二十五、告白
ようやく長い夜が明けた。
私は今日バルドゥクのもとに戻ることができるのだ。
恋が何か知らないが、常に彼の顔や声を思い出し、彼に会いたいと考えるのであれば、きっと私は幸せな花嫁になれる気がする。
ここは私専用の控室。
私を着飾らせた小間使い達は下がらせた。
部屋は小サロン程の大きさはあるが、そこにあるのは大きな鏡と足一本の丸い小机、ベールを飾る帽子たてと背もたれが孔雀の尾羽のようになった大きな白い椅子だ。
なぜ王宮で用意される私専用の椅子の背もたれが、いつも孔雀の尾羽の形なのか不思議であったが、それは小間使い達とのおしゃべりで初めて理由を知ることになった。
恥ずかしい事に、私が司法神セーレの御使いという認識だかららしい。
司法神は世界中の全てを知るために百の目を持っているが、その目のいくつかは御使いに持たせている。ここまで言えば気が付くだろうが、司法神の御使いとは孔雀だ。孔雀の尾羽の模様が美しいからこそ、昔の人は神の目玉に例えたのだろう。
けれど、私は我儘なだけの愚かな姫だったはずだ。
「あら、姫様はいつだって公平でしたよ。」
小間使いを監督に来ていた女官長がこともなげに言い放ったが、それは自分の事かと私の方が驚くばかりだ。
「何処の王様だろうと、どこの貴族様であろうと、そして、ただの死を待つだけの少年にさえ、姫様は同じように振舞われていましたではないですか。」
「そんなのは当たり前でしょう。」
「そこですよ。だからこそ、私達は姫様の為に馬車を出してしまったのです。たった一度の我儘ぐらい叶えてあげようと。それがあんなことに。」
「ごめんなさい。私の我儘であなた達をも苦しめていたわね。私は怪我をした後もそれなりに、いえ、怪我をする前よりも好き勝手に振舞っていたというのに。」
「はい。それは存じ上げています。だからこそ、ご尊敬申し上げます。」
「もう、あなたの話すお姫様は美化しすぎだわ。そうだ、ふふ。本当の我儘はあなた方に叶えてもらったわよ。私の我儘通りのドレスを作ってくれてありがとう。」
私は無駄に王宮に閉じ込められるならばと、その一か月を有益に使うことにしたのだ。
今の私には侍女がいないので女官長に頼み、婚礼用の白い衣装を作って貰っていたのだ。
シルクサテンのシンプルな形のものでしかないが、一か月と期間が短いのだから仕方が無い。その代りに頭に被るベールをアリアに考案させて、かなり派手なものとした。
通常の長く裾迄ひくベールではなく、帽子型に花びらのようなレースが幾重にも重なっているというものだ。
「身に余る光栄でございます。」
そう言って私に対して深々とお辞儀をした女官長は、頭を上げた時には両目には涙迄溢れさせていた。
「こちらこそ、あなた達のような方々に囲まれて幸せ者だわ。」
次には女官長は完全に泣き出し、小間使い達も次々と泣き始めたので、私は彼女達に労いの言葉を掛けながら下がって貰ったのである。
せっかく綺麗にしてもらったのに、私まで一緒に泣いてしまったら全てが台無しになってしまうではないか。
そう、彼女達は私の頬に痣など一つも無い事に驚きながら、そして、彼女達の手による化粧で私でない女神を出現させたかと思う程に私を綺麗に作ってくれたのだ。
この化粧は何者にも崩させやしない。
「あぁ、バルドゥクはわたしにどんな表情を見せてくれるのかしら。」
感動の涙をひっこめさせるために、背の高い帽子たてに乗せてある素晴らしいベールを見つめた。
花のつぼみがさかさまになったようなボリュームのあるベールは、これからの私の計画には最適なものであるだろう。
これならば、聴衆は私の痣のない顔に気が付かず、私の夫となるバルドゥクだけに本当の私の顔を見せつけることが出来る。
誓いのキスという場面で。
今度こそ、彼の唇は私の唇に触れるのであろうか。
自分で想像した癖に恥ずかしくなった私は、鏡の前にある椅子に再び座り直し、小テーブルに置いてあった水を口に含んだ。
式が終わるまで衣装は汚さないと水にしたが、水が胃に達した途端に腹がぐうと鳴って、自分が空腹である事を私に知らせた。
浮かれすぎた私は、そういえば朝から何も口にしてはいなかった。
今すぐにでも何かを口にしないと、晩餐会どころか式までも体が持たないだろう。
ようやく頭が冷静に戻り、卓上のベルで小間使い達を呼び戻そうかと手を伸ばした。
