9話
ソニアのエスコートを終えて部屋に戻らせた後、クラレンスは王宮へと向かった。
まず行うべきは、ソニアの異母妹であるメリアの逮捕手続きだ。
罪状は呪具の所持と、魔力強奪による現行犯。
マリーの話では、異母妹はいつも使用人に大量の買い物袋や箱を持たせた状態で現れると言う。護衛の類はいないようだが、念のために部隊を動かせるようにしておいたほうがいいだろうと考えた。
それに、今回の件は異母妹一人で済む問題ではないはずだ。リベルト家も関わっているはず。なら、メリアの逮捕を機に、リベルト家への家宅捜査も行わなければならない。
リベルト家はどうやって呪具を入手したのか。それはもしかすれば、王都の不審死事件の解決につながる糸口になるかもしれない。
だからこそ、慎重に動く必要がある。
クラレンスはまず魔法師団団長にこれまでの経緯を説明し、ソニアを囮にした魔力強奪の現行犯逮捕を行うことを伝えた。
団長は自身の妻を囮にするクラレンスを厳しい目で見つめたが、クラレンスは一歩もひるまない。
「妻が被害者だからこそ、犯人には何が何でも罪を償わせるべきです」
その強い決意に、団長は渋々作戦許可を出した。
作戦決行はメリアがソニアの魔力を奪いに来る日。
待ち合わせのカフェにはクラレンス率いる第二部隊を数名配置。さらに逮捕と同時にリベルト家屋敷を強制捜査。こちらは魔法師団第二部隊と騎士団第二部隊との合同作戦だ。人数が必要なのと、抵抗を受けた際に魔法士だけでは過剰防衛になりかねない。そこで、騎士団からも応援してもらうことにした。
その翌日、メリアからの返信が届いた。
どうやら相当焦っているらしく、次の待ち合わせを2日後に指定してきた。
日付が決まったとき、クラレンスの耳にある情報が飛び込んできた。
「…欠席した?」
「はい。フランコス公爵主催のお茶会で、いつもはメリア嬢の魔法獣による炎舞があるのですが、昨日はお茶会自体を欠席したらしいです」
「なるほどな。やはりそういうことか」
フランコス公爵主催の茶会に忍び込ませていた部下からの報告によると、メリアがお茶会を欠席したらしい。十中八九、本来奪うはずだったソニアの魔力が無いため、炎舞ができないから逃げたのだろう。
メリアは他にも、魔力量の多さで第二王子との婚約も決まっている。
彼女はソニアから奪った魔力で、自分の価値を高めている。それがクラレンスには許しがたかった。
(待っていろ。もうすぐその化けの皮を剥がしてやるからな)
報告を聞いたあとのクラレンスは静かに怒りを溜めていた。周囲には怒りにより放電が起きており、隊員たちは誰も近づこうとしない。
同時に、クラレンスはフランコス公爵についても考えていた。
フランコス公爵は王宮では大臣を務め、その娘は側妃であり、第二王子の母である。
王政の中枢に位置する人物だが、一部では問題もある。
フランコス公爵は貴族至上主義者であり、平民をゴミと言ってはばからないのだ。
一方、国王は生まれに関わらず能力によって採用する能力主義を貫いている。そのため、今の国王が即位してからは平民から優秀な文官や騎士、魔法士が採用されるようになり、国力は上がっている。
だがフランコス公爵はそれに真向から異を唱え、平民を排除すべきだと何度も進言していた。
今は進言するだけにとどまっているが、果たしてそれだけかとクラレンスは怪しみ始めている。
(平民だけが犠牲になっている魔法士。魔力枯渇。魔力強奪呪具を持つリベルト家の令嬢。そのリベルト家はフランコス公爵派の貴族。これが全く別々の案件か、それとも…)
思い込みは目を曇らせる。
そう思いつつも、一度頭に浮かんだ最悪の構図は、クラレンスの頭から離れない。
もしかすれば、王宮を揺るがす大事件になるかもしれない。そんな予感をしていた。
****
メリアとの待ち合わせが明日に控えた今日。
ソニアは今日もクラレンスのエスコートで、庭に出ていた。
一度は瀕死に陥り、3日も寝込んだのだが、クラレンスの献身的なリハビリの手伝いもあって回復は順調である。
リハビリでは必ずクラレンスはソニアの手を握ってくれる。
自分よりも大きく、温かく、安心できる手。その手に握られるのが、ソニアにとっては何よりもうれしい。
ガゼボに着くと、二人はベンチに腰を下ろした。
「ソニア、明日への不安は無いか?」
クラレンスは気づかわし気にソニアに尋ねた。
明日、囮役をすることに不安はある。だがそれ以上に、これからの人生への期待がソニアの中にはあった。
ソニアにとっては、これまでの辛い人生に終止符を打つ瞬間だ。明日が過ぎれば、もうメリアに怯える日々は無くなるだろう。
クラレンスからは、呪具所持と魔力強奪の罪が合わされば、もうソニアと会うことはないだろうと言われている。
