第56話「招待状は、なぜかメイド世界大会から届きました」
朝比奈邸の朝は、少しだけ落ち着きを取り戻していた。
もちろん、“朝比奈邸基準で”だ。
リビングでは、ミナミがスマホを睨んでいた。
「プリズミア。運動不足解消率のログ、まだ残ってるんだけど」
プリズミア《健康ログは愛です♡》
「愛を免罪符にしないで。削除」
プリズミア《削除申請は受理しました。審査期間:永遠♡》
「最悪のクラウドサービスね」
ダイニングテーブルでは、リナが帳簿を開いている。以前より封筒の分類が増え、その間には淡い青のガラスの栞が挟まっていた。
メグミがそれに気づいて、にやっと笑う。
「リナさん、その栞、使ってるんだ」
「読書効率が向上しているわ」
「かわいいから使ってるんだね」
「訂正しなさい」
リナの声は淡々としていたが、栞をしまう手つきは少しだけ丁寧だった。
その隣では、ノアがメモパッドを開いている。姿勢は相変わらず綺麗だが、以前よりほんの少し肩の力が抜けていた。
「ノアちゃん、今日は休憩何分?」
ユウトが聞くと、ノアは顔を上げた。
「本日の休憩予定は七分です」
「まだ一桁なんだ」
「前回比四十パーセント増です。大幅改善です」
メグミが頷く。
「言い方は仕事だけど、ちゃんと増えてる」
そこへ、サッちゃんが朝食の皿を運んできた。金髪を揺らし、黒と白のエプロンをきちんと整えている。動きは以前より落ち着いている。少なくとも、皿は飛んでいない。
「皆様、朝食です! 本日は健康維持と士気向上を両立した構成です!」
リナが皿を見る。
「悪くないわ。焦げもない」
「ありがとうございます!」
「ただし、ブロッコリーが防壁のように配置されている」
「栄養防衛線です!」
「食卓に防衛線を作らないで」
ユウトが笑い、フォークを取ろうとした――その時だった。
玄関のチャイムが鳴った。
全員の動きが、ほぼ同時に止まる。
「……朝のチャイムって、だいたい何かあるよね」
ユウトが呟くと、サッちゃんは即座に姿勢を正した。
「確認します!」
「拳は?」
「使いません!」
リナがすかさず言う。
「否定が早い時ほど危険ね」
サッちゃんは少しだけ頬を膨らませたが、玄関へ向かった。
しばらくして戻ってきた彼女の両手には、妙に格式高い厚手の封筒があった。封蝋まで押されている。
「ご主人様。国際便です」
「国際便?」
ユウトが封筒を受け取り、宛名を見た。
そこには、丁寧な字でこう書かれていた。
『朝比奈邸所属 メイド:サッちゃん様』
サッちゃんが固まる。
「……私宛て?」
ミナミがソファから身を乗り出した。
「なにそれ。国際的な請求書?」
「不吉な推測やめて」
ユウトは封筒を開け、中の書状を取り出した。上質な紙。金色の縁取り。見慣れない紋章。そして中央に記された名称。
国際家政奉仕技能競技会出場招待状
サッちゃんの目が、みるみる輝いた。
「ワールド……メイド……グランプリ……!」
ユウトは反対に、少し顔を引きつらせた。
「待って。家政奉仕技能って書いてあるよね。戦闘大会じゃないよね?」
ミナミが横から覗き込む。
「あ、“警護・緊急対応部門”ってあるよ。サッちゃん向きじゃない?」
「そこだけ見ないで」
リナが招待状を受け取り、規約欄を淡々と読み上げる。
「武器使用禁止。過剰破壊禁止。対象者の意思を無視した支援禁止。未申請の外部装備持ち込み禁止。競技中の制圧行為は、審査員判断により減点または失格」
メグミが感心したように言った。
「すごい。サッちゃん対策みたいなルールが並んでる」
「私、対策されていますか!?」
