7話
「奥様、旦那様がお越しになりましたよ」
「あ、はい、どうぞ」
ソニアが目覚めてから3日が経過した。
その間、クラレンスは空いた時間を利用してソニアの元を訪れ、ソニアの手を握りながら調子を確認してくる。
これまで一切関わってこようとしなかったクラレンスが突然親身になり、毎回手を握ってくる状況に、ソニアは未だに混乱していた。
(どうして旦那様は、私のところに来られるようになったのかしら?)
「ソニア、調子はどうだ?」
「はい、お医者様は順調だとおっしゃいました。そろそろ歩いてみてもいいだろうと」
死にかけになった体は、目覚めたからと言ってすぐに元通りというわけにはいかなかった。
手足はもとより、体内の臓器の活動すら低下。今日になってやっと普段通りの食事に戻れたけれど、それまでは消化によいパン粥だった。
「そうか。なら、リハビリには私が付きそうとしよう」
「えっ!?」
そして今日にいたっては、リハビリに付き合うという。
それに驚きの声が上がるのは当然だった。
「…私ではイヤか?」
「い、イヤとかではないのです…けど、お忙しいのでは?」
悲しそうな表情をしたクラレンスに、ソニアは拒否などできるわけがない。
以前ソニアはクラレンスについて、公爵家当主であると同時に魔法師団第二部隊隊長も務めているという話を聞いていた。
正直ピンとこないけれど、忙しそうだということくらいは分かる。そのクラレンスにリハビリの手伝いなど畏れ多いのではないかと思ってしまう。
「問題ない。その程度の時間は作れる」
「…じゃあ、お願いします」
そうソニアが言うと、クラレンスは破願して喜びを見せる。それにソニアの鼓動が高鳴った。
(うぅ…本当にどうされたのかしら、旦那様は。でも、聞くのもなんだか怖いし…)
クラレンスにエスコートされ、部屋を出ると廊下を歩き、階段を下りて中庭へと向かう。
エスコートはソニアのペースに合わせてゆっくりと進んだ。階段を下りる時は手だけでなくそっと腰も支えてくれ、その安心感にソニアはよどみなく歩くことができた。
それに、ずっと繋がれたままの手から伝わる温かさが、ソニアの心を癒してくれる。
(どうしてかしら。旦那様に手を握ってもらうと、それだけで安心してしまうのは)
この3日間、幾度となく握られる手。その手から伝わる温かさは、死の淵で闇に沈んでいたソニアを癒やし、引っ張り上げてくれた光と同じだ。
目覚めたときには握られていたけれど、もしかしたらその前から握ってくれていたんじゃないか。死の淵にいたソニアを引き上げてくれたのはクラレンスではないのだろうか。
そう思うけれど、なんとなく聞けずじまいでいる。
(だって、旦那様が私なんかを助けてくれる理由がないもの)
ソニアの中には、初めて出会ったときのクラレンスの冷たいまなざしが今も残っている。それに対し今のクラレンスのまなざしは正反対だ。その理由を知らないソニアからすれば、それでいいじゃないかなどと、簡単に受け入れられるものではない。
一緒に中庭を歩いていく。美しい中庭を歩くとき、いつも傍らにいたのはマリーだった。
今はクラレンスが手を引いてくれる。
(どうしてかしら…いつもと同じ庭のはずなのに、普段より明るく見えるわ)
これまで、確かに近くにはマリーがいてくれた。しかしそれは、あくまでも使用人として一歩引いた立場で後ろに控えていた。仕方ないと思いつつ、それをどこか寂しいと思ったこともある。
今は違う。クラレンスが限りなく近い立場で隣にいてくれる。一人ではなく、二人で歩いている。それが、ソニアにとってはうれしかった。
その様子を庭師含めた使用人は暖かく見守っている。
どんなに彼らが尽くそうとも、主人と使用人という立場は覆られない。本当の意味で心の支えとなれるのは、ソニアの伴侶のみ。
これまでその立場にあったはずのクラレンスは、なぜかソニアを拒否し、避けていた。
しかし、ソニアは死にかけてから態度が一変。毎日ソニアを見舞い、今日はリハビリとしてエスコートしてくれる。
使用人たちは主人の心変わりに疑問を感じつつも、ソニアに向けられる温かい笑顔に偽りは感じない。それに何より、ソニアが戸惑いながらそれを受け入れている。だからマリーを始めとした使用人たちは、主人を信じ、見守っていた。
「そろそろ休憩しようか」
中庭のガゼボの近くまでくると、クラレンスがそう提案してきた。それにソニアがうなずくと、クラレンスに手を引かれ、ガゼボに用意されたベンチへ向かう。ソニアが先に座り、その隣にクラレンスが腰を下ろした。
すかさずマリーが飲み物とお菓子を用意していく。座った瞬間、思った以上の疲労感が襲い、ソニアは息を吐いた。
「疲れたか?」
「えっと…はい、少し」
「すまない、私が歩かせ過ぎたな」
「いいえ!私が、その……」
ソニアはチラッと繋がれたままの手を見た。
クラレンスの手は、相変わらずソニアの手を離さない。それが気恥ずかしくあり、同時に温かさと心感もある。
その手に引かれるのがうれしくて、つい歩くのを止められなかった。
しかし、クラレンスはソニアの視線の意味を違う意味に捉えてしまったようだ。
「っ!すまない、私が手を握っていたせいで止まれなかったのだな」
そう言ってクラレンスは手を離した。途端に手からぬくもりが消え、ソニアの目は無意識に離れていくクラレンスの手を追う。
当然、クラレンスは自分の手に向けられるその視線に気づいた。
「ソニア…?」
「な、何でもありません!」
ソニアは目線をテーブル上の紅茶とお菓子に向けた。
