第12話 白百合の刻印
それを見たのは、まったくの偶然だった。
十日目の昼、俺は書斎で領地の帳簿を見ていた。窓の外、中庭の井戸端で、シャルロッテが戦いの汚れを落とすためにうなじを拭っていた。
昨日の魔獣討伐で、髪に枯葉や泥がついたのだろう。彼女はいつも下ろしている銀の髪を片手で持ち上げ、首筋を清めている。
その白いうなじに。
花の形をした薄青い痣のようなものが、刻まれていた。
白百合だ。
精巧な紋様。生まれつきの痣ではない。人の手で皮膚の下に刻み込まれた印だ。
俺はその紋様を数値視で読もうとした。
――読めない。
好感でも殺意でも嘘でもない。数字は浮かばない。だが、ただの装飾でもなかった。目を凝らすほど、首筋の奥に冷たいものが絡みついているように見える。
俺はふと思い当たった。
俺は殺意の高さは視えても、それが彼女自身の意思なのか、何かに強いられたものなのかは区別できない。
もし、あの紋様が刃の向きを縛っているのだとしたら。
彼女が刺せずにいる理由も、刺そうとする理由も、同じ場所につながっているのかもしれない。
俺は書斎を出て、中庭へ向かった。
足音に気づいて、シャルロッテが振り返る。俺の視線が自分のうなじへ向いていることに、彼女は一拍遅れて気づいた。
その瞬間、彼女の動きが凍った。
慌てて髪を下ろし、うなじを隠す。だが、遅い。
「見ないで」
短く、鋭い声だった。
いつもの淑女の声でも、暗殺者の声でもない。
もっと剥き出しの――怯えた、子供のような声。
「それは、何だ」
「……あなたには、関係ない」
「シャルロッテ」
「関係、ないの……!」
彼女は俺を押しのけるようにして、その場を離れた。
頭上の殺意は八十四。昨日とほとんど変わらない。けれど、その数字の意味が、俺の中で変わり始めていた。
この八十四は、本当に彼女のものなのか。
それとも、あの白百合が書いた数字なのか。
夜、俺は寝つけずに窓辺に立っていた。
中庭を見下ろすと、シャルロッテの部屋の窓にも、まだ灯りがある。
彼女もまた、眠れずにいるらしい。
うなじの花を、隠したまま。
――いつか、あれをこの手で解いてやらなければならない。
そんな思いがごく自然に浮かんだことに、俺は自分でも少し驚いた。




