第5話「高校の残像(双子姉妹登場・過去の接点)」
婚姻届が受理されてから数日。
病院の中での時間は、何も変わらないように流れていた。
点滴の音。
ナースコールの電子音。
規則的な巡回。
そして、白い病室の中で続く“秘密の夫婦生活”。
夜神蒼爽(20)は、まだ入院患者だった。
そして白鷺帆乃香(30)は、誰にも知られない“妻”だった。
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だがその均衡は、静かに崩れ始める。
きっかけは、昼の回診だった。
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「夜神さん、今日も安定していますね」
若い看護師が笑顔で記録を確認する。
蒼爽はいつものように、穏やかに笑う。
「ありがとうございます」
その笑顔は、相変わらず“完璧”だった。
壊れているのに、壊れていないように見える笑顔。
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その後ろで、帆乃香は無言でカルテを見ていた。
いつも通りの冷徹な医師の顔。
だが――ほんの一瞬だけ、蒼爽の横顔を見た。
(この人は、どこまで“普通”を演じられる?)
そう思った瞬間。
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コンコン。
病室の扉がノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、受付からの連絡ではない“来訪者”だった。
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二人の女性。
同じ顔立ち。
同じ空気。
だが、纏う雰囲気は違う。
双子だった。
千蓉と菫。
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蒼爽の視線が、その瞬間わずかに止まる。
「……え?」
ほんの小さな声。
だがそれは、初めて見せた“崩れ”だった。
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帆乃香の目が細くなる。
(知り合い?)
医師としての警戒が一瞬だけ立ち上がる。
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「久しぶり……でいいのかな?」
千蓉が静かに言う。
菫は少しだけ驚いたように蒼爽を見る。
「本当に……夜神くん?」
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蒼爽はゆっくりと起き上がる。
その動作に、わずかな震えが混ざる。
それでも笑顔は崩さない。
「はい……たぶん、そうです」
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その言葉に、双子は顔を見合わせた。
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千蓉が小さく言う。
「高校の時……同じ学年だったよね」
菫も続ける。
「全然話さなかったけど……覚えてる」
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その瞬間。
病室の空気が変わった。
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帆乃香はそのやり取りを見ていた。
(高校時代の接点)
情報が一つ増える。
しかしそれ以上に気になったのは――
蒼爽の“表情の揺れ”だった。
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さっきまで完璧だった笑顔が、ほんの少しだけ乱れている。
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「演劇部と合唱部だったよね」
千蓉が続ける。
「体育祭のとき、少しだけ見た」
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蒼爽は小さく頷く。
「覚えてるんですね……」
その声は、少しだけ柔らかかった。
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その変化を、帆乃香は見逃さない。
(この人が“崩れる相手”がいる)
それは初めて知る事実だった。
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菫が不思議そうに言う。
「でも、なんで入院してるの?」
その問いに、空気が一瞬止まる。
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蒼爽は少しだけ目を伏せる。
「ちょっと……身体がね」
曖昧な答え。
それ以上は言わない。
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帆乃香が横から淡々と補足する。
「進行性の神経疾患です」
冷静な医師の声。
それだけで説明は終わる。
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双子は沈黙する。
そして千蓉が静かに言う。
「……そうなんだ」
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その一言が、やけに重かった。
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面会は短かった。
だが帰り際。
菫が蒼爽を見て言う。
「また……普通に会えたらよかったね」
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その言葉に、蒼爽は少しだけ笑った。
「はい」
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扉が閉まる。
静寂。
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病室に残ったのは、帆乃香と蒼爽だけだった。
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帆乃香はカルテを閉じる。
そして何気なく言う。
「昔の知り合い?」
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蒼爽は少し間を置く。
「高校の時、同じ学年でした」
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「仲が良かった?」
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蒼爽は首を横に振る。
「ほとんど話してないです」
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だがその“間”を、帆乃香は見逃さない。
(違う)
“話していない”のではなく――
“話せなかった関係”だ。
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沈黙が落ちる。
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その夜。
病室。
蒼爽はベッドに横たわっていた。
昼の記憶がまだ残っている。
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(あの時の世界……まだあったんだな)
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そこへ、足音。
カーテンが静かに開く。
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帆乃香。
白衣ではない。
仕事の顔でもない。
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「起きてる?」
「はい」
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いつもの夜の会話。
だが今日は少し違う。
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帆乃香はベッドの横に座る。
そして、少しだけ間を置いて言った。
「今日の人たち……あなたにとって特別?」
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蒼爽はすぐに答えない。
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少し考えてから。
「……特別、というより」
「?」
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「“普通の時間”を知ってる人たちです」
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その言葉に、帆乃香の目がわずかに揺れる。
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“普通”
それはこの病室にはないものだった。
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帆乃香は静かに言う。
「あなたにも、普通はあったのね」
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蒼爽は小さく笑う。
「ありましたよ、少しだけ」
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沈黙。
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その沈黙の中で、帆乃香は思う。
(この人は、まだ“戻れる世界”を持っている)
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そして同時に――
(私は、その世界を奪っているのかもしれない)
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その思考は、医師としては不適切だった。
だがもう止められない。
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帆乃香は立ち上がる。
「明日も来る」
そう言って歩き出す。
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その背中に、蒼爽が小さく言う。
「先生」
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帆乃香は止まる。
振り返らない。
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「今日……少しだけ、懐かしかったです」
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その言葉に、帆乃香は何も答えない。
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ただ静かに扉を閉める。
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廊下に出た瞬間。
彼女はほんの少しだけ息を吐いた。
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(この関係は……正しいのか)
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答えは出ない。
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ただ一つだけ確かなのは。
この病室の中で、誰かの“過去”が静かに生き返り始めたということだった。
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