「確かに、不安です。でも、旦那様が近くにいてくれますから」
ソニアを笑顔をクラレンスに向けた。
それは、クラレンスのことを全面的に信頼している笑顔だ。そんな笑顔を向けてくれることに、クラレンスは喜びと後ろめたさを感じていた。
(酷い態度を取った男を、ここまで信頼してくれるとは…!その信頼、必ず応えねばなるまい)
当日の準備は万端だ。一切の抜かりはない。クラレンスは明日に向けての気合を一層入れ直した。
一方ソニアは、気遣ってくれるクラレンスに特別な感情が芽生え始めているのを自覚している。しかし、それは決して叶わぬものだと知っていた。
(ずっと…旦那様の元にいたい。でも、ダメよね。1年後に離縁するって、決めてるんだもの)
それに、クラレンスには想い人がいるのではないかという疑惑もある。今はソニアが死にかけたということで気遣ってくれるだけで、ソニアを好きになったとかそういうわけではないはずだ。
であれば、この気持ちは封印するべき。
(それまでは、旦那様にできる限り御恩をお返ししていかないと)
クラレンスは命の恩人だ。その恩は一生をかけてでも返しきれるとは思えない。だからこそ、わずかなことでもクラレンスのためになることであればしてあげたい。
その気持ちで、明日を待った。
****
作戦当日。
ソニアはマリーの手によって整えられ、部屋を出た。玄関ホールに向かうと、そこには魔法師団の隊服に身を包んだクラレンスがいた。
黒を基調とした隊服をクラレンスはきっちりと着こなし、その普段と違う雰囲気にソニアの胸は高鳴る。
(旦那様、素敵……はっ!だ、ダメよ。今日は大事な日なんだから)
ぶんぶん首を振って雑念を消していると、ソニアが来ていることに気付いたクラレンスは破願した。だが、今日の目的を思い出したのか、すぐに表情を引き締める。
「ゴホン!ソニア、準備はできたか?」
「はい、旦那様」
「では、行こう」
スッとクラレンスの手が差し伸べられた。それが何の意味を持つのか、淑女教育を受け始めたソニアでも分かる。
ソニアはそっと自分の手を乗せると、慣れ親しんだ温かい手に心まで温かくなった。
(旦那様の手は、いつも温かくて、安心するわ)
そのままエスコートされると、馬車へと乗り込む。マリーも乗り込み、馬車は出発した。
「では、最後にもう一度確認するぞ」
クラレンスの言葉に、ソニアもマリーもうなずいた。
ソニアとマリーはこれまでと同じく、カフェで待機。
クラレンスはメリアに顔が割れているため馬車で待機し、何かあればすぐ駆け付けられるようにしておく。
周囲には私服に着替えた第二部隊の隊員が待機している。
ソニアは、魔力が奪われていると気付いたらカップを落として知らせること。
それを合図にクラレンス以下第二部隊がメリアたちを拘束する。
作戦の肝は、ソニアが魔力強奪に気付いた瞬間にカップを落とすコト。
魔力強奪時には、あらかじめカップを手に持っておくこと。奪われる瞬間は、ソニアの体を虚脱が襲い、声を上げることすら難しくなる。そこで、カップを持っておくことで、虚脱を利用してカップが手から抜け落ちるのを利用するのだ。
そのためにはソニアが先に着き、ドリンクを注文しておかないといけない。メリアはいつもソニアを数十分待たせて来るから、その準備をしておくことは簡単。
…のはずだった。
もうすぐカフェの近くに着くため、馬車を降りる準備をしていたとき、御者(第二部隊隊員)からクラレンスへ焦った声が届いた。
「どうした?」
「…対象が、既にカフェにいます」
「何!?」
「えっ」
一気に車内が緊張に包まれた。
のぞき窓からクラレンスが確認する。確かに、カフェのテラス席に場違いなほどの派手な紫色のドレスを着た令嬢が見える。あの目立つ金髪は、確かにメリアだ。
どうして今日に限って、待ち合わせより早く来ているのか。ソニアは一つの可能性に思い至る。
「もしかして、前に魔力を奪えなかったから…?」
「その可能性が高い。よほど、君の魔力が必要な事態が迫っているんだろう」
「どうなさいます、旦那様?」
マリーに問いかけられ、クラレンスは考え込んだ。
問題なのは、どうやって奪われているかを表すかだ。しかも、事前に配備した隊員たちには、もう指示の修正ができない。
カップを落とすのは、割ることで大きな音を上げることが目的だ。
馬車の停車位置は、カフェでの話し声が聞こえないくらいの距離にある。他の隊員も不審がられないよう、それくらいの距離をとっている。それなりに音が出るような、分かりやすい合図が必要だ。
マリーは、カフェではソニアと少し離れた距離を取っている。今日に限って距離を詰めるのは不自然だ。
(いや、今回なら問題ないか?)
