十一
立花と過ごした約一週間という期間を思い出す。彼はやっぱり他人に寝顔を見せるのがいやらしく、私より遅く寝て、私より早く起きていた。一体、どんな気まぐれなのかさっぱりわからないけれど、いつの間にか我が家は帰宅場所にされていた。
他の彼女さんはどうしたんだろう。縁を切っているとしても、またしばらくしたら前と同じように新しい彼女さんができるだろうけど。そう考えながら、自分以外の人が家にいる現状を受け入れて、しばらく経つと立花はいつもと変わらぬ様子で出て行った。
それから先は予想通り、立花はまた女性の香りをつけている。いつも立花が私の家に来るわけじゃない。私がわざわざ彼を呼ぶこともない。
ただ少し、ほんの少しだけ部屋を広く感じた。
いつもと変わらぬ日々が過ぎていく。二人で映画を見に行ったり、約束を破られたり、一緒に食事をしたり――会う日もあれば、会わない日もある。
でも、少し変わったことがある。変わったというより知ったこと、という方があっているかもしれない。
看病されたからだろうか、一人は寂しいと自覚した。立花といるとよく眠れるという新発見があった。基本的に束縛しないし、されない関係。風邪を引いた日から私が彼に甘えることをちょっと覚えたり、立花が我儘を口にする機会が増えたりしたけれど、大きな変化は何もない。
ただ、今日だけはいつもと違うことをしよう。初めて私から我儘を言ってみよう。
我儘を聞いてもらえるかわからないし、約束をしても破られるかもしれないけど、初めての我儘をメールに書いてみる。返信不要、と最後につけ足してメールを送った。
答えが返ってくるのが怖い。応えてもらえないのは悲しい。きっとそういう感情で、書き足した。自分の感情なのに、曖昧な部分もあるから断言できないけれど。
携帯を片手に、唐突すぎる我儘かなと反省する。いくらなんでも、立花は予定が詰まっていそうだ。前もってお願いするべきだったかもしれない。急に思いついたから、仕方ないか。善は急げというし、思い立ったら即行動しないと今日が終わってしまう。
携帯をポケットに入れ、お弁当を食べ始めた。普通に社員食堂を利用する人の方が割合は多いが、私と同じようにお弁当を持参する人もいる。
テレビから面白みに欠けるニュースが流れている。たまには堅苦しいニュース以外を流して欲しいと思う。チャンネルの権利を持っている中田さんがニュース大好きだから無理だろうけど、バラエティ番組が見たい。
「隣、いいよね?」
声をかけられて顔を上げれば、よく食堂を利用するまゆみがいた。彼女は私が返事をする前にさっと椅子に座る。彼女の今日の昼食は、チキン南蛮にご飯、サラダにお味噌汁――食堂のおすすめである日替わり定食だ。温かなご飯が美味しそう。
私も今度、日替わり定食にしよう。お弁当も好きだけど、温かいご飯を食べたくなる。夏はそうでもないけれど、冬が近付いてくると特にそう感じるようになる。
「ねえねえ、理沙。明日、飲み会あるんだけど行かない?」
「明日は無理。予定があって……」
今週、二回も行ったから遠慮したい。それに、まだ立花に了承してもらってないけど予定がある。
「仕方ないなー。まあ、今週付き合ってくれたからいいけど」
飲み会好きのまゆみに私は苦笑を浮かべた。
お酒が好きで、男性が好き、恋愛も好き。特に合コンが大好きな彼女は、よく幹事をしている。そのため、まゆみいわく、声をかけやすい私は人数調整で呼ばれる場合が多いから断りやすい。
「もしかして、彼氏との予定?」
「そんなところ」
「写真見せてよ。一回でいいから。さすがに何度も言ってるんだから、撮っているよね?」
「諦めてなかったの?」
しつこいな。他の社員に尋ねている時、こんなに何度も聞かずに諦めているのになぜだろう。私、何かしたかな。
「いいでしょ、不細工だって馬鹿にしたりしないから」
