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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第一章 新人奮闘編
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来訪

 櫂達は峰山がやっつけ仕事で準備した立看板を、階段横から喫茶蛍の入口前に移動させる事にした。

『もう少し角度を下に向けてみて・・』 人吉は脚立に登ってスポットライトの角度を調整する櫂に指示を出した。

『随分と立看板が目立つようになりましたね』 秋爪はそう言うと、ラミネート機でパウチングされた手作りの大きくて真っ赤な矢印を立看板に貼り付けた。

『こっちも準備出来たよ~』藤田と林葉がOKサインを作って見せる。

階段横にはビーチパラソルとその下に洋樽が2つだけ並べられていて、多少の植物ディスプレイが施されている。

洋樽の上には【入場無料】と手書きされた文字が矢印と同じくパウチングされて設置してある。

林葉は複数設置したクリップライトのスイッチを捻って、その文字を照らし出した。

『やれるだけはやった、後は上で来場者を待ちましょう』 人吉は全員をギャラリー黒鳥へと促した。


 狭い黒鳥内では5人の居場所を確保するのもままならないが、手持ち無沙汰な時間を過ごすよりは良いだろうと櫂は提案を持ちかけた。

『昨日の成約の商談内容をディスカッションしたらどうやろう』

『ナイス、それ良いと思う~』 藤田の言葉に全員が賛同する。

『じゃあまずは提案者の森田君から、昨日のあのカップルさんの商談内容から始めようか』人吉が進行する。

『うん、あのガラの悪い彼氏さんをどう攻めたのか知りたい』林葉が身を乗り出した。

『あのカップルさんは条件が良すぎと言える位で・・結婚式の打ち合わせ帰りで作品は結婚式の朝がハマリまくりやったし、彼女大好きの彼氏さんは良い人に誘導してあげればもうNOとは言えなくなったわ、最後は彼女が彼氏さんの顔色を伺ったけど、笑顔でいいよって彼氏さんも言ってくれたし・・ラッキーかな・・』

櫂はラッキーなお客様に出会えたおかげだと強調したが、林葉はそれは違うと考えていた。

3日前のメルシーにいた櫂ならそのカップルに絵を購入してもらう事は出来たであろうか?

池谷のアドバイスがそのままこのギャラリー黒鳥での櫂の営業に生かされているからこそ、ラッキーと感じるほどにお客様を誘導する事が出来ているのである。

 《自分の成長の速さを森田君は気づいてないんや・・》

林葉は自分の成長に刺激を与えてくれる櫂や藤田と出会えた事が本当のラッキーだと噛み締めた。

『それでは、森田君に質問のある人は・・・』

『は~い』 藤田が早速手を挙げる

順次成約の商談内容を報告し合ってディスカッションをする事は、闇雲に接客数を熟すよりも多くの経験値を与えてくれる事もある。 メンバーの集中力は商談を追体験しているかの如く高まっていた。


