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『白鷺の契約婚 ― 蒼き(難病を持つ)少年と冷徹医師の0日婚―』  作者: AQUARIUM【RIKUYA】
 第1章:「0日婚という選択 ― 白鷺と蒼の出会い」
7/10

第7話「揺れる診断書(病状進行・関係の歪み・感情の自覚)」


朝の病院は、いつも通りだった。


変わらない白い廊下。

変わらない点滴の音。

変わらない看護師の足音。


だが、その“変わらなさ”の中で、夜神蒼爽(20)だけが少しずつ崩れていく。



ベッドから起き上がる動作に、わずかな時間差が生まれた。


手すりを握る指に、ほんの小さな震えが混ざる。


本人だけが気づく変化。


他人にはまだ見えない“崩壊の初期”。



「……あれ」


蒼爽は小さく呟く。


床に足をつけると、わずかにバランスが揺れる。


すぐに立て直す。


それでも――一瞬だけ遅れる。



その時、カーテンが開いた。


「おはよう」


白鷺帆乃香(30)。


白衣の冷たい気配と、整いすぎた声。


いつも通りの“医師の顔”。



「今日の状態は」


カルテを見ながら淡々と問う。


蒼爽は少し笑って答える。


「普通です」


その“普通”が、もう嘘に近いことを彼自身が知っている。



帆乃香はベッドサイドに立つ。


神経学的チェック。


指鼻試験。

歩行確認。

反応速度。



ほんのわずか。


ほんの本当に微細な遅れ。


それを見た瞬間、帆乃香の手が止まった。



(進んでいる)


言葉にしない。


だが、確実にそうだった。



「……少し、進行が早いかもしれない」


医師としての声。


だが、その声はいつもより低い。



蒼爽は少しだけ沈黙したあと、笑った。


「そうですか」



その反応が、帆乃香には一番つらい。



怒らない。

泣かない。

崩れない。


ただ、受け入れる。



それは“強さ”ではなく、“諦めの習慣”に近かった。



診察が終わり、カルテを閉じる。


帆乃香は一瞬だけ視線を落とす。



(この人は、どこまで壊れずにいられる?)



その問いは医師として正しくない。


だが、もう止められない。



その日の午後。


カンファレンスルーム。


帆乃香は報告書を前にしていた。


脊髄小脳変性症の進行速度。


歩行障害の兆候。


構音のわずかな変化。



「予後は厳しいですね」


同僚医師が言う。


当然の結論。



だが帆乃香は、その言葉に返事をしなかった。



ただ、紙の上の数値を見つめていた。



(この数字は、あの人の時間だ)



その瞬間だった。


彼女は気づく。



自分が“患者”ではなく、“個人”として見ていることに。



夜。


病室。


蒼爽はベッドに座っていた。


動きが少しだけぎこちない。


それでも、笑顔はある。



カーテンが開く。


帆乃香。


白衣ではない。



「今日も来たんですね」


「いつも通りよ」



だが今日は少しだけ違う。


帆乃香の視線が、蒼爽の“動き”を追っている。



気づかれている。


それを蒼爽も理解している。



「バレました?」


冗談のように言う。



帆乃香は否定しない。



「少し」



その一言で、空気が沈む。



蒼爽は視線を落とす。


「やっぱり、隠せないですね」



帆乃香は椅子に座る。



「隠す必要はない」



「でも、先生は嫌でしょ」



その問いに、帆乃香は一瞬だけ止まる。



嫌かどうか。


それは医療の言葉では答えられない。



少し間を置いてから、言う。


「嫌ではない」



それは嘘ではない。



蒼爽は少しだけ笑う。


「じゃあ……いいですね」



沈黙。



その沈黙の中で、帆乃香は気づく。



この会話はもう“診察”ではない。



完全に“関係”になっている。



その夜。


帆乃香は病室を出たあと、廊下で立ち止まる。



(私は今、この人を治そうとしていない)



その代わりに考えているのは――



(どうすれば、この人の時間を長くできるか)



それは医師としての思考ではない。



そして同時に。



(どうすれば、この人を失わずにいられるか)



それはもっと危険な思考だった。



一方、病室。


蒼爽は天井を見ていた。



(もう、元の場所には戻れないな)



それでも不思議と怖くはない。



むしろ――



誰かが自分を見ているという事実が、少しだけ温かい。



夜は静かに進む。



白鷺は、もう空の上にはいない。



地上に降りてきてしまった。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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