第21話 噂は本当だ
決戦の前日、厄介な噂が領内に広がり始めた。
「奥方様は、公爵家の刺客らしい」
誰が漏らしたのか。あるいは白薔薇が、先回りして撒いた揺さぶりの種か。
噂は瞬く間に領民の間を駆け巡った。決戦を前に、内側から辺境を崩そうという巧妙な一手だ。
領兵の中にも動揺が走った。「あの暗殺者を守るために、俺たちは命を懸けるのか」と。
俺は急ぎ、事態の収拾に動いた。
数値視で、領民一人ひとりの頭上を読む。誰が噂を信じ、誰が動揺し、誰がまだ俺を信じているか。好感の数字は嘘をつかない。
動揺がいちばん大きいのは、若い領兵たちだ。だが、その奥には「不安」はあっても「敵意」はない。彼らは裏切ったのではない。ただ、怖いだけだ。
なら、打つ手はある。
俺は広間に、主だった領民と領兵を集めた。
そして、隠さなかった。
「噂は、本当だ」
ざわめきが、広がる。
「シャルロッテは、公爵家に暗殺者として育てられた。最初は俺を殺すために、ここへ来た。それは事実だ」
俺は、彼らの頭上の数字が不安に揺れるのを見ていた。
「だが、今、公爵が辺境へ刺客を送ってくるのは、彼女がその任務を捨てたからだ。俺を殺すことを、辺境を売ることを拒んだからだ。だから『失敗作』として、彼女ごと俺たちは狙われている」
俺は、一人ひとりの目を見た。
「俺は、彼女を匿うと決めた。過去がどうであれ、今、彼女は辺境のために、刃を公爵に向けようとしている。――それでも彼女を追い出せと言うなら、言え。俺は聞く」
沈黙が流れた。
最初に口を開いたのは、ゴドウィンだった。
「過去が何であれ」
老執事は、ゆっくりと言った。
「今、この砦を共に守ろうとしておられる。ならば、それは――奥方様です」
次に声を上げたのは、あのパン屋の老爺だった。盗賊から孫娘を、シャルロッテに救われた男だ。
「あの奥方様は、うちの孫を助けてくだすった。『体面のため』なんぞと、ぶっきらぼうに言いながらな。……悪いお人にゃ見えねえ」
一人、また一人。
領民たちの頭上の数字が、少しずつ変わっていく。下がっていた好感が、ためらいながら戻ってくる。
広間の隅で、シャルロッテが立ち尽くしていた。
彼女は、信じられないという顔で領民たちを見ていた。指先が胸元で迷い、何かを隠すように握りしめられる。
その頬を、一筋の涙が伝った。
頭上の殺意は、もう随分と低い。
けれど――彼女が辺境に受け入れられていくのに比例するかのように、その首筋の刻印が、彼女が受け入れられるほどに、強く青く灯っていく。それを俺は、嫌な予感とともに見ていた。




