二十四、野苺子爵
「どうしました?」
真夜中の急な呼び出しに関わらず、キリアムはいつものように姿を現し、猫のように小首を傾げた。
あのムカつく伯爵に見れば見る程似ていると、いつもは気にしないキリアムの所作が気に障った。
「君は緑ケ原伯爵の弟だったんだね。」
「ええ。」
「それも、子爵、さま?」
キリアムは端正な顔を、俺が知っている中で初めてという位に、嫌そうに歪めた。
「今のところ奴の跡継ぎなので。あいつが息子を持てば、ただのキリアムに戻れます。」
「えぇと、君が俺の暗殺に来たのは、あの伯爵の依頼、かな。」
「そう、ですね。まぁ、あいつはあなたを殺すのは骨が折れそうで、いい暇つぶしになるかもねって、僕を送り出したのですけどね。気に入ったら守ってみるのも面白いかもねって。どうせ、次から次に命を狙われる御仁だろうから、僕が退屈しないかもって。」
俺はキリアムの暇つぶしで殺されかけたのか、と、キリアムとあの猫の大将に常識を求めた俺が間違いだったのだと、聞くんじゃなかったと、大きく溜息を吐いた。
「そう。……遅いけれど、お茶、飲む?お菓子を白鳩家に持たされてね。」
「いただきます。」
嬉しそうに答えると、キリアムはテーブルへと突進し、ひょいと椅子に座った。
テーブルには白鳩家から貰った籠が置いてあり、キリアムは期待に溢れる五歳児のような顔でその籠にかかっている布巾をさっと取り除いた。
「わぉ、久しぶりのエーデンさんの焼き菓子です。でも、いつもより可愛らしい。」
「エーデンと彼女の妹達作、かな。イーオスはかなり太ってしまっているよ。可哀想に。」
俺の淹れたお茶が彼の前に置かれる前に、キリアムは嬉しそうに真っ白なアイシングで飾られたカップケーキに手を伸ばしていた。
真っ白なアイシングには菫の砂糖漬けも飾られている。
真っ白な花々に飾られた、青紫の瞳を持つ美しい聖女。
「俺を殺そうと狙ったのは、いつかセレニアの害になると思ったからかな。」
「僕が家出を繰り返すからでしょうね。あなたを狙っていれば居場所はわかるし。いちいち僕を探すのが面倒になったのでしょう。」
「そう家出。…………繰り返していたんだ。」
「はい。僕は弟と言っても娼婦の息子です。暗黒街で育って、子供のくせに目利きがいいってんで殺しも請け負うようになって。そんな時にあの男に捕獲されて。安全と教育を与えてもらいましたけどね、あの男と一緒にはいられませんて。」
「はは、解る気もするけどね。でも捕獲?」
「そんな感じですよ。実際に網で捕えられたのだもの。」
確かに目端が利いて身体能力も戦闘能力も高い彼を無傷で捕えるには、網という罠を仕掛けるのが効果的だと考えた。あの男は用兵家としても優秀なのかもしれない。
「はは。兄上の所に帰りたい、とは?」
「一緒にいられないと言ったでしょう。絶対にいや、です。」
彼は俺の茶を啜り、ほうっとため息を吐いた。
それから覚悟を決めた目で俺を見つめた。
「僕は虫が嫌いです。」
「うん、俺も。」
「茶々はいいです。いいですか、僕が虫が大嫌いだって事だけ覚えていてください。あんなもの、飢えたとしても、ぜったいに食べたくありません。あなたも、虫食だけはやめてくださいよ。人が多すぎて食糧難になるのなら、僕が人を殺します。虫を食べても殺します。絶対に殺します。例外も無くあなたもです。いいですね、虫の話だけでもアウトです。セレニア様にも虫食い禁止の旨は徹底してください。」
「君が自分で言えば良いじゃない。」
「あの方は兄に似ています。もしかしたら、兄よりも危険です。」
「そうなの?」
「はい。」
彼は俺に少々の暇を告げると部屋を出て行き、すぐに戻って来たが両手で女性用の高価な化粧箱を抱えていた。真っ白な象牙にアゲハ蝶の形の貝が貼り付けてある優美な箱だ。
彼はそれを嫌そうな顔をしながらテーブルではなく床の方に置いた。
「セレニア様から、あなたへの贈り物です。」
「どうして贈り物を床に置くの!」
「危険だからです!」
「え?」
「説明します!」
キリアムは床に座り込むと、ぱかっと象牙の箱の蓋を開けた。
中にはどこが危険なのかわからない数々のものがぎっしりと並んでいる。
砂糖菓子を包んだような小袋が色とりどりに並び、スモモぐらいの大きさのピンクや青のカラフルな玉。一目でナイフのようなものとわかるものもあるが、殆どはお菓子か化粧道具の一つにしか見えない物ばかりだ。
「セレニア様の身を守るために兄が製作した人殺しの道具です。いや、死なないからもっと質が悪いでしょうね。」
「そうか。あの二人は、やっぱり深い絆で繋がっているんだね。」
「違いますよ。セレニア様はこれをあなたにあげるから、あなたに自分を守って欲しいとおっしゃってました。あなたへの信頼の証だとも。」
「それを先に言ってよ!それよりもどうして今まで黙っていたの。」
俺はキリアムの前に座り込んで身を乗り出した。
もっと詳しくセレニアの言った言葉を知りたいのだ。
「あなたが酔っぱらって行き倒れたからです。」
「――すまない。」
「あのタウンハウスは緑ヶ丘伯爵家の本当の持ちものです。そこで僕は、あの兄に会いに行ったのですよ。そして、今日、あいつと一緒に、この王都に戻って来たばかりです。」
俺は前夜祭とやらでセレニアに会えるとそればかりで、そういえばキリアムの姿が数日見えなかった事を全く訝しんでもいなかったと反省した。
「――ご面倒をおかけしました。」
「いいです。とにかく説明しますよ。そして、心胆寒からしめてください。姫様はこの道具がどれほど危険か知らないまま、なんと、ドレスのポケットに入れて過ごしていたのですからね。いいですか?って、笑う所ですか?」
「いや、嬉しくて。俺は俺を叱ってくれるキリアムが戻って来てくれた事が嬉しくてね。俺にとってはもう、君はさ、弟同然だから。」
キリアムは髪の毛と同じぐらいに真っ赤になった。
「なっ…………。あなたも危険な人だ。きっと、セレニア以上に。いいです。とりあえずこの玩具は僕が全部管理します。いいですね。」
「えぇ、でもこれはセレニアのモノなんでしょう。俺が管理するよ。」
キリアムは嫌見たらしい長々としたため息を吐くと、全部しっかりと聞いてもらいますよと、俺を脅すような物言いをした。
「危険物ですからね。あなたが大怪我をされては困りますから。いいですか?他の団員には絶対に触らせては駄目ですよ。特にセシルやアーニスや、あぁ、ダンは特にいけない。彼は絶対に解体しようとする。団員じゃないけどイーオス様は絶対に危険だ。あの人も無駄に好奇心が強い方だから。それから……。」
「管理の方、お願いします。キリアム子爵様。俺は明日に控えて早く寝なければ。」
「――。僕はあなたのそういう所が好きですよ。」




