十
「いつかあんたも同じように捨てられるわっ! あんたなんかに、彼が本気になるわけない!」
怒りと嫉妬のせいか、彼女さんの言葉は支離滅裂で相手をするのが馬鹿らしくなる。喚く女性を無視して背を向けた。一通りの文句は聞いたし、叩かれた。彼女さんの気持ちを受け入れて、落ち着かせることなど私にはできない。相手もそれを望んではいないだろう。
「あんただって、どうせ優雅にとってはただの浮気相手よ!」
これ以上、相手の言葉に耳を傾ける必要はない。気がすむまで付き合っていいことなんてなかった。精神的に疲れてしまうのだ。もうどうでもいい。面倒で仕方ない。どうして同じような立場と想いを持っていると決めつけるのだろう。
確かに私も立花の浮気相手という立場にいたとしてもおかしくはない。いつか捨てられる可能性はゼロではない。付き合っている年月や立花のよくわからない愛情表現から、ただの浮気相手じゃないと思うけど。
「優雅にとって大切な彼女だなんて絶対に認めないからっ!!」
背後から聞こえる声に重い息を吐く。
追いかけてこないからよかったけれど、周囲から注目を浴びるのは迷惑だ。周りは立ち止まったり、隣の人と修羅場かと会話をしたり、他人の不幸といえるものを興味深そうに見ている。
他人の不幸は蜜の味。
修羅場、昼ドラ、ゴシップ――とにかく、面白そうな他人の面倒事には注目が集まりやすい。集まっていた視線は私が女性を放置し、あまりにも相手にしないため興味が薄れたようで、誰もがいつもの日常に戻っていく。修羅場もどきはもう存在しない。
周囲にいる人数が少なくてよかった。もう少し場所を考えて欲しい。相手をしている時、私もつい周りに人がいることを忘れていたけれど本当に迷惑だ。知り合いがいなければいいな、と憂鬱な気分で息を吐き出した・
それにしても、私じゃなくて彼に縋りついて泣き叫べばいいし、文句を言えばいいのになんで私に絡んでくるのかな。どうしても離れたくないと思うなら、彼に想いをぶつければいい。どこかで区切りをつけなければ、いつまでも引きずってしまうだろう。まあ、立花にいくら甘え、縋ろうと意味がなさそうだけど。
切り捨てると決めたら、相手の言葉も涙も立花には関係ない。別れたくないと美人な女性に言われようと、あっさり別れる。泣き縋ったとしても、彼の心には何も響きはしないのだ。一度、別れを決めたら、その意思を変えることがない。なんて残酷なんだろう。
しばらく歩いていたら、勝手に部屋に入る立花が珍しく家の前で待っていた。目にした彼の姿に苛立ちが浮かぶ。未練を断ち切れず、攻撃的なことをしてきたのは彼女さんだ。それでも、原因を作った相手を見ると怒りが込み上げてくる。
「……立花」
面倒事に巻き込まれて機嫌の悪い私は、とりあえず立花のお腹を軽く殴った。避けることなく攻撃を受ける彼から、少しぐらい何か反応が欲しいとは思う。でも、わざと顔をしかめて痛いふりをされたら、また殴りたくなってくる。
だから、立花の反応は何も悪くない。腹が立つことに、彼は悪気がない。悪意はないのだ。自分がモテることはわかっているが、彼女さんたちが傷ついても気にしない。
「ごめん」
落とされた謝罪に、呆れてしまう。わかっているようで、わかっていない彼の謝罪は通り過ぎていく。女性のゴタゴタはうまく対処して欲しいものだ。私の腫れた頬に触れる立花は、眉を下げて情けない顔をしている。
「ねえ、立花。質問していい?」
「いいよ」
「私、立花の浮気相手だっけ?」
「なんで? 誰がそう言った?」
自分に向けられる鋭い視線に私の全身は緊張で強張った。質問の選択を間違えたかと焦ってしまう。
「なんとなく」
誰が言ったか質問されても答えられない。相手の名前なんて知らないし、なんだか立花の雰囲気が怖い。
「ああ、そうか。理沙がそんな質問するなんて、どこかの馬鹿のせいだよね」
するりと頬を撫でられる。
「理沙は俺の彼女だよ」
それ、何人の彼女さんに言ってるの? 本当はなんて思ってるの? 立花にとって、彼女ってどんなものなの?
口にするのも馬鹿らしい。言うだけ無駄な台詞だ。立花にそんな甘えを含んだ質問をするのは、可愛い子か、美人な人だろう。私じゃない。
「大切な彼女の理沙が浮気相手のはずがない」
今から立花と「私と彼女どっちが大事なの!」といった修羅場を演じる気は起きなかった。とりあえず、反論せず適当に流すことにした。
「そっか」
熱を持つ腫れた私の頬に口付けを落とす立花は、流れるように腰に手を回してくる。
「ねえ、立花」
ふと浮かんだ疑問を声に出す。可愛げのない言葉は、するりと抵抗なく零れた。
「私の相手ばかりじゃなくて、彼女さんの相手ちゃんとしてよ」
いつも私の約束を放置して、他の人を優勢するくせに、最近はずっと側にいる立花。嬉しさよりも怪しいと感じてしまう私は、彼女として最低かもしれない。
でも、面倒事に巻き込まれる回数を減らすためには、生け贄のように立花を差し出した方がいい。自分の安全を優先する私は、ちっとも可愛くない女だ。
「俺の彼女さん……?」
「取り巻き、ファン、浮気相手――私的には呼び名なんてどうでもいいけどね」
どんな呼び名でも関係ない。立花に惹かれる女性が迷惑をかけてくることに変わりはないのだ。
誰かに恋をして、きらきら輝いていたり、可愛らしかったり、そんな姿は遥か彼方だ。熱烈で強烈な行動を持ち、迷惑を考えない女性は恐ろしい。
「立花ならうまく相手できるでしょ」
腰に回された手がきつく巻きつく。逃がさないとでもいうように、強い力が込められて痛い。
「理沙はひどいことを言うね」
確かに私の言葉は彼氏に向けて言う台詞じゃなかったかもしれない。けれど、本人の問題が原因であることを考えれば、自業自得の気がする。
「そう? 全面的にひどいのは立花だけどね。まるで甘い言葉を囁く悪魔みたい」
「堕ちてみる?」
耳元に低く囁かれる。そんなふざけたこと、本気になるようなお花畑の考えもなければ、甘ったるいバカップルではない。人をおちょくるような悪戯っぽい光を浮かべる立花の頬を引っ張った。
「とりあえず、力を弱めて欲しいかな」




