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ターナー兄弟と霧の森の王  作者: 雨笠 篁
起篇《異世界転移編》
12/21

#9 決着


「––––––アイザワ……ケイジと、言ったか……」


 遠くで、青年の声が聞こえた。

 掠れる声で、自分の名前を呼んでいた。

 その声が、上から聞こえているのか、下から聞こえているのかも分からなかったが。

 それでも慶次は満足気に、口角を持ち上げた。


「………ああ、覚えたかよ」


 自分の拳は、果たして届いたのか否か。

 そんなことは、もうどうでも良かった。


 ただ、出し切れた。


 こんな、どこかも分からない場所で、誰かも分からない相手に。

 皮肉なものだと、今更ながら思う。

 かつて、自分は死んだように生きていた。

 あの世界で、自分は、死に続けていた。

 目的もなく、未練もなく、当て所もなく。


 いつも、誰かの生を羨んで、いつも、誰かの生が羨ましかった。

 あの二人が––––––あの生者の輝きが、眩しくて、羨ましくて、憧がれていた。

 彼らの背中を、いつもずっと後ろから眺めるだけだった。


 しかしどうだ、今自分は、これ以上ないくらいに生きているではないか。

 これまでになく、生きてみたではないか。

 彼らのように、やれたではないか。


 だから、満足だ。

 これ以上なく、満足だった。


 例えここで敗れ、命を失う結果となったとしても。

 この相手に、この世界に、確かに自分は、生きた証を残せたのだから。


 ––––––よお、主人公(ヒーロー)共。

 ––––––俺もやってみたぜ。どうよ、これで俺も……。


 霞む視界の向こうにいつかの二人の顔を見ながら、慶次は満足に、殊更満足に笑って、意識を手放した。

ずるり––––––と、膝が落ちる。


「フッ、ああ。貴様の拳、貴様の生き様。しかと––––––」


 青年も応じるように笑って、

 笑って––––––ゴポリ、と。

 血の塊を口から溢した。


「しかと––––––この身に刻み込んだ」


 ガクン、と、腕を引かれたような感覚に、薄れかけた慶次の意識は皮一枚繋がる。

 倒れ込んだ慶次の体は、地面への途中で落下を阻まれていた。


 青年の胴体を貫いた、己の右腕に支えられることで。


「そうか……届いてたか」


 ほのかに感じる拳の感触が、それを現実と伝えてくる。

 直後、慶次の拳が貫いた青年の胴体が、ボロリと砂のように崩れ、支えを失った慶次は後ろに倒れ込む。

 低くなった視界が、ぽっかりと穴の空いた青年の胴体の向こう側の景色を映した。

 胴に空いたその穴は自壊し、徐々に向こうに見える景色を広げていく。

 青年は腹に空いた穴に手を触れ、触れた先から指先が崩れ落ちる。

 そうして崩れゆく己の掌を、青年は目を細めて見つめていた。

 それはなぜだか、どこか満たされたかのような表情で。


「……死ぬのか、あんた」


 その顔には、覚えがある。

 遠い遠い昔、どこかで見た男の顔と、よく似ていた。

 鏡の前で見た、男の顔と。


「何故、貴様がそのような顔をする?アイザワケイジ」


 そんなこちらの表情を見て、青年は微笑みと共にそう問う。


「……死にたくなくて、泣いてたんじゃないのか?あんた」

「我が嘆きは、望まぬ終わりに対するもの。誇りなき結末に対してのもの」


 複眼を柔く細め、青年は空を仰ぎ見た。

 かつて己が自由に飛び回っていたその空は、今は遥か遠く。

 飛ぶための翅すら、パリパリと音を立てて砕けていく。

 

「我ら蟲の眷属にとって、死は魂の一つの形に過ぎない。魂はまた形を変え、この森の命の循環に還るだけのこと」


 しかし己は、最期にあの空よりも高い場所へ飛べたのだ。

 それができたのは、間違いなく––––––、


「そなたとの我が生涯最期の闘争は、実に愉快であった」


 礼を言う、アイザワケイジ。


 と、青年は地面に横たわる勇敢なる挑戦者に感謝を述べる。

 全身をズタズタに切り裂かれ、周囲に夥しい量の血を撒き散らし、己の武器である拳の一つまでも差し出して。

 それでもこの男は、この自分から『勝利』をもぎ取ってみせた。

 ––––––見事だ。

 ––––––実に、見事であった。

 ボロボロと、端から肉体が崩れていく。

 しかし今や、こうして朽ちゆく己が誇らしくも思える。

 ––––––よもや、戦いの中で終われるとは。


「………へっ………俺も楽しかったぜ」


 慶次は地面に横たわりながら、朦朧とする目を青年へと向ける。

 霞む視界は、青年の姿を明瞭には映してはくれない。

 しかし徐々に縮んでいくその輪郭だけは、霞む視界で把握できた。


「せめて……あんたの名前も知りたかったんだがな」

 

 言って、慶次はゆっくりと目を閉ざす。


 贅沢を言うなら。

 我儘を言うなら。

 望みを言えるなら。

 自分の全てをぶつけられた、この青年の名と共に果てたかった。

 自分の名だけ持たせて、この青年を終わらせたくなかった。


 ––––––すまない。


 こんなにも楽しかったというのに。

 こんなにも満ち足りたというのに。


 ––––––お前と共に死ぬことのできない俺を、許してくれ。


 そんな、慶次の最期の悔恨。

 声にもならないそんな悔恨に、青年は首を振った。


「………いや、思い出した」


 そう言って、青年は告げる。

 青年は––––––この世界の神は。

 かつて讃えられし己が名を、生涯最期の好敵手へと刻み込む。


「我が名はリヴェリウス––––––リヴェリウス・ミスティア・インセクタル。貴様の殺した神の名だ。ゆめ、忘れるでないぞ。神殺しの英雄よ」


 青年は––––––霧の森の神、リヴェリウスはそう告げて、霧のようにその体を霧散させた。

 己が生まれ出た霧に還るように。

 

 何も無くなった、その空間。

 それを見送って、慶次はゆっくりと瞳を閉じた。


 ––––––忘れねえよ、カミ様。


 と。

 慶次がそう、意識を手放す寸前。


「ギャハハハハハハッ」


 哄笑が、慶次の眠りを妨げる。


「まぁ、そこそこ楽しめたぜ、ニンゲン」


 微かに開けた瞳の先に、小さな足が二つ見えた。

 そんな慶次の瞳を覗き込むように、その妖精は底意地の悪い笑みを向けて言った。


「もう少しばかし、俺様を楽しませてもらうぜ」


 なあ、アイザワケイジ。

 と、慶次の意識が無くなるその瞬間まで。

 その哄笑は森の中を木霊していた。


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