どうしてクラレンスの手を見つめていたのか、恥ずかしくて追求されたくない。
クラレンスは、ソニアの耳がほんのり赤くなっていることに気付くと、微笑みを浮かべてそれ以上の追及をしなかった。
紅茶とお菓子で一息ついたとき、クラレンスは切り出した。
「ソニア、今回のことで君に話しておきたいことと、聞きたいことがある」
それにソニアは体をビクッと震わせる。
それは、ソニアとメリアの間にどんな関係があるのかを話さなければならないということだ。ソニアは小さく、「はい…」と答えた。
つい、クラレンスの顔を見たくなくて顔を伏せてしまう。クラレンスはそんなソニアの様子に、彼女が話したくないことがあるのだろうと察する。
(だが、話してもらわないといけない。今回のようなことを二度と繰り返さないために)
「まず、君が瀕死に陥ってしまったことについてだ」
「……」
「主治医が診たとき、君には目立った外傷も病気の兆候もない。にもかかわらず、極めて危険なレベルで衰弱していた。そこで私が君を見たとき、魔力が枯渇していることに気付いた。だが、マリーに聞いても君が魔法を使ったというのを見ていないという。…答えてほしい。君は、魔力を異母妹に奪われたのではないか?」
「…それ、は……」
ソニアはクラレンスがそこまで分析していることに驚いた。そして正解していることに。
だけど、それに答えることができない。
もし答えてしまえば、きっと魔力暴走の件も話さなければならない。そうなったとき、クラレンスに、使用人のみんなに、祖父に嫌われたら…そう思うと、口が紐で縫われたみたいに開かなかった。
「………」
「………」
場を沈黙が支配する。クラレンスはソニアが答えるのを待っている。
俯くソニアは、膝の上でギュッと手を握り締める。そこに、クラレンスの手がそっと重ねられた。
「…君が魔力を枯渇した状態になっていると気付いた時、私は一つの処置を施した。魔力の譲渡だ」
「えっ…?」
その言葉に、ソニアはクラレンスを見上げた。ソニアを見る瞳は、以前の冷徹さがどこに行ったのかと疑いたくなるほどに優しい。だが眉尻は下がり、そこに後悔の色が見える。
「君の体に魔力を送りこんでいる時、私はずっと後悔していた。君のことをもっと見ていれば、こんな目に合わせることは無かったはずだと。マリーにも聞いた。君は何度も異母妹に呼び出され、その度に寝込んでいたんだな?」
「……はい」
ソニアはそのことについてだけ答えた。クラレンスは続ける。
「君は異母妹に会いたい様子ではなかったと聞いている。だがそれでも、会いに行くことをやめない。いや、やめられないというところか。私は、もう君をそんな危ない目に合わせたくない。そのためにも、君がどうして異母妹に会っているのかを、知りたいのだ」
「旦那、様…」
(どう、して……そこまで、私のことを…)
クラレンスがそこまでソニアのことを気遣ってくれるのか、それは分からない。だけど、彼は本気で自分のことを心配し、どうにかしたいと本気で考えている。それだけは鈍いソニアでも分かった。
自身の魔力を送ってまで助けてくれたクラレンス。その彼に、これ以上黙ったままでいることはソニアにはできそうになかった。
(あの暗い闇の中で照らしてくれた光は、旦那様の魔力だったんわ…)
それが分かると、もうクラレンスの存在はソニアの中では無視できないほどに大きくなっていた。
ただ命の恩人というだけではない。
もっと深い、ソニアにとって欠かせない人になるほどに。
もし、言ってしまって嫌われたら…そう不安になる気持ちは変わらない。けれど、彼に隠しごとをしたまま不誠実でいる方が、今のソニアにとっては耐えられなかった。
ソニアは一度目を伏せ、ギュッと目をつむる。そして、覚悟を決めて目を見開き、顔を上げた。
クラレンスの金の瞳と、ソニアの青の瞳が向き合う。
クラレンスのの真摯な瞳に、ソニアは口を開いた。
「実は…」
ソニアは淡々と語り続けた。
母が10歳の頃に亡くなったこと。
母が亡くなった直後に父が後妻と連れ子を屋敷に連れてきたこと。
それがショックで、魔力暴走を起こしたこと。
魔力暴走を父と後妻に責められ、異母妹には消えない傷をつけたことで使用人のように扱われたこと。
その罰としてずっと魔力を奪われ続けてきたこと。
それは結婚してからも続いていたこと。
今回瀕死になったのは、メリアがソニアに苛立ちを感じ、普段よりも多くの魔力を奪ったことが原因であること。
全てを話し終えたソニアはそっと目を伏せた。
ずっと大人しく聞いてくれたクラレンスが、今何を考えているのかを知るのが怖い。
スッとソニアの体にクラレンスの両腕が回り、抱きしめた。
「旦那様…?」
「…ソニア、よく、今まで頑張ったな」
「旦那…様…」
「ずっと、耐えてきたんだな。聞かせてくれて、ありがとう」
クラレンスからの感謝に、むしろ感謝をしたいのはソニアのほうだ。
存在価値など無いと何度もなじられた。そんなソニアの話を静かに聞いてくれたこと、受け入れてくれたことが、何よりうれしかった。
ソニアもクラレンスの背中に腕を回し、弱弱しくも抱き締める。それに一層クラレンスの抱き締める力が強くなる。
「旦那様……」
「ソニア、もう大丈夫だ。私が君を、必ず守ると誓おう」
「っ!」
クラレンスの言葉を、誰かに守ってほしいと、どれだけ望んだことか。
胸に湧き上がる、歓喜。それをクラレンスに正しく伝えるには、ソニアはまだ幼かった。
「うれしい、です。旦那様…」




