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第59話「ご主人様の一日は、競技種目ではありません」

 世界大会三日目。


 国際迎賓館の控室で、ユウトは配られた競技資料を見つめていた。


 そこには、今日の課題名が大きく書かれている。


 主人観察・生活運用部門。


 ユウトは、ゆっくり顔を上げた。


「……これ、俺が巻き込まれるやつだよね?」


 リナは資料をめくりながら、淡々と頷いた。


「高確率ね。むしろ、巻き込まれない方が不自然」


「不自然でいいんだけど」


 メグミが隣でにやにやしている。


「ご主人様の一日、ついに世界大会で審査されるんだ」


「俺の一日を競技にしないでほしい」


 サッちゃんは、いつになく真剣な顔で資料を読み込んでいた。


「ご主人様の一日を、最も健全に運用……」


 ミナミがタブレットを覗きながら言う。


「健康、安全、快適性、本人意思の尊重、継続可能性、過干渉の有無。けっこう総合評価だね」


 最後の項目を聞いた瞬間、メグミがサッちゃんを見る。


「過干渉の有無」


 リナも資料から目を上げた。


「重要項目ね」


「皆さん、なぜ私を見るんですか!?」


 ユウトが苦笑する。


「まあ、今日の一番の課題かもね」


 サッちゃんは胸に手を当てた。


「大丈夫です。私は昨日、学びました。守るとは、自由を奪うことではありません」


「うん」


「ですので本日は、ご主人様の一日を完璧に――」


「その“完璧”がもう怖い」


 ユウトが即座に止めた。


 サッちゃんは固まった。


「……えっ」


 灰島ツバメが審査員席の方から歩いてきて、静かに告げる。


「今日の課題は難しいわ。相手の一日を整えるということは、相手の選択に触れるということだから」


 サッちゃんは背筋を伸ばした。


「相手の選択……」


「支援と管理は似ている。でも、同じではないわ」


 その言葉に、サッちゃんは小さく頷いた。


     ◇


 最初に模擬運用を行ったのは、アリア・ベルモンドだった。


 彼女の主人役は、貴族風の老紳士。アリアは朝から夜までの一日を、驚くほど美しく整えていた。


 起床時間。室温。朝食。新聞の位置。午前の散歩。昼食。読書時間。就寝前の紅茶。


 すべてが自然だった。


 主人役が椅子へ向かう前に、椅子は引かれている。

 手を伸ばす前に、本が届く。

 小さく咳をすると、温かい飲み物が用意される。


「すごい……」


 サッちゃんは思わず呟いた。


 ユウトも感心している。


「本当にすごいね。何も言わなくても全部出てくる」


 メグミが小声で言う。


「でも、私だったら自分がダメ人間になりそう」


 リナは頷いた。


「完成度が高すぎる支援は、本人の判断機会を減らす場合があるわ」


 アリアの一日は、完璧だった。


 ただ、その完璧さの中で、主人役は一度も迷わなかった。


 迷う必要がなかったからだ。


 それは美点でもあり、少しだけ怖さでもあった。


 次に、クララ・ヴァイスが模擬運用を行った。


 彼女の主人役は、若い外交官。スケジュールは安全最優先だった。


 外出ルートは三種類。危険度ごとの迂回路。食事は体調維持に必要な栄養計算済み。来客は事前選別。移動中の立ち位置も指定され、休憩時には背後を壁にする。


 安全だった。


 とにかく、安全だった。


「これは……警備計画ね」


 リナが淡々と言う。


 メグミが続ける。


「生活っていうか、重要人物護送作戦って感じ」


 クララは主人役に短く告げる。


「左側は視界が悪い。右側を歩け」


「え、ああ、分かった」


「予定外の立ち寄りは禁止する。確認のない飲食も避ける」


「……分かった」


 主人役は安全だった。誰も近づけない。何も起きない。


 けれど、彼はほとんど自分で選んでいなかった。


 サッちゃんは黙って見ていた。


 アリアは完璧に整える。

 クララは徹底的に守る。


 どちらも、すごい。


 どちらも、自分にはまだ届かない技術がある。


 そして、どちらにも少しだけ、息苦しさがあった。


     ◇


 サッちゃんの番が来た。


 主人役は、当然、ユウトだった。


 ユウトは競技用の椅子に座り、妙に緊張した顔をしている。


「俺、今日は何をすればいいの?」


 灰島が答えた。


「普段通りでいいわ。むしろ、普段通りでいなさい。サッちゃんが、あなたの一日をどう扱うかを見る課題だから」


「俺の一日、扱われるのか……」


 メグミがにこにこしながら言う。


「大丈夫。何かあったら感想言ってあげるから」


「それはそれで怖い」


 サッちゃんは大きな模造紙を広げた。


「では、ご主人様の一日を設計します!」