プリズミア《されてるね♡》
「プリズミアまで!」
ノアはすでにメモを取っていた。
「ワールド・メイド・グランプリ。サッちゃん先輩、世界大会案件。分類タグ:重大、尊い、要記録」
「ノアちゃん、最後のタグ必要ですか!?」
「必要です」
その時、また玄関のチャイムが鳴った。
ユウトは書状を持ったまま、玄関の方を見る。
「……今日は朝から豪華だな」
サッちゃんが玄関へ向かう。戻ってくる前に、聞き覚えのある声が廊下から響いた。
「やあ。招待状、届いたみたいだね」
リビングに現れたのは、ロレンス・ウィンダミアだった。いつものように肩の力が抜けた笑みを浮かべているが、その目はよく見ている。
その隣には、灰島ツバメ。靴を揃える所作ひとつで、空気が整う。彼女はサッちゃんを見るなり、静かに言った。
「説明に来たわ。誤解したまま準備されると、会場が壊れるから」
「壊しません!」
サッちゃんは即答した。
リナが小さく言う。
「やはり危険ね」
「リナさん!」
ロレンスが楽しそうに笑った。
「この家、否定が早い時はだいたい準備が過剰なんだよね」
ユウトは苦笑しながら、二人を席へ案内した。
◇
ロレンスは招待状をテーブルに広げ、軽く指で叩いた。
「国際家政奉仕技能競技会。世界各国から、家政、接遇、警護、生活運用に優れたメイドや執事、家政官が集まる大会だ」
メグミが目を丸くする。
「メイドの世界大会って、本当にあるんだ……」
「表向きは華やかな技能競技会だよ。紅茶、清掃、調理、礼法、接遇。どれも本格的だ」
「表向きは?」
ユウトが聞くと、ロレンスはにこりと笑った。
「裏側では、特殊な経歴を持つ家政・警護人材の実力確認と国際交流も兼ねている。とはいえ、今回は陰謀も爆破もなし。少なくとも予定上は」
ミナミが小さく呟く。
「予定上は、って言った」
灰島は淡々と続けた。
「競うのは戦闘力じゃないわ。評価されるのは、生活を壊さず整える力。対象者が安心して過ごせる空間を作れるかどうか」
リナが頷く。
「健全運用の国際大会、という認識でよさそうね」
「リナさんの言い方だと、急に事務局っぽい」
メグミが笑う。
灰島は招待状の部門欄を指差した。
「基礎家政、接遇、警護・緊急対応、主人観察・生活運用。そして総合運用決勝。細かい競技内容は会場で発表されるわ」
サッちゃんは真剣な顔で聞いていた。
「掃除、洗濯、調理、接遇、警護、生活運用……全部、朝比奈邸で必要なことです」
「だから呼ばれたの」
灰島の言葉に、サッちゃんは少し息を呑んだ。
ユウトは招待状を見ながら、素直な疑問を口にする。
「でも、なんでサッちゃんなんですか? 有名なメイドってわけじゃないですよね」
ロレンスは、さっきまでより少しだけ真面目な顔になった。
「黒百合出身で、戦闘能力があるメイドは珍しくない。世界にはいろんな経歴の家政人材がいるからね」
サッちゃんの背筋が、わずかに伸びる。
「でも、そこから“家を壊さない方向”に変わろうとしている子は珍しい」
ロレンスの言葉に、リビングが静かになる。
灰島が続ける。
「最近のあなたは、助けるだけじゃなく、見守ることを覚えている。ミナミ、リナ、ノア。周囲への支援の質が変わっているわ」
ミナミが少し目を丸くする。リナは黙って紅茶を見つめ、ノアはメモを取る手を止めた。
サッちゃんは驚いたように聞いた。
「よく見ているんですね」
「経過観察よ」
灰島は当然のように答える。
サッちゃんは招待状を見つめていた。輝いていた目に、少しだけ迷いが混ざっている。
「世界一のメイド……」
その言葉は強くて、眩しかった。
