無力にて
人は、自分に対する悪意には気付くのに、他者が感じている悪意には気付かない。
その事に、私は気付かなかったのだ。
これは雄一郎さんが、私の憂いを気にも留めずに言葉を吐いた時の事である。
ちなみに、言った言葉は
「そうですか。ですが、何も問題はありませんよ。後で、僕の方で独自に調べますから」
だった。
……え。
それ、私がいる意味、ある?
だから思わず、私の心は、このような事を唱えたのだろう。
なにせ、今のご時世。
調べれば大概の情報が解るのだ。
ならば、私の持っている事前情報など必要ないのである。
……だが、この考えは数秒後。
記憶から破棄される事になった。
これには、雄一郎さんの
「楽しみですね。貴方はどのような経験をされてきたのでしょう」
という言葉が関係している。
なにせ私は、この言葉がなければ、雄一郎さんの本心に気付けなかったのだ。
……ちなみに、その本心とは。
雄一郎さんが祭りに行った当事者の口から様々な事を聞きたいと考えている、という事である。
だが、これは当然の事だった。
なにせ、そちらの方が主観的な情報が手に入るのだ。
そう。
主観的な情報と客観的な情報は、大きく情報の質が異なる。
これは、世間一般で嫌われている人が、会ってみたら案外良い人だったという現象と、似ているだろう。
もちろん。
これには真逆な状態も存在するが、それは別段大きな問題ではない。
なにせ現状の問題は、なぜ、このような情報の誤差が発生するのか、という事なのである。
だが、この問題には答えがない。
そう。
推論ならば人の数程多くあるが、答えは存在しないのだ。
だから今は、雄一郎さんとの会話に思考を戻す事にする。
……それにしても、雄大な海中から無作為に宝を探せとは、随分と雄一郎さんも人が悪い。
遠慮という言葉を知らないのか?
第一、祭りの事で覚えている事など……。
「お祭りは小規模だったよ。何かを祀ってた事も覚えてる、けど」
本当に、これくらいしか……。
「なるほど、解りました。あるある、というやつですね?」
「えっ。あ、そう、だね?」
「それでは、その祭りは何を祀って……」
……いや。
何かを祀るのは、あるある、なのか?
それに、祀る対象を覚えている前提で話を進めないでくれ。
覚えている訳がないだろう。
だが、私の頭は
「猿、違うな。虎、違う。兎、論外だ」
と、必死に指針を失った船を元に戻そうと奮闘していた。
……自分で言うのも変な事だが、真面目である。
だが、同時に。
この全ての選択肢に対して、私は何かが決定的に違うと思ったのだ。
ならば一体、何を祀っていたのだ?
「おや。貴方、宿題を忘れた小学生のような顔をしていますが、どうかしましたか?」
「……え?」
「まあ。大方、祀っていた存在を覚えていない、といったところでしょうね」
まずい。
……普通に、ばれてる。
「それでは、何か祀る対象の特徴を思い出してもらいましょうか」
「……特徴?」
いや。
突然、そんな事を言われても……。
「ええ。それにしても貴方は、もう少し物事を誤魔化す事を覚えた方が良いですね。将来が心配になってきます」
「誤魔化す?」
「ええ。このままでは、僕のような悪い大人に丸呑みにされる未来しか見えません」
……え。
私、そんなに解りやすい?
「……いや。流石に、それはないよ。詐欺師は狐だ。蛇じゃない」
だから、丸呑みにはならないよ。
そう言おうとした、その時だった。
私は祭りの時に見た、ある光景を思い出したのである。
それは二枚舌の石像だった。
つまり、私の頭の中に立ち込めていた煙が一瞬で晴れた、という事だ。
やはり、人の頭とは単純である。
こんな一言で、先程の困惑を消し去れるのだから。
そして、思い出した。
そうだ、あの祭りは……。
「いや、蛇だったんだ」
「はい?」
「あの祭りは、蛇を祀っていたんだ」
今度は、確信をもって言えた。
「おや。蛇、ですか?」
「そうだよ。これ以上詳しい事は、覚えてないけどね」
だが思い出した事は、これだけだった。
なにせ当時の私は、あまり祭り事に対して、興味がなかったのだ。
だが、このあまり役に立たないと思られる情報も、何かの役に立つかもしれない。
なにせ情報の質は、情報の提供者よりも、情報の使用者の質で決まるからである。
「思い出しただけで充分ですよ。それにしても、それは随分……」
ほら。
その証拠に、雄一郎さんは何かを思い付いたご様子だ。
だが、今回は先に言わせてもらう。
そう。
「信仰の対象としては良くある。そうだろう?」
という、この台詞を。
だが悲しい事に、雄一郎さんは私の言動には一切注視せず
「ええ。それにしても、蛇ですか」
と、言ったのである。
……なぜだ。
格好つけた私が、馬鹿みたいではないか。
これなら、もう少し派手な行動をしても良かったのでは?
「おや。満君、貴方、大丈夫ですか?」
「え、何が?」
「……顔が」
……え、悪口?
それとも私、何か変な顔してた?
……いや、違う。
恐らく雄一郎さんは、私が奇行を模索している事を察知したのだ。
だから適当な事を言って、私の思考を遮ったのだろう。
おかげで、猫という漢字を書く時に、必ず描と書かせるにはどうすれば良いのか、という方法が頭から消えてしまった。
「……それにしても、本当にこれだけの情報で、あの祭りを調べられるの?」
「出来ます」
「……そっか。まあ、聞かれても解らないから、その言葉を聞けて安心したよ」
なにせ、本気で、何も覚えていないので。
「それに、私が最後にその祭りに行ったの、七歳の時だからね」
だから、覚えていないのである。
「おや」
そう。
なにせ、十数年前の出来事なのだ。
こんな事、詳細に覚えている人の方が、珍しいだろう。
雄一郎さん?
雄一郎さんは、別だ。
なにせ私と違って、頭が良い。
そして、私がこの祭りの記憶が曖昧だった理由は、もう一つある。
それは……。
「両親が、私をその祭りに連れて行かなくなったんだ。私が全力で駄々をこねても、絶対に行かないって言ってね」
「おやおや」
「だから、仕方ないだろう?」
これである。
そう。
なぜか両親は、私がこの祭りに行きたいと言うと、良い表情をしなくなってしまったのだ。
「それは、随分と特長的ですね」
「え?」
一体、雄一郎さんは、今の話で何が特徴的だと思ったのだろう。
「特徴的ですよ。特に、七歳という部分が」
「え?」
七歳?
七五三の年だが、それが一体?
すると雄一郎さんは驚いた表情で、私を見つめたのである。
うん。
一切意味が解らない。
そして、なぜ。
私は雄一郎さんに、珍獣を見るような表情を向けられているのだろうか。
「おや。聞いた事は、ありませんか」
「何が?」
いや。これは、まさか。
噂話か、迷信の類の話だろうか。
やめてくれ。
私は、その手の話にとても弱いのだ。
だが、気になる。
雄一郎さんは、私に何を伝えようとしていか、それは気になる。
すると、雄一郎さんは
「七つまでは……」
と言ったのである。
ああ。
その言葉で確信が持てた。それは……。
「知ってるよ。有名だからね。でも、それは関係ないみたいだよ?」
そう。
残念ながら、それは勘ぐりすぎなのである。
どうせ、神の内、と言いたかったのだろう?
「おや。そうなのですか?」
そうなのだ。
「だって、行かなくなった理由……」
「理由は?」
気になるだろう?
私にとっては、とても単純な事だが気になってしまうだろう?
教えよう。
それは……。
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