9綾波はるかさん
夕方に、そろそろ起き出した龍さんは身支度を整え、阪神電車へ飛び乗って、見合い相手の綾波はるかさんと待ち合わせの神戸三ノ宮で出た。
「ひっさしぶりやな神戸」
夏目漱石から連なる作家の一門の脚本家の師匠に学んだから関西の下町、尼崎在住であっても標準語、むしろ、江戸前言葉を使う龍さんがめずらしく大阪弁がこぼれるほど久しぶりに神戸へやっていたのだ。
尼崎と神戸は同じ兵庫県にあるのだが、尼崎の住民にとっては快速電車で35分かかる神戸より、特急で15分で行ける梅田(阪神電車の大阪駅)の方が身近なのだ。その証拠に尼崎は、家電話の市外局番が大阪と同じ06地域なのだ。
それに、
「神戸の人間は気取ってるからな……」
洒落たカフェや、洋菓子のお店が並ぶ神戸三宮は、たこ焼き、イカ焼き、お好み焼きの大阪の粉もん文化の影響をストレートに受けた尼崎では、気取ったスタイルが鼻につくように感じるのだ。
龍さんは神戸そごうの百貨店から少し離れた商店街フラワーロードと神戸市営地下鉄海岸線がぶつかる角にある花時計の前に立っている。
季節によって時計盤の花を植え替える5月のこの時期は、黄色と橙色のマリーゴールドを背景に、白タエギクをデザインに、棒人間が手を上げて踊っているような神戸まつりの図案で出迎えてくれている。
龍さんは、「神戸だから」と、神戸出身の高田賢三こと世界のファッションデザイナーKENZOのジャケットに、同じKENZOのジーンズを着て、その手には、プリンとしたホワイトの花弁に、チラチラと黄色の花柱が可愛らしく咲くプルメリアの花束を携えている。
と、そこから小一時間……。
「遅いな、綾波さん」
そらそうだ、綾波さんは高校の先生である。たとへ、その日の授業が16時で切り上げても、部活の顧問でもしてようものならさらに2時間は取られるのが当たり前だ。
若いころから、作家の純粋培養のように、名のある脚本家の弟子について世間を知らずに生きてきた龍さんは、世情に疎い。
そらさ、娘の茉奈が高校生だからその辺は、一般常識的にわかるでしょうと思われるかもしれないが、龍さんも遅咲きのライトノベル作家とはいえ天才の類である。どこかやっぱり世間ずれしていて、当たり前が当たり前じゃない。まあ、変な奴なのだ。
「しかし、今日は暑いな……」
時代は、平成から令和に移ったというのに、昭和、平成と生きてきた龍さんの感覚では、時代が移り変わるごとに夏が早く、長く、成ってゆく体感である。
「頭が冴えねぇ夏は、筆が落ちるから仕事しねぇんだ」
と、言って師匠は、夏場の仕事は全部、龍さんに押し付けて、和歌山のホテル浦島や、三重の賢島宝生館、龍さんは連れて行ってもらったことがないから、名前は知らないが飛騨高山の川端康成の馴染みの宿へ逃げてゆく。
まあ、師匠が仕事をまったくしてないかっていうと、それは嘘になる。師匠が夏場休むのは、収穫時期の秋、冬、春へ向けて、芝居36通り、多彩な箱をどんなオーダーが来ても良いように書き溜めて準備しておくのだ。
そして、夏場は体力のある若い作家に機会を与える計らいでもあるのだ。
見合い相手の綾波さんがはなかなか来ない。
龍さんは、緑子叔母さんから、綾波さんの見合い写真を見せられているから、この待ち時間に、「そうだ、芝居の登場人物ならどんなせいかくだろうか?」と、写真の姿から想像をふくらます。
「うん、神をポニーテールにキリリとくくって、仕事へ切り替えをしながら立ち向かいつつも、おそらく、オフには髪をほどいてゆったり神戸のカフェ巡りを楽しむような女性だろうな」
「うん、眉目秀麗、鼻筋は通って、口は大きい。きっと、意思の強い女性なんだろうな」
「うん、服装は白のレースのタッチのワンピース。身長は少し高めの165cmくらいか、ビックリするくらい胸がデカいな、それでいて太っているようなこともなくスラリとしている。しかし、どうして、こんなにステキな女性が33歳まで結婚もせずオレなんかと見合いなんだ、それが、なぞだ……」
と、龍さんが見合い相手の綾波さんの写真を相手に推理してフと頭を上げた。
「ワッ!」
目の前に、今時いないだろうと思うような牛乳瓶の底のような厚底をメガネをかけたイケてない女性が立っていた。
龍さんは、牛乳瓶メガネの女性を上から下まで見定めた。
髪は急いでいたのか汗ばんだようなウェティーな黒髪を左右で二つ結び、顔の造形は目鼻立ちくっきりしているが、リップだけつけたノーメーク。服装に至っては、これがまた、いただけない。ここは、龍さんが、気取っていると認める神戸のど真ん中である。そこへ、こともあろうに、ジャージにリュックを背負って現れたのである。龍さんは、なんだこいつはと思った。
龍さんは、綾波さんが来るかもだから、こんなイケてない女性に絡まれて誤解でもされてはいけないから場所をさっさと移ろうとしたら、
「あの~、もしかすると、茶川龍太郎さんじゃないですか?」
「(もしや読者のファンか)そうですが、今は人を待ってまして、サインならしますから放っておいてもらえませんか?」
「ああ、やっぱり、茶川龍太郎さんだ。頭に、ピョンと跳ねた寝ぐせがあるからそうじゃないかなって思ったんです」
「と、いう貴女は?」
「はい、はじめましてワタシが綾波はるかです」
つづく