クラレンスは前回と状況が違うことを思いだす。今回は一度ソニアの体調不良を理由に断っている。それを盾にすれば、不自然ではないだろうと考えた。
「マリー、今日はソニアのすぐ後ろに付けるか?」
「大丈夫ですが、怪しまれないでしょうか?」
「いけるだろう。聞かれれば、『前回倒れたから』で押し通せ。おそらくだが、それ以上は怪しんでこないだろう」
「かしこまりました」
マリーの了解が取れたところでクラレンスはソニアへと向き直る。
ソニアはグッと構えた。
「今日はマリーを背後に付ける。もし魔力を奪われたら、これを落とせ」
クラレンスは懐から硬貨を取り出した。
それをソニアの手に乗せる。
「そしてマリーは、ソニアが硬貨を落としたら叫び声を上げろ。その瞬間、私は雷狼を伴って馬車から飛び出す。そうすれば他の隊員にも合図と分かるはずだ」
「は、はひ、分かりました」
緊張でソニアは声が上ずってしまった。
クラレンスは両手で、硬貨を乗せたソニアの手を包み込む。
「…不安になるな、とは言えない。だが、私たちが付いている。必ず君を助けるからな」
「…はい!」
ソニアは力強くうなずいた。
(大丈夫、旦那様が付いてるんだから。だから、旦那様のために頑張らないと)
そうして馬車はいつもの場所に停車した。
まずはマリーが、次にソニアが下りていく
ソニアはゆっくりとカフェへと進み、そのすぐ後ろにマリーが付いていく。
メリアに近づくにつれ、苛立っている様子が分かった。
椅子に座っているが行儀悪く足を汲み、テーブルをひたすら指で叩いている。そしてその顔は、こちらをにらみ殺さんとばかりだ。
その後ろには使用人たちもいる。だが今日は手ぶらで、それどころか誰もが顔を上げていない。
使用人たちは激昂しているメリアの矛先が向かないよう、息を殺していた。
恐るべき形相に一瞬ソニアの足が止まりかけるが、マリーの手がそっと背に添えられる。
(大丈夫、大丈夫よ。私は、一人じゃないんだから)
マリーに勇気をもらい、ソニアは歩みを止めない。
そしてあと5歩というところで、メリアがたまらず声を上げた。
「遅い!いつまで私を待たせるのよ、お姉さまの分際で!」
ダンとテーブルに手を叩きつけ、メリアは怒りをあらわにした。周囲の通行人は何事かと目を向けるが、メリアは気にした様子を見せない。
これにマリーは怒りを湧き上がらせる。
(ソニア様の分際で、ですって?今はソニア様は公爵夫人、それに対してたかが侯爵令嬢の分際で何様かしら!全く毎回この子娘は……でも、今回限りだわ)
額に青筋を浮かべつつも、マリーは表情を変えない。
ソニアはメリアの怒りに体を震わせながらも、席に近づく。
どんなに自分のほうが立場が上だとしても、クラレンスが見守ってくれていると分かっても、身体に染みついたメリアとの精神的優位性はそう簡単に覆らない。
「も、申し訳ありません…」
「さっさと座りなさい!まったく、愚図なんだから!」
ダンダンとさらにテーブルをたたき、さらにメリアは催促してきた。
そのとき、テーブル上に乗った、メリアが飲んだと思われるコップが揺れ、落ちそうになっている。
「危ない!」
それに焦ったソニアはとっさに手を伸ばし、コップを掴んだ。
(あ、危ないわ…コップを落としたら、他の皆さんが勘違いして出てきてしまうところだもの)
まだ魔力を奪われていない。今出てこられたら、作戦はパーだ。
だが、そんなソニアの内心など知らず、メリアはニヤリと笑った。
「あらぁお姉さま?先日の手紙では体調不良で来られないって書かれてしましたけど?ずいぶんと元気な様子ね」
そう言うとメリアは手袋をした手を伸ばし、コップを掴んだままのソニアの手を掴んだ。
その瞬間、ソニアの体に緊張が走る。
「その元気、私にも分けてもらいたいわ」
メリアが言い終わると同時に、ソニアの体から力が抜ける。
(っ!魔力が、うば、わ)
コップを掴んだ手と、コインを握っている手。両方から力が抜け、どちらも同時に石畳へと落ちた。
コップの割れる音と、コインの落ちる音。両方が場に響き渡る。
それに半テンポ遅れてマリーの悲鳴が響いた。
