえる。
「あー、これは効いたね」
ミナミが小声でプリズミアに言う。
「今のログ取った?」
プリズミア《もちろん♡ 告白未満、効果大》
「違うからね!?」
ユウトが慌てる。
リナは壁の位置を見て、静かに頷いた。
「悪くないわ。来客導線からは少し外れる。家族の生活導線からは見える。自慢ではなく、記録として適正ね」
ノアもメモする。
「リビング東側壁面。視認性良好。警備性、中。尊さ、高」
「ノアちゃん、最後の評価基準は何ですか!」
「内部管理項目です」
サッちゃんは賞状を胸に抱えたまま、少しだけ俯いた。
「……本当に、そこに飾ってもいいんでしょうか」
ユウトは笑った。
「うん。俺は見たいよ」
サッちゃんは小さく息を吸って、ゆっくり頷いた。
「では……お願いします」
◇
そこからが、なぜか本番だった。
賞状を飾るだけ。
普通の家なら、額縁を用意して、壁にかけて終わりだ。
だが、ここは朝比奈邸である。
ミナミは早速、三種類の額縁案を表示した。
「通常額縁。耐震額縁。自律姿勢制御額縁」
リナが眉を動かした。
「最後は何」
「地震や衝撃で傾いても、自動で水平を保つ額縁」
「過剰」
「でも便利だよ?」
「費用は?」
ミナミは視線を逸らした。
「……夢のある価格」
「却下」
ノアが別の案を出す。
「賞状周辺に簡易警戒線を設定します。接近時、許可者以外には警告を――」
「不要です!」
サッちゃんが慌てて止める。
「ですが、先輩の栄誉を守る必要があります」
「賞状は栄誉ですが、警戒線を張ると事件現場みたいになります!」
メグミが笑った。
「“ここでホームキーパー賞が保護されています”って感じになるね」
ユウトはリナが用意していた額縁カタログを見ながら言う。
「普通の額縁でいいんじゃない?」
リナが頷いた。
「賛成。予算内で質の良いものを選ぶ。過剰装飾は不要。ただし、安すぎるものは劣化が早い」
サッちゃんは少し驚いた顔をした。
「リナ、ちゃんと良いものを選んでくださるんですね」
リナは淡々と答える。
「当然よ。これは朝比奈邸の記録だから」
その言葉に、サッちゃんはまた少しだけ照れた。
「朝比奈邸の記録……」
プリズミア《幸福度スコア上昇。リナ、優しさを業務に偽装中♡》
「削除」
プリズミア《削除申請は受理しました。審査期間:友情が続く限り♡》
「長いわ」
ミナミがにやっとする。
「リナ、世界大会から帰ってきてから柔らかくなったよね」
「通常運用よ」
「ごほうび予算とか、記念備品費とか、交流維持費とか」
「最後の項目はまだないわ」
「“まだ”なんだ」
リナは無言で帳簿を閉じた。
メグミが小声でユウトに言う。
「リナさん、だいぶ朝比奈邸に染まってるよね」
「うん。でも本人は絶対認めないと思う」
「業務よ、って言うやつだ」
「言うね」
リナが二人を見る。
「聞こえているわ」
「すみません」
◇
昼前。
リナが手配していたシンプルな木目調の額縁が届いた。
派手すぎず、安っぽくもない。リビングの壁に自然に馴染み、賞状そのものがちゃんと主役になる額縁だった。
「サイズ適合。保護性能も問題なし。価格も妥当」
リナが確認する。
メグミが頷いた。
「いいじゃん。朝比奈邸っぽい」
ユウトも頷く。
「うん。これ、いいね」
サッちゃんは額縁とユウトを交互に見た。
「ご主人様も、良いと思われますか?」
「うん。いいと思う」
「では、これが最良です!」
「俺の一言で決まるの?」
「はい! ご主人様確認済みモデルです!」
「急に業務用品みたいにしないで」
ミナミが壁際で工具箱を開こうとする。
「取り付けは任せて。レーザー水平器と微振動補正マウントが――」
「マウント不要」
リナが止める。
「でも水平は大事だよ?」
「水平器だけ許可」
ノアが手を挙げる。
「設置中の周辺警戒を担当します」