今まで、守りたいと思ってきた。役に立ちたいと思ってきた。ご主人様のために、朝比奈邸のために、もっと良いメイドになりたいと思ってきた。
でも、世界一。
その言葉は、自分の中にまだなかった。
称号が欲しいのか。強さを証明したいのか。それとも、世界のメイドたちを見れば、自分が何になりたいのか分かるのか。
サッちゃんはユウトの方を向いた。
「ご主人様。私、出たいです」
ユウトはすぐには頷かなかった。少しだけ真面目な顔で聞く。
「勝ちたいから?」
サッちゃんは拳を握りかけて、ゆっくり開いた。
「……分かりません。もちろん、出るなら頑張りたいです。負けたくないです。でも、それだけじゃなくて」
招待状の文字を見る。
「世界のメイドさんたちを見たら、私が何になりたいのか、もっと分かる気がします」
ユウトは少しだけ笑った。
「なら、行こう」
「いいんですか?」
「うん。俺も見たい。サッちゃんが、どんなメイドになっていくのか」
サッちゃんの表情が、ぱっと明るくなる。
「はい!」
その瞬間、ミナミが手を挙げた。
「じゃあ、大会用の家政支援外骨格を――」
「却下」
リナの声が早かった。
「まだ仕様書も出してないのに!」
「名前で却下」
サッちゃんは少しだけ残念そうにした。
「支援外骨格……」
「サッちゃんも惹かれない」
ユウトが止める。
ロレンスは笑いながら言った。
「競技によっては、主人役や補助観察役が必要になる。君たちにも同行してもらうことになるね」
「俺も?」
「もちろん。ユウト君はサッちゃんの主人役だろう?」
ユウトは妙に緊張した顔になる。
「俺、国際大会で主人役やるの?」
メグミが楽しそうに言った。
「ご主人様、世界進出だね」
「やめて。急に肩書きが重い」
リナはすでに規約を読み込んでいた。
「同行者の役割を整理するわ。ユウトは主人役。私は規約と運用管理。ミナミは技術ログ確認。ただし未申請装備は禁止。ノアは記録係、ただし休憩義務あり。メグミは一般人視点」
メグミが自分を指差す。
「私、世界大会に何しに行くの?」
「一般人視点は重要よ。この家には不足している」
「否定できないけど、言い方」
ノアは背筋を正した。
「私は記録係として同行します。サッちゃん先輩・世界大会運用記録を作成します」
「ノアちゃん、またですか!?」
「必要です」
プリズミア《分類タグ:尊い世界進出♡》
「プリズミア。タグ管理に介入しないでください」
プリズミア《了解。見守ります♡》
「その見守り方、少し不安です」
◇
説明が終わる頃には、朝比奈邸のテーブルは大会資料でいっぱいになっていた。
サッちゃんはすでに準備リストを書き始めている。
「予備エプロン、救急セット、裁縫道具、清掃道具、タオル、携帯用洗剤、非常用ロープ、折り畳み式盾、小型カラーコーン――」
「盾とロープとカラーコーンは不要」
リナが即座に止める。
メグミが資料を見ながら言った。
「むしろ、この大会、サッちゃんが普通に参加するだけで警戒区域になりそう」
「メグミさん!」
ミナミは少し離れたところで、何やらタブレットにメモしていた。
「ミナミ。何を書いているの」
リナが低く聞くと、ミナミは笑顔で画面を伏せた。
「ただの応援プランだよ」
「画面に“非公式支援ドローン”と見えたわ」
「気のせい」
ロレンスはそのやり取りを見て、肩をすくめた。
「この調子なら、会場入り前に一回予選が必要かもしれないね」
ユウトは苦笑するしかなかった。
灰島は帰り支度をしながら、サッちゃんに近づいた。
「サッちゃん」
「はい」