 そこには、すでに細かい文字がびっしり書かれていた。


 リナが覗き込む。


「……作成済み?」


「はい! 昨夜、予習しました!」


 ユウトは嫌な予感しかしなかった。


 模造紙には、朝から夜までのスケジュールが分単位で書かれている。


 六時三十分、起床。

 六時三十二分、体調確認。

 六時三十五分、朝食前水分補給。

 六時四十分、栄養防衛朝食。

 七時十五分、袖確認。

 七時十六分、予備袖確認。

 七時十七分、予備予備袖確認。


「袖確認多くない?」


 ユウトが言うと、サッちゃんは胸を張った。


「昨日の反省を踏まえ、時刻指定にしました!」


「反省の方向が違う」


 さらに下へ続く。


 通学ルートA、B、C。

 緊急時避難路。

 休憩時の姿勢管理。

 水分摂取タイミング。

 精神安定用お茶時間。

 不審者対応想定。

 夕食前軽運動。

 就寝前安全確認。


 メグミがしばらく見つめて、言った。


「これ、ユウトの一日っていうより、ユウト運用マニュアルだね」


 ノアが真剣に頷く。


「完成度は高いです。ただし、本人自由度が低い」


 ミナミがタブレットで簡易評価を出す。


「安全性は高いね。幸福度は……拘束時間が多いから微妙」


 リナが短く言う。


「管理ね」


 その一言に、サッちゃんの手が止まった。


「管理……?」


 リナは模造紙を指で軽く叩く。


「安全で、丁寧で、細かい。でも、ユウトが自分で選ぶ時間がほとんどないわ」


「でも、これはご主人様のために……」


「ええ。だから危ないの」


 サッちゃんは言葉を失った。


 ユウトは模造紙を眺めながら、少し困ったように笑った。


「サッちゃん。俺を守ってくれるのは嬉しいよ」


「はい……」


「でも、この予定表だと、俺の一日なのに、俺があんまりいない感じがする」


 その言葉が、サッちゃんの胸に刺さった。


 俺の一日なのに、俺がいない。


 守りたいと思った。整えたいと思った。失敗しないようにしたかった。


 でも、それはもしかして、ご主人様の一日をサッちゃんの手の中に全部入れようとしていたのではないか。


 サッちゃんは、アリアの完璧な一日を思い出した。

 クララの安全な一日を思い出した。

 そして、昨日の迷子の女の子の手を思い出した。


 抱き上げなかった。

 引っ張らなかった。

 歩けるまで待った。


 なら、ご主人様の一日も同じなのではないか。


 サッちゃんは、模造紙を見つめた。


「……ご主人様」


「うん」


「今日は、何をしたいですか?」


 ユウトは少し驚いた。


「俺?」


「はい。ご主人様の一日ですから」


 会場が少し静かになった。


 ユウトは少し考える。


「朝は普通にコーヒー飲みたいかな。学校がある日なら、急かされすぎずに出たい。帰りに本屋に寄れたら嬉しい。あとは、家で少しぼーっとする時間が欲しい」


「ぼーっとする時間」


「うん。何もしない時間」


 サッちゃんは真剣にメモを取った。


「何もしない時間……重要項目……」


 メグミが笑いをこらえる。


「サッちゃん、何もしない時間まで任務化しそう」


 サッちゃんは一瞬はっとした。


「しません! ……たぶん」


 リナが即座に言う。


「たぶん、は禁止」


「はい!」


 サッちゃんは新しい紙を取り出した。


 今度は、分単位では書かなかった。


 朝。

 昼。

 放課後。

 夜。


 大きな枠だけを作る。


 その中に、最低限の支援を書き込む。


 朝食は、体調に合わせて選べるように二案。

 通学ルートは、安全な道を提案するが、最終選択はユウト。

 休憩時間は、何もしない時間として確保。

 帰り道の寄り道候補に、本屋。

 夕食は、みんなで食べる。

 困った時は、声をかけてもらう。

 声をかけられるまでは、待つ。


 サッちゃんは最後に、大きく一文を書き足した。


 ご主人様が、自分で選ぶ時間。


 灰島の目が、少しだけ細くなった。


 ロレンスが審査員席で小さく笑う。


「いいね。ようやくらしくなってきたかな」


 サッちゃんは紙を持ち上げ、ユウトに見せた。


「ご主人様。これは、どうでしょうか」


 ユウトはそれを読んで、少し笑った。


「うん。こっちの方がいい」


「本当ですか?」


「うん。俺の一日って感じがする」


 その言葉に、サッちゃんの表情が明るくなった。


 灰島が静かに言う。


「やっと、支援になったわね」


 審査員から、短い模擬運用の指示が出た。


 ユウトは用意された模擬通学路の前に立つ。サッちゃんはいつものように一歩後ろに立ちかけて、少しだけ距離を開けた。


「ご主人様。通学ルートは、正面の大通りが安全です。ただ、右側の道を通ると本屋があります」


「じゃあ、右側に寄ってもいい?」