「キャーーーーーー!!」
「な、なに!?」
マリーの叫び声に、メリアは何事とマリーへと顔を向ける。
次の瞬間、周囲の通行人に扮した隊員と、馬車からクラレンスが飛び出した。
「ソニアから手を離せ!」
クラレンスの怒声は離れたソニアたちにも届いた。
メリアは今度は声の持ち主へと顔を向ける。そこには憤怒の形相でこちらに走ってくる軍服姿の男が、しかも傍らに光り輝く狼の姿ある。
「ひっ!」
それにメリアは恐怖を抱き、ソニアの手を離してしまった。
少しとはいえ魔力を奪われたソニアはその場でテーブルに突っ伏す。それを見たクラレンスは、冷静に雷狼を疾走させる。
「ぎゃああ!!」
瞬きも無い時間で雷狼はメリアに襲い掛かった。雷狼が触れた瞬間、メリアを雷撃が襲う。
雷撃に気絶したメリアはそのまま地面へと倒れた。
「奥様!」
「ソニア!」
マリーもクラレンスも、突っ伏したソニアへと寄り添う。
「大……丈夫……です…」
奪われた魔力は多くは無いけれど、奪われる感覚そのものがソニアから力を奪う。
途切れ途切れに言葉を紡ぐソニアに、クラレンスはすぐさまソニアを抱き上げた。
「っ!旦、那…様…?」
いきなり抱き上げられて混乱するソニアをよそに、クラレンスの元には気絶したメリアや使用人を捕縛した隊員たちが集まる。
「隊長、全員捕縛しました」
「ご苦労。包囲隊への連絡は?」
「すでに出発しております」
「よし。全員を王宮へ連れていけ。ああ、そこの令嬢が付けている手袋が、呪具の可能性がある品だな」
「はい、確認されますか?」
「ああ」
メリアの腕から手袋が外され、クラレンスの前に差し出される。クラレンスの腕はソニアを抱きかかえてふさがっているため、見るだけだ。
抱き上げられたままのソニアは、口をはさむことができず、大人しくそのままでいるしかない。
手袋はパッと見た感じ、普通の白い手袋にしか見えない。
「……裏返してみろ」
「はっ」
隊員が手袋を裏返してみる。すると、怪しげな文様が裏地にびっしりと刻まれていた。
「やはり、これが呪具であることは決定だな。重要な証拠だ。絶対に無くすな」
「はっ!」
「それと…その手袋をしていた手をこちらに見せてくれ」
「? はい」
隊員は不思議そうにメリアの腕をつかみ、クラレンスの前に差し出す。
気絶し、ダランとしたままの腕を、ソニアはじっと見つめた。
「………ないです」
「…そう、だな」
メリアの腕には何の傷跡も無かった。何の傷も、汚れも無い、苦労知らずな綺麗な腕。
傷跡が無いことを確認した瞬間は、ソニアの心の中にあった負い目が消えていく瞬間でもあった。
その後、メリアと使用人たち、そして呪具は王宮へと護送されていった。
今頃、リベルト家を包囲していた隊のほうでも強制捜査が始まっているだろう。
隊員たちが後始末に奔走しているころ、クラレンスはソニアを抱えて馬車に乗り込んだ。
もちろん、後からマリーも乗り込んでいる。
「旦那様、もう、大丈夫、ですよ?」
奪われた感覚で一時的に身体は虚脱状態だったが、すぐに回復している。
ソニアはそう伝えるが、クラレンスはソニアを膝に乗せたまま離してくれる様子はない。
「…無理しなくていい」
「えっ?」
「震えているぞ」
クラレンスはソニアの手を包み込むように握る。そこでようやく、ソニアは自分が震えていることに気付いた。
「すまない。そして……ありがとう」
「っ……私、旦那様のお役に立てましたか?」
「無論だ。これでもう、君が傷つけられることはない」
「はい。……ありがとうございます。旦那様…」
握られた手の温かさ、膝上に抱かれている安心感。ソニアの中で張りつめていた緊張の糸は、やっと切れた。
目を閉じるとスッと気を失ったソニアは、クラレンスの胸にもたれかかるように眠っている。
それを穏やかな顔でクラレンスは眺めた。
(あとはあの異母妹とリベルト家が、不審死事件とどう関係しているのか。それにはもうソニアは関わらなくていい。彼女は、やっと自由なんだ)
ずっと辛い思いをしてきたソニアが、やっと解放される。そのことにクラレンスは喜びを感じていた。