表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/29

第14話 偽りの好意は反転する


 その夜の食卓は、穏やかだった。


 暖炉の火が爆ぜ、葡萄酒が琥珀色に揺れる。シャルロッテはよく笑い、よく話した。中央の社交界の噂話、子供の頃に読んだ物語、辺境の星空の美しさ。

 彼女の頭上の数字は、終始整っていた。殺意は低く、好感は高く。完璧な、寄り添う妻の数字だ。

 俺もそれに付き合った。笑い、頷き、酒を注ぐ。

 二人の間の距離が、少しずつ縮まっていく。彼女が、俺の手に自分の手を重ねた。


「アルヴィス」


 名を呼ばれた。


「もっと、近くに来て」


 来た、と思った。


 俺が身を寄せた、その刹那。

 彼女の袖から刃が滑り出た。食卓のナイフよりも細く鋭い、暗殺用の針。それがまっすぐに、俺の頸動脈へ。

 最高の間合い。最高の好機。彼女の暗殺術の集大成。

 ――けれど。

 俺の手は、すでに彼女の手首を掴んでいた。

 刃が、俺の喉の皮一枚手前で止まる。


 時間が、止まった。

 暖炉の炎の音だけが、やけに大きく響いた。


「最初から」


 俺は彼女の手首を掴んだまま、静かに言った。


「全部、知ってたよ。君が誰で、何をしに来たのかも」


 シャルロッテの瞳が、見開かれる。


「その整いすぎた数字も。今夜の食事の本当の意味も。さっきの『近くに来て』が合図だってこともな」


「……っ、いつ、から」


「輿入れの馬車から降りてきた、最初の瞬間からだ」


 彼女の手から、力が抜けた。

 針が、かちゃりと床に落ちる。

 頭上の数字が、激しく跳ね上がった。


『殺意 95』


 演技の七十九が、一気に九十五へ。

 仮面が剥がれたのだ。作り物の好意が崩れ、追い詰められた殺意だけが残る。

 彼女の唇が白くなるほど噛みしめられていた。手の内を全部見抜かれた暗殺者の顔だった。

 彼女は俺を睨みつけた。憎悪。混乱。そして――その奥で、何かが激しく波立っていた。

 その「奥」を、俺はいつものように視ようとして。

 また弾かれた。真っ暗な盲点。三度目だ。


「殺せ。チャンスだぞ」


 俺は、掴んでいた手首を放した。

 無防備に、喉を彼女の前に晒す。

 針は床に落ちている。だが、彼女の手にはまだ別の刃がある。やろうと思えば、今、できる。

 シャルロッテは、動かなかった。

 九十五の殺意を頭上に掲げたまま、ただ震えている。


「……どうして」


 絞り出すような声だった。


「どうして、知っていて、わたしを生かしておくの。今までも、これからも。馬鹿なの……?」


「さあな」


 俺は肩をすくめた。


「ただ――その九十五は、たぶん君の本心じゃない。俺に怒ってるんじゃない。全部見抜かれて、自分の逃げ場がなくなったことに、怯えてるんだろう」


 シャルロッテは、答えなかった。

 答えられなかったのかもしれない。

 彼女は床の針を拾うことも、新たな刃を抜くこともせず、ただよろめくように立ち上がり、食堂を出ていった。

 残された俺は、床に落ちた針を拾い上げた。

 冷たい、鋼の感触。

 これが、彼女の最後の手札だった。それを使い切らせた。もう彼女には、俺を不意打ちする手段は残っていない。

 ――盤面は、これでこちらのものだ。

 なのに、勝った気が、まるでしなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