プロローグ
この世には、生と死、善と悪、光と闇といった相反するものが存在し、それらは互いに引き合いながら世界を形作ってきた。人はその渦の上を歩き、時に歴史を断ち、時に心を引き裂かれる。渦の奥底には、強欲や憎悪、嫉妬といった感情が澱のように溜まり、やがて世界に断章を刻んだ…………
遥か昔、神話の時代。世界を滅ぼそうとした邪神『ゴーザム』が現れた。神々はその力を一つの箱に封じ、ゴーザムを果てなき奈落へと追放した。箱は『ゼロ』と名付けられ、禍々しい魔大陸の中部にそびえ立つ『光の塔』に保管された。
時は流れ、天暦九〇二年。光の塔を目指す一人の男が現れる。名はスプロ・ラシオン。好奇心に突き動かされ、後先を考えず行動する男だった。彼は幼い息子と妻を村に残し、神の箱ゼロを探す旅へと出た。
幾多の困難を越え、六大陸を渡り歩いた末、スプロは光の塔へ辿り着く。雪の結晶のように輝くその塔に魅せられ、彼は迷いなく足を踏み入れた。最上階でゼロを目にした瞬間、スプロは衝動のままそれに手を伸ばす。
その瞬間、塔は光を失った。ゼロは荒れ狂い、スプロの手を離れて七つの破片となり、世界各地へと飛び散る。晴天だった空は闇に覆われ、光を求めた男の行為は、皮肉にも世界から光を奪った。
混乱は瞬く間に広がった。ゼロの破片を手にした国々は力に溺れ、他国へと刃を向ける。共存という言葉は、歴史から削り取られていった。それでもなお、平和を願う者は確かに存在していた。
ガドル大陸最北端、丸太の塀に囲まれたのどかなアテナ村。そこで一人の青年が暮らしていた。名はルカ。齢十九。
「おはようございます!村長!」
「今日も元気じゃのう。こんな早い時間からどこへ行くんじゃ?」
「お供え用の花を買いに、フラーさんのところまで」
「そうか……今日で丁度三年になるのじゃったな」
「はい。できるなら、もっと恩返しをしたかったです」
「もう十分じゃ。わしが断言する」
「ありがとうございます。それでは、いってきます」
ルカは笑顔で頭を下げ、花屋へ向かった。
三年前、ルカの母は病に倒れた。必死の看病も虚しく、彼女はルカの腕の中で息を引き取ったそうだ。後に判明したその病は、ゼロの破片から漏れ出す魔力が体を蝕むもので、『ゼロ病』と呼ばれた。治療法は未だ見つかっていない。
ルカは悲しみに沈むことなく、母の最期の言葉を胸に、笑顔で日々を過ごしてきた。今日はその母の命日だ。彼はガーベラの花を手に、静寂の森を抜けてアイギス霊園へ向かう。
霊園への道は薄暗く、葉陰に遮られた森に光は差さない。聞こえるのは、自分の足音だけだった。
母の墓石に花を添え、腰を下ろした時、一羽の小鳥が肩に止まる。ガーベラと同じ桃色の羽。ルカはそれを母だと信じ、墓石に語りかけた。
「母さん、最近……世界の空気が重いよ」
その時、背後で物音がした。振り返ると、短剣を握った青年が立っている。
「金になるものを置け」
「……持ってない」
「なら、死ね!」
その瞬間、森から唸り声が響いた。凶暴化したアンガーウルフの群れだ。ルカは咄嗟に青年を突き飛ばし、石を投げる。
「逃げて!」
「な、なんで……」
「まだ君の名前も聞いてない!」
走り出した次の瞬間、獣の重みが体にのしかかり、鋭い牙が迫る。ルカは両手で口を押さえ、青年は短剣で応戦しルカを救うことに成功する。二人は必死に走ったが、やがて囲まれてしまう。
「最後に一ついい?」
「……あぁ」
「なんで助けてくれた?」
「あんたが、先に助けてくれたからだ」
目を閉じた瞬間、空気が凍りつく。アンガーウルフは悲鳴を上げる間もなかった。氷像となった獣の向こうに汚れた暗色のローブと折れた帽子を身につけた魔法使いが立っていた。
「………怪我は?」
感情の薄い声で魔法使いは言った。ルカは返す言葉などなくただ、うなずく。魔法使いはそれ以上何も言わず、凍りついた獣を一瞥した。
「助かったと思うな」
「え?」
「なんだよそれ!」
「次は死ぬ。運が良かっただけだ」
冷たい言葉だった。だが、どこか嘘がなかった。
「でも……助けてくれました」
「理由はない。見たから動いただけだ」
魔法使いはそう言って背を向けかけ、ふと立ち止まった。ルカの顔を、じっと見つめる。
「……お前、ゼロ病を知っているな」
「母が……そうでした」
男は何も言わなかった。ただ、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
「そうか」
「あなたは……何者なんですか」
魔法使いは答えず、森の奥を見た。
「次に会う時は、世界が今より重くなっている」