せっかくの感動の別れも台無しになるが、式を台無しにするよりは良いだろう。
「お姉さま。とってもお綺麗だわ。」
「セシリア?勝手に部屋に――。」
鏡に映ったセシリアはレースを重ねた豪奢で真っ白なドレスを身にまとい、そして、セシリアの後ろにはエバンズが好色そうな笑顔で立っていた。
私は慌てる様にしてベールを被って顔を隠し、それから自分に近づく王宮の裏切り者達にゆっくりと振り返った。
「セシリア。あなたは何を考えているの?」
彼女はベルをさっと私の手から奪い取ると、それが小さな勝利なのかのように嬉しそうに微笑んだ。
「返しなさい。」
「邪魔はいらない。最後の時くらい、召使い無しで一緒に過ごしましょうよ。」
「では、エバンズを下がらせて。」
「あら、エバンズは家族よ。ふふ、私こそ白が似合うと思わない?」
セシリアは大鏡に自分の姿を映し始め、体の線を撫でるようにしながら夢うつつのような口調で自画自賛をし始めた。
「白は花嫁の色よ。着替えてきなさい。」
「あら、お父様は砦を奪還した騎士に私を嫁がせるとおっしゃったのよ。今日は私の結婚式なのよ。お姉さまこそ、何を勘違いされているの。」
「二人並んでも、バルドゥクはきっと私を選ぶわ。私が皺だらけだろうと、私が痣まみれであろうと。」
愛は無くとも、彼は誰よりも義理堅い。
ガシャン。
セシリアが見るからに怒りの衝動のまま、掴んでいたベルを鏡に叩きつけたのだ。
鏡は破片が落ちなかったが、全体に蜘蛛の巣のようなヒビが走った。
「何であなたを選ぶのよ!片足は偽物で、顔だって痣まみれじゃないの。私の方が美しくて、健康で、それなのに、どうしてあの男が姉さまを名指ししたのよ!」
「名指し?父さまがあなたを手渡すのが惜しくて私、では無かったの?」
「違うわよ!私はその場にいたのよ!あの男はね、父さまに跪いて、姉さまが欲しいと言ったのよ。着飾って微笑んでいた私では無くてね。セレニア様を頂きに参りましたと、そこにいる誰もが聞き逃さないくらいはっきりと言ったのよ。」
私は押し付けられた姫ではなく、最初からバルドゥクに欲しいと選ばれたのかと、それだけで今日死んでもかまわない程の幸福感が沸き上がっていた。
いや、死んでは駄目だ。
私は彼に何も返していない。
一目会った時からあなたに惹かれているのだと、私は彼に告白しなければいけない。
「あんな下男に侮辱された私の気持ちはわかる?わかるわよね。あれは全部姉さまが仕組んだ嫌がらせだったのだものね。」
「どうやって会った事も無い男とそんなことが出来るのよ。あなたこそ馬鹿にした目で彼を見下していたのではなくて。そんな人を伴侶に選ぶ男性などどこにもいないでしょう。」
言い返して、私は油に火を注いでしまったと後悔した。
「うわああ。なんで!姉さまばかり!昨夜のパーティだって、あんな、あんなにも、姉さまばかり素敵な男性に囲まれて。どうしてなの!」
「一応は私が主役だったからじゃないの?」
「私が主役でもあの人達に囲まれた事なんてないわ!。」
「私を囲んでいたあの人達は、他国のスパイと変人伯爵だったじゃないの。」
「紺色のドレススーツのあの方は!あの素晴らしい方は!」
それこそ私の夫で、あなたは私の夫に会った事があったのではないかと問い詰めたくなった所で、エバンズの存在を忘れていたことに気が付いた。
「あなたは私の控室で何をなさっているの。ここは男子禁制です。」
「私はあなたをずっとお慕い申し上げていたのですよ。あんな野犬のような男に初物を与えるなんてもったいない。」
「はい?」
何を言っているのかと驚く私の目の前で、エバンズはなんと自分の服をはだけさせ、なんと私の方へと一歩一歩近づいてくるでは無いか。
「姉さま。エバンズとの結婚おめでとう。私が今日からセレニアとなって、あの男と結婚することにするわ。」
セシリアに横から両腕を掴まれ、私は立ち上がるどころか椅子から逃げ出す事が出来なくなった。
エバンスの下卑た表情とセシリアの情緒不安定、セシリアはエバンズが私にこれから及ぼそうと考える暴力を先に受けていたのだろうか。
庭の隅に倒れていた、美しかった少女。
抵抗したからか酷く殴られて、両目の位置が違うぐらいに顔が歪んでいた。
この男は、あんな暴力を我が妹に与えたのか?
