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蛇足 野苺子爵様の帰還 その1

 その体には大きすぎる黒馬を駆りながら、一路兄の住む居城を目指す彼には、確実に全てを兄が仕組んだに違いないという確信を抱いていた。

 あの男は何でもやる。

 バルドゥクが社会常識を知らないからこそ何でもやれるのとは違い、あの男は全てを知っている上で何でもやれるのだ。


 彼がそう思うのは弟として存在せざる得ないその経験に培われた自然な発想であり、そのためにバルドゥクに起きた出来事に対してかなりの焦燥感を抱いていたといえる。


 彼はバルドゥクの暗殺を兄に依頼されて動いているが、その実、兄が自分を安全に縛り付ける為だけの戯言だとは考え、実行はいつでもできるがその後は面倒だと兄の思惑通りにバルドゥクを殺す事はせずに守ることに徹底している。


 しかし、彼にとってバルドゥクは居心地の良い場所、そのものなのである。


 大体、殺しに来た暗殺者に、ちょうどよかったと、頼みごとをするような馬鹿はいない。


 バルドゥクとの出会いとは、簡単に言えば、キリアムがバルドゥクの私室に忍び込んでナイフを振るったが失敗した、という暗殺未遂の日であろう。

 殺気も無くただナイフを振るっただけであるのに、バルドゥクは気が付き、それどころかキリアムに目を輝かせて、勝機だ、と正気でもないことを呟いたのである。


「殺されそうなあなたにどこに勝機が?」


「いや、君だよ、君。頼みがある。俺達がここに駐留している理由は知っているよね。そこの敵部隊が籠城する村の奪還が目的だって。」


「僕がその敵からの贈り物だと思わないのですか?」


「だとしても、俺を殺したら別の殺しに行くんでしょう。一生暗殺者のままだよ、いいの?ここでさ、君の暗殺者の足跡を消してだな、金目のものを持って第二の人生だって選べるじゃないの、そう思わない?」


 既に子爵と言う余計な爵位と領地と金を持っていると言い返そうとして、バルドゥクがキリアムの意見など必要としていなかった事に気が付いた。

 彼は村の見取り図をばさりと開くと、ここだここ、と、指で指し示してキリアムに子供のような笑顔を見せたのだ。


「なんです。」


「君にここに潜入してね、ちょっと鍵を開けてきて欲しいんだ。」

「鍵、ですか?」

「そう。あの村には領主が定期的に訪れて裁判を行う司法館があるんだ。近隣のね、悪い奴を取りあえずその館にある牢屋に入れて、ひと月に一回の領主様の裁定を待つって言うの。知っている?」


 知っているどころか、キリアムは兄に押し付けられて何度かさせられていた。

 彼が家出をしたいどころか、兄こそあの世に送りたいと考えてもいる要因の一つだ。


「頼まれてくれるかな。そこの牢の鍵を開けて欲しいんだ。それだけでいい。」


「犯罪者を逃がす事でかく乱でも考えているのですか?」


「いいや。俺は別にこの村の解放は望んでいない。もともとこの村はあっちの国のものだと村民自体が思っていたらしいからね。俺は領主一家を解放したいだけなんだよ。」


 キリアムは潜入が大得意だ。


 どこにでも潜り込め、そして、彼自身いつも不思議に思うのだが、なぜ誰も自分がここにいることに対して何の違和感を抱こうともしないのかということだ。

 そして、村の奪還を考えていないと言い切った男が何をするつもりなのか見たいとも思い、彼は目の前でニコニコ笑う男に良いよと答えていた。

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