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尖んがりジプシーの航路  作者: 下市にまな
第一章 新人奮闘編
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交差

 ワールドアートに入社してからの櫂は連日の早起きが続いている。

奈良の田舎からは何処に出掛けるにしても時間を費やす事になるが、この日はいつにも増して目覚めが早かった。

昨日の成功は飛び上がるほどに嬉しいものであったが、それ以上の悔しさが櫂の睡眠を妨げ続けたからである。

《1円でも負けは負け!》 やはり林葉・藤田に営業結果で遅れをとっている事が悔しくて仕方が無かった。

加えて、夜明け前から降り始めた雨音が気になって、眠りにつく事を途中で諦めたのである。

《今日は必ず納得の結果を残さんなあかんっ、悔しさをエネルギーに変えるんや》

いつもより早く電車に乗り込んだ櫂は窓を流れる水滴を眺めながら、不覚にもようやくここで気付いたのである。

 《雨や!、 ・・どうするんや・・・・・・》


 夜明け前からの雨は益々勢いを増し、ギャラリー黒鳥は昨日までのイメージとは打って変わって寂れた雰囲気を強調しているようである。

『また閑古鳥にもどったわ・・』 林葉は降りしきる雨をガラスドア越しに見ながら呟いた。

雨の中では喫茶スペースに画集や版画を持ち出すことは不可能で、当然ながらディスプレイすら出来ない。

いくらオーナーの貸してくれたビーチパラソルが大きくても、降りしきる雨の中でお茶を飲みながら画集を見る物好きな人などいないであろう。

櫂にはこの状況を突破できるアイデアがまったく浮かんでこない、それどころか接客が出来ない事への焦りが募るばかりである。

『森田君~ ツンツンムードでナイフになってるぞ~』 藤田は後ろから櫂の頭をつつきながら笑った。

櫂は少しムッとした表情を作って、何かを言い返してやろうと振り向いたが、そこにオーナーの投げ捨てる様な声が響いた。


『おいっ坊主! ちょっと手伝え』 ガラスドアを開けると同時にオーナーはそう言い放った。

坊主と言われればここには人吉と櫂しかいない事になるが、オーナーは明らかに櫂を見て手招きをしている。

『坊主?』 櫂は自分を指差してオーナーに確認したが

『坊主はお前に決まっとるやろ、インケツ引いた様な顔しとらんと来んかい!』 櫂はオーナーに連れ出されてガラスドアの向こうに消えた。

『あのオーナー少しずつ口が悪くなりますね』秋爪が笑いを堪える

『インケツって何?』林葉が人吉に問いかけた

『う~ん、花札の負け札の事やと思うけど・・・森田君どんな顔してたんやろなあ』

『尖ったインケツって感じの顔やったわ』と、藤田はさも可笑しいと言う風に笑った。


 階段下には真新しい蛍光管が束になってラッピングされていた。

『お前、階段の蛍光灯を全部取り替えてくれるか』オーナーはそう言って軍手を櫂に渡した。

そう言われて気付いたが、確かにギャラリー黒鳥に続く階段の手摺下には複数の蛍光灯が添えつけられている。

搬入時は蛍光管が全て抜き取られていたので目立たず気にも止めていなかったのである。

『あんなシャビシャビの錆のついたとこに蛍光管を入れても点灯するんかいな』 そうは言ったものの、心では点灯してくれと祈るような気持ちで蛍光灯を見ている。

『もっと錆の酷かった看板のスポットライトですら点いたんや、大丈夫に決まっとるやろ!』

『ええっ』 それを聞いて喫茶蛍の大看板に櫂が目をやると、看板を照らす為に突き出た4本のスポットライトの先端に真新しい電球が付け替えられていた。

『あれ点くの?』 櫂がオーナーに聞く

『当たり前じゃ、足が悪いのに大変やったんやぞ! 4つ全部点くわい! もう一回ここの灯火が必要なんとちゃうんか?』

『ありがとうっ おいちゃん!』 櫂は気持ちを大声にして表現していた。

『ワシのビルをワシがメンテしただけで、別にお前達の為では無いわい! 勘違いすなっ』 オーナーはそう吐き捨てると、喫茶店の扉ドアの鍵を櫂に渡した。

『入ってすぐのカウンターの横にスポットの電源スイッチがあるわ、それと脚立も置いてあるから使え』

『ええんか? 自由に使わせてもらって・・』

『いちいち面倒を見に来るのが、めんどくさいんやっ 勝手にせい!』 オーナーはそう言うと、早く蛍光管を取り付けろと催促した。


不器用に蛍光管をはめ込む櫂の横でオーナーはタバコを吹かして腕を組んでいる。

『なあ、おいちゃん 何でこんな事してくれるんや』 櫂は目線を作業に向けたまま問いかけた。

『だいぶ昔にお前みたいな坊主を此処で見た事があるだけの話しや』

『そうか・・・俺もだいぶ前に此処でおいちゃんみたいなおいちゃんを見た事があるわ』


 先ほどの櫂の大声を聞きつけて、ギャラリーのガラスドアからメンバーが顔を覗かせたので会話はここまでとなった。

点灯した蛍光灯に照らされた階段は曇天の暗さを和らげ、同時に櫂の表情も柔らかなものに変化していた。

湿度を含んだ空気がタバコの残り香を階段付近に滞留させたままであるが、オーナーはいつもの様に知らぬ間に姿を消した。

《焦りは無用・・今すべき事は何かを考えるんや!》

『森田君、中学生みたいに隠れてタバコでも吸ってたん?』林葉が笑顔で櫂をからかう。

『吸うときは堂々と吸うよ、それよりも外のレイアウト変えたいと思うんやけど』 櫂も笑顔で答える。

『ツンツン森田は何処かに行ったか』 藤田が訳知り顔で冗談めいた腕組みをして見せたのが滑稽で全員が笑顔に変わる。

やがて残り香を含んだ薄煙は曇天の大気に飛散して消えた。


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