「いらないと思うけど、まあ立ってるだけなら」
メグミが笑う。
「賞状一枚飾るだけで、現場感すごいね」
ユウトが壁に額縁を当て、リナが位置を確認する。ミナミが水平を見る。ノアがなぜか廊下側を確認している。メグミが「職人チームみたい」と呟く。
サッちゃんは少し離れた場所で、両手を胸の前で組んでいた。
「サッちゃん、そんなに緊張しなくても」
ユウトが言うと、サッちゃんは真剣に答えた。
「これは、朝比奈邸の歴史的設置作業です」
「額縁かけてるだけだよ」
「ですが!」
サッちゃんは賞状を見つめる。
「世界大会でいただいたものが、朝比奈邸に入るんです」
ユウトはその言葉に、少しだけ表情を柔らかくした。
「そっか」
最後に、額縁が壁へかけられた。
淡い木目の額縁に入ったホームキーパー賞は、リビングの壁に自然に馴染んでいた。
派手ではない。
けれど、ちゃんとそこにある。
朝比奈邸の中に、世界大会の光が少しだけ残ったようだった。
◇
サッちゃんは、少し離れた位置でそれを見つめていた。
「……本当に、飾られてしまいました」
ユウトは隣に立つ。
「うん。いい感じだね」
「はい」
「毎朝、見えるね」
サッちゃんの肩が小さく跳ねた。
「ご主人様、それは……その……」
「頑張った証拠だから」
ユウトは自然に言った。
「俺も、見るたびに思い出せるし。サッちゃんが世界大会で頑張ったこと」
サッちゃんは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく言う。
「……私も、思い出せます」
「何を?」
「世界一ではなくてもいいってことです」
ユウトはサッちゃんを見る。
サッちゃんは賞状を見つめたまま、続けた。
「アリアさんみたいに完璧ではなくても、クララさんみたいに強くなくても。私は、朝比奈邸のメイドとして、ここにいていいんだって」
ユウトは少しだけ表情を柔らかくした。
「うん。ここにあるのが、ちょうどいいと思う」
「賞状が、ですか?」
「賞状も。サッちゃんも」
サッちゃんの顔が一気に赤くなる。
「ご、ご主人様……!」
メグミが背後で口元を押さえた。
「はい、今の強い」
ミナミが端末を構える。
「ログ保存」
プリズミア《甘味度、急上昇♡》
「だから違うって!」
ユウトが慌てる。
リナが淡々と言った。
「否定が早い時ほど危険ね」
「それ、俺にも適用されるの!?」
ノアはメモパッドを開き、真剣に記録していた。
「ご主人様、先輩に対し“ここにあるのがちょうどいい”と発言。先輩、頬の赤み急上昇。分類タグ――」
「ノアちゃん!?」
「内部管理項目です」
リビングに笑い声が広がる。
サッちゃんは両手で頬を押さえながら、それでも賞状をもう一度見た。
額縁の中の文字は、変わらずそこにある。
最優秀生活運用賞。
朝比奈邸のリビングに飾られた、小さな誇り。
世界大会の眩しさは、もう遠い。
でも、その光はちゃんとここに残っていた。
サッちゃんは、そっと胸に手を当てる。
「明日も、頑張ります」
ユウトが笑った。
「うん。でも、普通の朝でいいからね」
「普通の朝……」
サッちゃんの目が真剣になる。
「では、普通を高水準で安定供給します!」
リナが即座に言った。
「良い目標ね。ただし過剰品質は禁止」
「はい!」
ミナミがにやりと笑う。
「明日の朝食、また防衛線できるかな」
「作りません! ……たぶん」
リナが目を細める。
「たぶん、は禁止」
メグミが笑い、ユウトも笑った。
ノアは小さくメモを取る。
「朝比奈邸、通常運用へ復帰。ただし幸福度、微増」
プリズミア《微増じゃないよ。けっこう増えてる♡》
サッちゃんは賞状の前で、少しだけ背筋を伸ばした。
世界一より、帰る場所。
その答えは、今日からリビングの壁にある。
そして明日の朝も、きっと少しだけ騒がしい。
【第61話・完】