「この、慮外もの、恥を知れ!」
怒りに任せて叫んだだけだったが、私はこんなにも大きな声を自分が出せるとは思っていなかったし、その声で妹がへたり込むとは思っていなかった。
いや、左脇にいた妹に大声を出す時に頭突きをしたような気もする。
セシリアが鼻から真っ赤な血を流してすすり泣いているのだ。
気がするではなく、実際に実行していたらしい。
目の前のエバンズだって、私の気迫に恐れを抱いたか、なんと後退ってもいるのだ。
私はセシリアから自由になった手をドレスの隠しポケットに、無い。
いつも作らせる隠しポケットは、シンプルなドレス故に作らせなかったのだった。
私はベールの隠しポケットからキリアムの短刀を取り出そうと、ベールを頭から外した。
「あぁ、なんてことだ。美しい、うつくしい、わたしのもの、私のものだ。」
エバンズが気味の悪い声を気味の悪い台詞と一緒に口にした。
私は何も考えずに叫ぶだけだ!
「衛兵!えいへい!慮外ものだ!裏切り者だ!早く!早く!」
大勢の足音が控室へと向かっており、私はこれでエバンズはお終いだと確信した。
「ハハハ。私一人で楽しもうと思ったが、姫様は全員の相手をしなければならなくなりましたねぇ。大声を出されるから。」
「え。」
扉が開き、衛兵が狭い控室になだれ込んで来たが、にやにや顔の若い男二人と銀髪の無表情の男という王宮の衛兵では無い男達だった。
「え。」
「私の雇った傭兵ですよ。安心してください。一番乗りは私だから。最初ですからね、優しくしてあげますよ。お姫様。」
自分が雇ったという傭兵達の到来に安心したのか、にやにやと笑いながらエバンズは再び私に近づいてきた。
「残念ね。一番乗りは私だと思うわ。」
私はドレスの前裾を腿にまで引き上げた。
「観念してその気になったのか。」
少々どころかかなりはしたない姿だろうが、私は右足を高く高く持ち上げてみせた。
エバンズは当り前だがスカートの中を覗こうと身を屈め、私はそこで思いっきり右足の踵をエバンズの頭に直撃させた。
「ぎゃあ!」
頭はぱっくりと割れ、エバンズは座り込んで慄いた顔を見せたが、私こそ義足の有効性に吃驚していた。これを改造したらもっといけるかも、と思うくらい。
「こ、こんなことをしても無駄だ!お前を助けるものなど!」
「あなたを助ける者こそいないわ。」
私はドレスをたくし上げたまま椅子から立ち上がると、今度はエバンズの顎を右足でしたたかに蹴りつけた。
エバンズはごろっと転がり、私からは一メートルくらいは遠くに行ってくれた。
衛兵姿の男達は一斉にぱちぱちと拍手を私に贈ってくれたが、彼らはそれ以上に動く事はしなかった。
それは、彼らを押しのける様にして花婿姿の男がエバンズの前に出てきたからだ。
彼らはその男に花道を譲るつもりだったのだろう。
殺気を纏った男は確実なる恐怖をエバンズに与えながら、一歩一歩と確かな足取りで脅えるエバンズに近づいて行った。
こんなにも近くにいるのに、私には彼の顔が見えない。
私からは丁度彼の顔が影になるような向きで彼は移動しているのである。
彼の表情が見えない事が残念であるが、彼は私の期待通りに、頭と口元からだらだらと血を流しているエバンズが今度こそ壁にぶつかって死ぬのではと思う程、エバンズを強く蹴り飛ばして私から遠く離れた場所にまで追いやってくれたのである。
「あなたは本当に素晴らしいわ。」
しかし彼は私に振り向くことなく、仕事が終わったという風に部屋の外へと踵を返した。
「え、待ってバルドゥク!」
彼はそこでピタリと足を止めた。
けれど、私からは背を向けたままだ。
耳元が真っ赤な彼に、私は自分が太ももを丸出ししていた事を思い出した。
慌ててドレスをつかむ両手を開き、ぱさりと裾は床に降りて太ももを隠したが、きっとすでに遅しな事態だろう。
私も耳まで真っ赤になってしまった。
「あ、あの、ご、ごめんなさい。あなた以外の人達にはしたない姿を見せてしまって。あの、怒っていらっしゃる?」
