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紫陽花ノ恋  作者: マヤノ
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十九

 いろいろ考えた中で、電話という手段が浮かんできた。といっても、尋ねにくいことに気付いて溜息を吐き出した。


「立花としおり以外に、長瀬先輩のことを知っている人。同じ部活動生……連絡しにくいなあ」


 あの時、私が好きな人について教えたのはしおりくらいだ。他の人にはバレていない。


 そんな中で、今さら過去のこと――しかも、一人の先輩について訊けば、面倒なことになりそうだ。好奇心いっぱいの口調で、あれこれ尋ねてくるだろう。


 何も問題なく先輩の情報を得る方法はないのか考えても、いい案は思いつかない。


 どうして、こんなに気になるんだろう。今さら気にする必要はないはずの過去だ。忘れても問題はない記憶のはずだ。初恋だからと引きずりすぎている。


 自分に言い聞かせると、喉の奥に小骨が突き刺さったような違和感があった。


 どうして、今まで気にせずにいれたんだろう。そう訴えかけるように心臓の音が響く。大事なことを忘れているような、どことなくしっくりしない感じが私の胸の中で膨らんだ。


「どうすればいいの」


 答えが見つからない問いかけは、夜の雑踏に紛れて溶け消えた。





 一度でも気にしてしまえば、無視できないほど溢れる疑問に頭がいっぱいになる。


 引っかかりは、先輩。何かを知る立花としおり。手がかりは、長瀬先輩のことを知る人。脳裏にちらつく、知らない影――……。


 知らない影?

 知らないんじゃなくて、私が忘れている誰かじゃないの?


 知っているはずの誰かの影は、先輩とすごく近い。影の持ち主を思い出そうとすると吐き気がした。先輩のことを思うと、初恋のせいなのか胸が苦しいと訴えてくるのだ。それと同時に鈍い頭痛が襲ってくる。


 私は何か忘れている?


 何を忘れているんだろう。過去を忘れることはおかしなことじゃない。大事なこと、大切な記憶は忘れないけれど、それ以外の過去は薄れていく。


 忘れることはおかしくない。思い出せないのは変じゃない。


 でも、おかしくて変に思ってしまう。思い出さない方がいいのかもしれない、そんな記憶について考えた。


 私が曖昧にして、流されるように続けている立花との関係もきっと何か関わっている気がする。だって、思い出せないことが多いのだ。恋人らしい記憶が少ないからとかそういう問題ではない。


 大好きだった先輩に関する記憶の違和感。立花と付き合うことになったきっかけ。私が予防線を引いてしまうようになった理由。


 きっと全部、私の奥底に眠っている。はっきり思い出せないのに、確かに存在しているのだ。


 立花としおりは答えをくれない。ヒントはもらえるかわからない。だから、自分で答えを探すしか方法はない。


 きゅっ、と掌を握りしめたら、なんとかなる気がしてくる。迷うのは終わりにしよう。思い出さないままでいたら、いつか後悔してしまうかもしれない。


 怖いけど知りたい。

 私は忘れたものを思い出したい。


 それだけをしっかり抱えていかないと、怖くなって放り出してしまうだろう。一度自分で決めことは、止められても進む。頑固なところは短所にもなるけれど、私の自慢できる長所だ。


 立花は怒るだろうか。しおりは心配するだろうか。なんとなく、その様子がリアルに浮かんできて私は「ごめんね」と小さく呟いた。


 途中で立ち寄ったコンビニであんまんを購入した。温かなあんまんを手に、少し帰宅する道から遠回りする。


 公園を街灯が照らす。小さな噴水に、明かりのついた自販機。夜の公園は少しだけ怖く感じる。朝の明るく騒がしい公園と雰囲気があまりにも違うからだろう。


 ベンチに座ってあんまんを食べる。ふわりと温かな湯気と少し甘い香りが広がった。柔らかな生地に、ほどよい甘さのあんこが包まれている。やっぱり買いたてが一番美味しい。


 私以外にはまばらな人影の公園には、仲のいい恋人がライトアップされる噴水を楽しそうに見つめている。その様子は微笑ましくて、少し羨ましい。


「……あ」


 脳裏に浮かんだ映像は知らない記憶。忘れた思い出の欠片。


 私服の私が先輩と一緒に公園に来ている。なぜか夜の公園で、二人で何かを話していた。途中で先輩の隣に誰かが近寄る。その人の姿を見て、私は走り出していた。


「今のは……なんだろう」


 ふと消えた景色は、覚えていないものだった。うまく思い出せないが、先輩と私服で夜の公園に行ったことがあったのだろう。


 どうして会ったのか。

 ここで何があったのか。


 大好きな先輩との記憶が欠けていたことに驚きながら、胸元を抑え込んだ。早鐘を打つように心臓が鳴っている。ひゅうと小さく息が零れた。大好きな先輩のことを思い出したのに、嫌なことに触れてしまったような不安が膨らむ。


 ただわかることは、逃げ出した私が泣いていたことだけ。


 一生でたった一度の初恋が、ぐらぐら揺れている。私は自分の決意を思い出して、ゆっくり息を吐き出す。思い出すとついさっき決めたばかりだ。その意思をころりと変える気はない。


「だい、じょうぶ」


 怖くなんてない。自分の記憶に少しびっくりしただけだ。覚えていなかったから、動揺しただけ……そうやって、訳もわからないまま言い聞かせる。


 偶然、浮かんだ断片的な記憶を忘れないように、ただ静かに噴水と恋人たちの様子を遠く見つめていた。

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