「……あ、うん。中身って大事だよね」
そういえば、まゆみの恋愛事情に巻き込まれたくないと自分の彼氏について嘘をついていた。説明は適当で、写真を撮られるのが嫌い。不細工だと言って誤魔化していたんだった。
「えー、見た目だって大事だと思うけどなあ。で、写真は?」
「なんでそんなに知りたいの?」
「えっとね、うん」
頬を軽く赤色に染め、まゆみはくるくると髪に指を絡めた。
ああ、いやな予感。当たって欲しくない予感が浮かび上がる。惚れっぽい彼女の噂を思い出して、私は頭が痛くなってきた。
「前、理沙と一緒にいた人の見た目が好きなの。偶然その人を見かけたんだけど、彼氏って不細工なんでしょ? 一応、確認。わざと自分の彼氏を隠す人いるし」
当たって欲しくない予感ほど、人間はよく当てるものだ。一体、いつ見たのかわからないけど、立花のことだろう。
他に一緒にいることのある異性といえば宮部くんだけれど、彼のことだったらまゆみも知っている人物だから尋ねてくる必要がない。それに、最近は微妙だ。何かあったのか、立花と雨に濡れた頃くらいからそっけない。やっぱりあの受け答えは卑怯だったかな。
「あの人が彼氏じゃないなら、紹介して欲しいなあ」
まゆみは面食いだ。
好きになったら、相手に彼女がいようと関係なしにアプローチをしかけてくる。二股だって当たり前にしてしまう。多くて五股だと言っていたけど、自慢することなのだろうか。自分がモテていると自慢するのは、なんとなく理解できるけれど……私には彼女の恋愛感覚がよくわからない。
そんなまゆみを嫌う人は多い。けれど、私は自分に関係ないし、彼女の恋愛模様に巻き込まれないならどうでもよかった。あまり深く関わるつもりがなかったのだ。
それに彼氏である立花の浮気を思えば、嫌悪を感じることもない。側に似たタイプがいると気にならなくなるのは、きっと慣れなのだろう。二股とか浮気とか賛成できるものじゃないけれど。
「…………無理」
だから、別に教えてもいいはずなのに、無意識に口から零れたのは拒絶だった。教えたくない、と言葉が彼女の提案を否定する。
「どんなに頼まれても無理だから」
「なんで? 不細工だろうと彼氏がいるならいいじゃない。なに、格好良い人は自分だけが知っていたらいいってこと?」
恐ろしい形相で睨んでくるまゆみは、文句を次々に吐き出していく。
「なにそれ、不細工彼氏に格好良い男――両手に花でずるい。まあ、不細工な方はどうでもいいけど、私に格好良い方をくれたっていいでしょ」
女性がまゆみを嫌う理由を理解してしまう。なんとなくわかってはいたけれど、直接ずけずけとした言葉を向けられるのはきつい。友達の彼氏でも関係なしにアプローチするのだろう。それにしても、食堂でこんな風に自らの評判を落とすことを言ってもいいのかな。本人は何も考えていないみたいだけれど。
他の部署にまで噂が回っていないかもしれないが、元からまゆみは恋愛関連で評判が悪い。そこにさらに現在の状況を合わせれば、彼女の評判はガタ落ちの気がする。
残念なことに今いる場所は、あまり人が来ないスペースだ。それに食事を終えて喫煙室へ向かったり、仕事を気にして立ち去ったりと食堂にいる人はけっこう減っている。
だから、聞き耳をたてる人もいないし、他人のことを気にする人はいない。気軽に手助けを求めることはできそうになかった。まあ、いくら周囲の目が少ないとしても声に出して言うことではないだろう。まゆみの言動は確実に同性異性関係なく、彼女の評価を下げるものだ。指摘したら逆ギレされそうで、口にできないけれど彼女はもう少し周りを見る必要があると思う。
いや、もしかしたら少しは考えて私がこのスペースにいるから言い始めたのだろうか。こんなことなら、人がたくさんいるところに座ればよかった。