そう言い残し、魔法使いは歩き去った。名も知らないまま、ルカはその背中を見送った。
村へ戻った直後、ラトローはなぜだかルカについてきていた。
「ラトローどうしたの?」
「俺家がねぇんだ」
「そうだったんだ…行く宛は?」
「ない。だからここに住ませてくれ!家事でも何でもやる!」
「ちょっと待って」
ラトローは深く頭を下げ懇願した。顔色を変えたルカはラトローの口を封じじっとする。外が騒がしくなっていることに、ルカは気づいた。焦げたような悪臭と、村民の悲痛な叫び声が響く。胸騒ぎを覚えた二人は、慌てて外に飛び出した。
二人の瞳に映ったのは、轟々と燃え盛る炎。黒煙が立ち上り、空は闇で覆われ、なだれ込む暗黒軍の兵士たち。まさに地獄の光景だ。
ルカは壁にかけられた剣を手に取り、自宅から飛び出し、戦火の中へと潜っていった。ラトローも恐怖を押し殺し、ルカの後を追った。
「ラトロー!?なんで来たの!」
「俺は生き残りたいだけだ。」
「そっか。なら、二人でなるべく多くの人を助けて王国騎士団の助けを待とう!」
「それしか道がないならそうするしかないな」
二人は二手に分かれて村民を助け始める。ルカは手の剣で暗黒軍に応戦しつつ、村民を連れ講堂へと向かう。ラトローは持ち前の俊敏さで戦闘を避けつつ、村民を助け講堂へと向かった。
ルカとラトローが最後の一人が講堂に入るのを見届けると、二人も講堂の入口へと向かう。その時、二人の前に暗黒軍の隊長と思われる大柄の男が立っていた。黒い色の鎧に赤黒いマント、左目を隠す眼帯を着けている。その男は大剣を二人に向けノイズがかった声で問いかける。
「破片はどこだ」
ルカは答えなかった。否定する暇もなかった。
男の大剣が、すべてを断ち切るように振り下ろされた。その瞬間、ルカは男の懐に、ラトローは講堂に向かって走り出した。ルカの攻撃は命中し男が怯んだ隙に講堂へと向かう。講堂には、二人が助けた村民が怯えながら待機していた。
ルカは混乱する。暗黒軍の襲撃は、あの魔法使いの手引きなのではないか。頭を巡らせるが答えは出ない。その時、講堂の扉が軋む音を立てて開いた。そこには、魔法使いが片手に光る何かを持って立っていた。ルカは警戒し、魔法使いから目を離さない。しかし、外にいたはずの暗黒軍の姿が一人も見当たらない。ルカはますます怪しむ。あの氷の魔法と、今の沈黙が、嫌な形で重なった。
魔法使いは真っ直ぐ村長のもとへと歩いていく。村民がざわつくのを気にも留めず村民の中を搔き分けていく。
「おい!お前が暗黒軍をこの村に手引きしたのか?!」
「ル、ルカ?」
「ルカ!この方は関係ないのじゃ!」
「え?」
「この方はライゼン。わしの友人で、この村にある破片を預かりに来てくれたのじゃ」
「破片がこの村に?そんな大事なものをこんな人に渡せるんですか!」
「完全に信用できるかと言われれば……それでも、今はこの方しかおらん。彼は味方じゃ」
村長は事情を説明する。破片を見つけるとすぐに手紙を送ったが、到着まで二年かかったのだという。ルカは深く頭を下げた。
「ルカと言ったな。なぜ、身を滅ぼす真似をする?」
「………誰かがやらないといけないからです」
「そうか。幸いにも死者はいない。大したものだ」
暗黒軍も去り、襲撃の混乱は落ち着いたが、空はまだ暗く、重苦しい雰囲気に包まれていた。居ても立っても居られないルカは、ラトローを連れてライゼンと村長の会話に割って入った。
「ライゼンさん!」
「どうした」
「さっきはごめんなさい。僕もあなたの旅にお供させてください」
「分かった。だが、命の保証ないぞ」
「分かってる。ラトローはどうする?」
「俺はあんたについてく。借りを返すためにもな」
「よし、そうとなればルカに破片を託そう。これは世界に刻まれた断章じゃ。母の想いを忘れるんじゃないぞ」
村長はそう言うと、ルカに破片を託しルカの胸に手を当てた。翌朝、各々支度を済ませて、村の門で集合した。三人の旅立ちには多くの村民が集まった。昨晩の死者を弔った後、一行は大勢の村民に見送られながら、アテナ村を背にゲイテン王国を目指して進み始めた。
ルカは破片のことをどこかで聞いたのだろうか。その小さな破片が、これほどまでに世界を揺るがすとは、彼自身もまだ知らなかった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
はじめての投稿になります、凪海です。
この作品は七人の冒険者が世界の真実へ辿り着くまでの物語です。
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