 正午を回ってようやく2組の来場者がギャラリー黒鳥を訪問してくれたが、狭さと営業マンの数に圧迫感を感じてか、いずれも足早にギャラリーを出てゆく始末である。

『交代で昼食を取りに行きましょうか』 秋爪がこの状況に気づいて提案した。

『そうやね、今日はお客様が一気に押しかける事もなさそうやし・・・じゃあ、森田君と藤田さんが先に食事を済ませて来てくれる』

人吉は40分で帰ってきてくれれば良いと付け加えて2人を送り出した。

『森田君、なに食べよ~か?』 キョロキョロと飲食店を物色しながら藤田は櫂に問いかける。

『俺はスパゲテを食いたい気分やわ』 櫂は即座に答えた。

『よし、じゃあスパゲティーにしよう』藤田は点滅を始めた歩行者用の青信号を確認して横断歩道を走った。

 《結構せっかちな所があるんや・・》 

櫂は藤田の意外な行動に新鮮さを感じながら、歩調を合わせて走った。

『どの店にしよ~か?』

『どこでもええやん、ほらあそこにある店でええわ』 櫂はさっさと指さした店に向かって歩き出した

『よし、じゃあその店にしよう』藤田も櫂の後に続いた。

『俺はナポリタンをお願いします』 櫂はメニューもそこそこに注文をした

『どれにしようかな~、どれが良いと思う~』藤田はウエイターを待たせて櫂に聞いた

『カルボナーラにすれば、ちょっと交換すれば両方味わえるやろ』

『よし、じゃあカルボナーラをお願いします』藤田は笑顔でウエイターに伝えた。


 ギャラリー黒鳥では、人吉が来場者を演じてそれに秋爪がロールプレーの営業をしていた。

林葉はそれを後方で聞きながらメモを取っていたが、突然ガラスドアを開けて来場した親子を見て即座に営業モードに切り替えた。

『いらっしゃいませ』 林葉はいつもの人当たりの良い笑顔で来場者を迎えた。

母親と高校~大学生位と思しき娘さんは濡れた傘を丁寧に畳んで傘立てに入れてから此方に向き直った。

40代中程の母親は垢抜けた雰囲気のスーツ姿で満面の笑みを浮かべた。

『はじめまして、藤田優里の母親です』

『ええ~!』 林葉の言葉と同時に人吉と秋爪も立ち上がって挨拶に加わる。

 大人しそうな娘もペコリと笑顔で頭を下げた。

『少し近くまで来たもんやから、少しだけ覗かせてもらおうかと思って・・忙しいのにゴメンなさいね』

 とんでもないですと林葉はテーブルセットに親子を着座させてから、あいにく藤田さんは昼食に出かけたばかりですと説明し、人吉はお茶を運んで目をシバつかせた。


器用にスプーンとフォークを使ってスパゲティーを食べる藤田を見て櫂は聞いた

『藤田はスペインにどういう目的で留学したん?』

『う~ん、自由でのんびりした人種が多いし私と合ってるというか~』 藤田は自分でもよく分からないと言いながらも、日本人の自己表現の弱さや勤勉な事で自分を生かせず生活を続ける民族性よりも、人間的なスペインの人々が好きなのだと説明した。

『大学辞めてスペインに行ったんやろ?』

『うん、離婚して別の生活を送っていたお父さんが学費だけは払ってくれてたんやけど、黙って辞めて語学留学しちゃった』

『留学のお金はどうしたん?』

『めっちゃ働いたよ~、アルバイトのうどん屋さんでお客さんにうどんを頭からかけちゃったし、後はお母さんが北新地で経営してる会員制クラブでも娘という事は内緒で働いてたよ』

 藤田は懐かしそうな顔をしながら話を続けた

『お母さんのクラブでは中学生の頃から内緒でアルバイトしてて・・だから企業の社長さんとかの裏の情けない顔とかも目の当たりにしたよ~』

『中学生の時から・・・』 櫂は独特の勘を使った藤田の営業スタイルの根幹は此処かと妙な納得感を得ていた。

きっと藤田も幼少から無意識に周囲の大人の分析をしながら生きる術を体得したのであろう・・・時折見せる意志の強さも話を聞けば充分に理解出来る。


『おい、ちょっと俺のナポリタン食い過ぎやろっ』

『だって、こっちのほうがやっぱり美味しいもん』

『そしたらもう交換や』 櫂はカルボナーラを口いっぱいに入れて藤田に見せが、藤田は可笑しそうにケタケタと笑った。


 久しぶりにゆっくりと休憩を取れたような気分で櫂と藤田はギャラリー黒鳥に戻った。

ガラスの扉を開けて入室すると、中央に設置されたテーブルを全員で囲んで賑やかな笑い声が聞こえてくる。

何事だろうと櫂は不思議に思ったが、藤田が驚きながら大声を上げた。

『お母さん!』

笑いの輪の中心で着座していた母親が藤田を見て『優里ちゃん、おかえり~』と笑った。

母親はそのまま櫂の方を見て、『噂の森田君ね、優里の母です・・宜しくね』と笑顔を向け、その隣に座っていた大人しそうな女の子も櫂にペコリと頭を下げた。

櫂も慌てて宜しくお願いしますと頭を下げたが、急展開について行けずに少しまごついてしまった。

《多分、魂の村選別されてるよな・・・》

輪の中心で話す藤田の母親は非常に気さくで楽しい雰囲気を出しながら、おそらく此処にいる全員の分析を終えているはずである。

楽しく話している林葉達とは裏腹に、妙な緊張感を感じながら櫂は笑顔を演じた。

《俺は何を緊張してるんや・・》藤田に対して抱く好意に自分自身でも気づいていない櫂には、当然ながらこの時の緊張感がどこから来るものなのか分かるはずもなかったのである。


『そしたら優華ちゃん、そろそろ帰ろうか』 母親は藤田の妹にそう告げるとさっと席を立った。

『ありがとうございました』 優華と呼ばれた妹もしっかりと頭を下げて挨拶をした。

帰り際に全員で階段下まで親子を見送りに出たが、母親は此方を振り向いてもう一度お辞儀をし、『皆さん頑張ってね、優里を宜しくお願いします』と笑った。

櫂は母親と眼が合ったが 『森田君、しっかり優里を見といてね』と、肩を叩かれて『はい』と頷いた。

藤田は『気をつけて帰ってね』と手を振り、親子は御堂筋の雑踏に消えたのである。


『よし、それでは僕達も昼食に出ようか』 人吉はこのペースでは2人もいれば来場者への対応は可能であろうと、林葉・秋爪を率いて昼食に出かけた。


 ジャズ音楽の流れるギャラリーで櫂は藤田に聞いてみた『藤田は何でワールドアートで営業しようと思ったん?』

『うん、最初はお金を貯めてもう一度スペインに行こうと思ってこの営業職の求人を見て面接に来たけど、まさかその日から研修に参加するとは思いもしなかったよ、それにダメならすぐに辞めればいいとも思ってたしね・・・・・・・でも今は森田君や林葉さんと出会って凄く楽しくなっちゃったし、頑張るつもり・・・』

『そうか、それやったら俺も同じや・・』 櫂は笑顔を藤田に向けた。

ダメなら何時でも辞めてやる、それまで全力で腕試しをしようと思ったのは櫂も藤田と同じである。


《今はこのメンバーとの巡り合わせに感謝しよう・・》自分は最高の仲間と一緒なのだと噛み締めた。


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