「世界大会は、あなたを褒めるためだけの場所じゃないわ。比べられる。迷う。たぶん、悔しい思いもする」
サッちゃんは背筋を伸ばした。
「はい」
「でも、逃げる必要はない。あなたはもう、壊すだけの子じゃない」
その言葉に、サッちゃんの瞳が少し揺れた。
「世界には、いろんな正解があるわ。完璧なメイド。強いメイド。美しいメイド。効率的なメイド。安全を最優先するメイド。そこで、自分の答えを見つけなさい」
「私の答え……」
「拳で探すのは禁止」
「はい!」
リナが静かに言う。
「だから否定が早い」
ロレンスが笑った。
ロレンスは玄関へ向かいながら、ユウトの横で少しだけ足を止める。
「彼女は、ずいぶん変わったね」
「まだよく暴走しますけど」
「変わっても、全部は変わらないさ。そこがいいんだろう?」
ユウトはサッちゃんを見た。
彼女は招待状を大事そうに持っている。目は輝いているが、そこにはただの興奮だけでなく、少しの緊張もあった。
「……そうですね」
ユウトは小さく笑った。
◇
ロレンスと灰島が帰ったあと、リビングには少しだけ静かな時間が流れた。
サッちゃんは招待状を見つめている。
ユウトは隣に座った。
「緊張してる?」
「少しだけ」
「珍しいね」
「世界には、すごいメイドさんがたくさんいるんですよね」
「うん」
「完璧な人も、強い人も、綺麗な人も……私よりずっと、メイドらしい人も」
ユウトは少しだけ考えてから言った。
「でも、朝比奈邸のメイドはサッちゃんだけだよ」
サッちゃんはゆっくり顔を上げた。
「ご主人様……」
「世界大会で何を見るかは、サッちゃんが決めればいい。でも、俺はいつものサッちゃんも、今のサッちゃんも、ちゃんと知ってるから」
サッちゃんの表情が少し緩む。
「はい。私、行ってきます。世界のメイドさんたちを見て、ちゃんと考えてきます」
「うん」
「そして、会場は壊しません!」
「そこは最初からお願いね」
サッちゃんは胸の前で拳を握った。
「目指します。壊さない世界大会!」
リナが遠くから言う。
「目標設定が低い」
メグミが笑う。
「でも朝比奈邸的には大事」
ノアはメモパッドを開き、静かに書き込んだ。
「サッちゃん先輩、世界大会参加決定。備考:ご主人様の一言により士気上昇。分類タグ――」
「ノアちゃん?」
「……内部管理項目です」
プリズミア《分類タグ:尊い♡》
「プリズミア!」
その騒がしさの中で、サッちゃんはもう一度、招待状を見た。
世界一のメイド。
その言葉はまだ遠い。
でも、遠い場所を見ることは、怖いことばかりではなかった。
◇
同じ頃。
国際迎賓館の一室では、出場者資料が静かに並べられていた。
一人の少女が、白い手袋をした指で資料をめくる。長い淡金の髪。深い青を差した正統派のメイド服。所作には乱れがない。
アリア・ベルモンド。
彼女の視線が、一枚の資料で止まった。
「朝比奈邸所属、サッちゃんさん……特殊経歴の候補者ですか」
声は静かで、涼しい。
「所作より先に、温度を見るべき相手かもしれませんね」
別のテーブルでは、銀髪を束ねた少女が立っていた。黒と白の戦術的なメイド服。余計な動きは一切ない。
クララ・ヴァイス。
彼女は同じ資料に目を落とし、短く言った。
「元黒百合。なら、警護部門で会うことになるな」
アリアが静かに視線を向ける。
「あなたは、強さを見るのですね」
「守れるかどうかを見る」
「私は、整えられるかどうかを見ます」
二人の視線が、資料の中の名前に落ちる。
サッちゃん。
まだ会ったことのない、朝比奈邸のメイド。
世界大会の幕は、静かに上がろうとしていた。
【第56話・完】