「はい。帰りに寄りましょう」


「朝から寄らないんだ」


「朝は遅刻リスクがありますので」


「ちゃんと現実的だ」


 ユウトが笑うと、サッちゃんも少し笑った。


 次に、模擬休憩スペース。


 サッちゃんはお茶を用意しかけて、手を止めた。


「ご主人様。お茶を飲みますか? それとも、今は何もしない時間にしますか?」


 ユウトは少し考えた。


「今は、何もしないでいいかな」


「分かりました」


 サッちゃんは一歩下がった。


 何もしない。


 それは、サッちゃんにとって意外と難しかった。


 でも、ユウトは少し肩の力を抜いていた。


 その表情を見て、サッちゃんもようやく理解した。


 何もしない時間も、守るものなのだ。


     ◇


 結果発表では、アリアが高得点だった。


 美しさ、完成度、生活導線、接遇。どれも圧倒的だった。


 クララも、安全管理とリスク低減で高評価を得た。


 サッちゃんは、総合点では二人に届かなかった。

 計画の完成度はまだ粗い。見積もりも甘い。生活運用としては、経験不足も目立つ。


 だが、評価欄にはこう書かれていた。


 本人意思の尊重:高評価。支援と管理の切り分けに改善傾向あり。


 サッちゃんは、結果表を両手で持ったまま小さく息を吐いた。


「また、改善傾向……」


 ユウトが笑った。


「成長中ってことだね」


「はい」


 そこへアリアが近づいてきた。


「サッちゃんさん」


「アリアさん」


「あなたの計画は、粗いです」


「はい!」


「ですが、最後の余白は良いものでした」


「余白……」


 アリアは静かに言う。


「完璧な一日は、時に本人のものではなくなる。今日、少し理解しました」


 サッちゃんは驚いてアリアを見た。


 アリアは表情を崩さない。だが、その声は昨日より少しだけ柔らかかった。


「あなたは、整えきらないことを選んだのですね」


「選んだというか……ご主人様に返したかったんです。ご主人様の一日なので」


「良い答えです」


 サッちゃんの目が輝く。


「ありがとうございます!」


 その後ろから、クララも歩いてきた。


「自由を残す安全は、難しい」


 サッちゃんはクララを見る。


「はい」


「管理すれば、事故は減る。だが、本人の行動力も減る」


 クララは短く言った。


「判断保留だ。だが、学ぶ価値はある」


 メグミが小声で言う。


「クララさんの判断保留、だんだん褒め言葉に聞こえてきた」


 クララはメグミを見た。


「褒めてはいない」


「はい」


 リナが結果表を確認して言う。


「累計順位を見る限り、決勝進出圏内ね」


 サッちゃんが顔を上げる。


「本当ですか!?」


 その時、会場アナウンスが響いた。


『総合運用決勝への進出者を発表します』


 ホールの空気が変わった。


 名前が順に呼ばれていく。


 アリア・ベルモンド。

 クララ・ヴァイス。

 ほか数名。


 そして――


『朝比奈邸所属、サッちゃん』


 サッちゃんは一瞬、固まった。


 次の瞬間、ぱっとユウトを見る。


「ご主人様!」


「やったね、サッちゃん」


「はい!」


 ノアは勢いよくメモを取る。


「サッちゃん先輩、決勝進出。記録価値、最高」


 ミナミが笑う。


「これは盛り上がってきたね」


 リナは資料を閉じた。


「次が本番ね」


 メグミはユウトの肩を軽く叩く。


「ご主人様、明日も頑張って」


「俺、もう完全に競技関係者だね」


 その時、ロレンスが審査員席から歩いてきた。


「決勝進出、おめでとう」


 サッちゃんは姿勢を正す。


「ありがとうございます!」


 ロレンスはにこりと笑った。


「最後の課題は、予定通りにはいかないよ」


 サッちゃんは瞬きをした。


「予定通りに……いかない?」


 灰島が横から静かに言う。


「総合運用決勝。そこで問われるのは、あなたが今まで学んだこと全部よ」


 サッちゃんは、招待状を受け取った日のことを思い出した。


 世界一のメイド。


 その言葉はまだ遠い。


 でも今は、その遠さが少しだけ怖くなくなっている。


 アリアが静かに立ち、クララが腕を組んでいる。


 完璧なメイド。

 強いメイド。

 そして、自分。


 サッちゃんは胸に手を当てた。


「ご主人様」


「うん」


「私、明日もちゃんと考えます。勝つためだけじゃなくて……私が、どんなメイドになりたいのか」


 ユウトは頷いた。


「うん。見てるよ」


 世界大会四日目。


 最後に問われるのは、サッちゃんの答えだった。


【第59話・完】

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