「そんなことで怒りません。俺は、あなたの強さに尊敬さえもしています。」
「それではどうして振り向いてくださら、あ、ドレスは戻したから。こちらを向いても大丈夫よ。」
しかし彼は振り向かない。
「どうして振り返ってくれないの。」
「式前に花婿が花嫁を見たら、その婚礼は不幸になると申します。」
セシルやアーニス、いつも無表情のジーニーまでも、彼の言葉に噴き出した。
彼の語ったしきたりは、最近では殆ど気にもされない古いものだからだ。
けれど、私は彼の言葉がとても嬉しかった。
彼は私達を完璧に幸せにしたいのだ。
ここは彼を解放するべきなのだろう。
でも私は、今すぐ彼に振り向いてもらえないと死んでしまいそうなのだ。
私達は、互いの気持ちだって伝え合ってはいないだろう、と。
「ふ、不幸でも、あなたが私を見つめてくれるなら、私はずっと幸せだと思います。私は、あなたの顔を見て、式の前にあなたが好きだと伝えたいのです。」
彼の右肩は見るからにびくっと震えたが、私に振り向きなどしなかった。
それどころか大きなため息を吐き出し、低く暗い声を出したのである。
「俺は、農奴だった俺は、親の顔など知らない。自分の名前だって与えられていない。物心ついた時に俺を慈しんでくれたのは、領主の犬、だけでした。俺はその犬の名前を名乗っているだけの名も無き獣です。」
私はバルドゥクの突然の告白に、頭が真っ白になった。
彼は自分の出自が下卑たものだと私に突き付けることで、私から結婚の白紙を言わせたいのだろうかと、パニックになったといってもよい。
そして、終に確信した。
パニックになったのは、私が彼と結婚したいからだ。
私は彼に恋をしている。
彼が私から逃げようとしているのならば、私は彼を射止めなければならない。
釣り竿でのんびりなんてしていられない。
銛でも槍でもどんと使え、だ!
「私を追い払う事なんてできませんよ。」
「追い払う、なんて。」
彼が振り向きかけた。
びくっと動いただけかもしれないが。
「バルドゥクとは治癒神ラグ―の御使いの名前ではないですか。そんな名を持つ子は素晴らしい生き物だと決まっています。その犬が生きているのならば、私の親として最高の寝床を用意してあげましょう。そ、それに、わたしはあの日の婚礼で、すでにあなたの妻になったのだと思ってきました。だ、だから、今更私を振り払おうなんてできません。世話をしてくれなくても、私は自分の足で歩いてあなたを追いかけます。だから、妻としての我儘でありお願いです。私は今すぐあなたに振り向いて欲しいの!」
彼は頭を垂れたまま一切動かず、私は自分が情けなく涙迄溢れそうになったその時、セシル達の後ろからにょきっと赤い髪の少年の頭が突き出た。
「ほら、いい加減にして。仕事はまだ残っていますよ。」
「あ、しまった。」
「うわあ。」
セシルとアーニスは慌て声を上げて廊下へと引っ込み、いつも無言のジーニーはやはり大きなため息だけ吐いてから彼らの後を追っていった。
後には、バルドゥクと私、そしてキリアムだけ残った。
私の斜め後ろでへたり込んでいる妹と、壁際でぼろ雑巾になっているエバンズなど、今の私にはただの壁の模様に部屋の家具だ。
そんな時間が止まって無音となった世界で、時間を動かしたのはキリアムだった。
彼は私に愛嬌のあるウィンクをして、もう少しだけと言ったのである。
「え?」
「姫様、ほんの少しだけ待ってくれますか。この人、スゴク泣いている。」
「え。」
「ば、ばか。お前も仕事が残っているんだろ。あの調子者どもを監督するって大事な仕事が。早く行け。」
「かしこまりました。」
キリアムはぴょこんと貴族的な礼を私達にすると、すっと、猫のように戸口から去って行った。
私は再びバルドゥクの背中を見つめ、彼が振り向いてくれるその時を待つことにした。
私達にはこれからも長い幸せの時間が沢山あるのだ。
いくらだって待てるでは無いか。




