29話 譲れない想い①
お姉さまは雑魚で、無能で、出来損ない。
だって私が五歳で出来たことが、お姉さまは今だってひとつも出来やしないんだもの。
そう、思っていた。
いや、今でも思っている。
私は、優秀なのだと。私は、父に認められた跡継ぎで、甘露桜家を背負う存在で、下級位であることを今にもひっくり返すことが出来る存在なのだと。
だから、現状を認められなかった。
この私が、『妖怪の姿が見えない』なんて、絶対にあり得ない。
だけど、お姉さまが家を出て以降それは事実で、だからお父さまが何気なく言った言葉が引っかかった。
「そういえば、以前は使用人たちが『蔵から声が聞こえる』と怖がったものだが、最近は聞かないな」
お姉さまがいなくなってから、使用人たちも見えなくなったり聞こえなくなったりするなんて……。
きっと、絶対、関係あるに違いない。違いない、違いない。
お姉さまがいなくなっても、父と弟の能力は変わらなかった。
私だけが、見えなくなった。
私には幼い頃から祓う力があったけれど、まさか、見る力がなかったって言うの……?
お姉さまの能力で、見ることが出来ていただけなんて、本当に癪だった。
だけど、気づいてしまったのよ。
お姉さまが戻ってきてくれさえすれば――なにもかも元通りだってことにね。
* * *
「主さま! 灰音は追えんかった! 呪具の痕跡があって、そこでぱったりと途切れておる!」
「なんだと!?」
言ってから、斎は刀で大蛇の攻撃を防いで、飛び退いた。
後ろの茂みに寿々がやってくる。
「くそ、なんで今……!」
斎は、二体目の黒い影と対峙していた。――大蛇は、二匹いたのだ。後から現れたそれも、先ほどと同様にぼんやりとしか見えない。
灰音が走り去って、斎は追いかけようとしたが、もう一体に邪魔されてしまった。代わりに寿々を呼び出して後を追わせたのだが――こうしてひとりで帰ってきてしまった。
刀を構えながら、斎は息を整える。
「何回か当たっている感触はあるんだが!」
「こいつは結構素早いのぅ。今は様子を見とるようじゃ。……主さま! 右からじゃ!」
言うとおり刀を振ると、何かを切った感触。それから、
「ジャァーオォォッ!」
大蛇のうめき声がした。
黒い影は、ようやく燃える。いつもなら燃え尽きるまで見届けるが、斎は即座に寿々の方を振り返った。
「寿々! 灰音は……!」
「わからぬ。山を下った、もう少しで道というところで弾かれてしまったのじゃ。匂いを辿ることも出来んかった」
「…………」
斎は少し考えるような仕草をしてから、顔を上げた。
「寿々。お前、なにか聞いてるんじゃないのか?」
寿々は少したじろぎ、そして斎の顔をうかがい見るように言った。
「……主さま、あやつは悩んでおったのじゃ。妾にはどうすることも出来んくて……。じゃから……」
「わかった。行くぞ」
「えっ?」
「こんなところにいても、どうにもならないだろ。山を下りる」
「じゃが、一体どこへ……」
斎はさっさと歩き出してしまい、寿々はそのあとを宙に浮かびながらついて行った。
早足で歩きながら、正面を見たまま斎は寿々に話しかける。
「話してみろ」
「……実は……」
寿々は、最近の灰音について話し出した。
* * *
これは、灰の臭い。焼けた紙が散り散りになったような、その紙切れが喉に張り付くような、乾いた空気に煙が混ざったような、そんな臭い。
(ここは……)
灰音が目を覚ますと、そこは薄暗い地下室だった。見たことのない部屋だ。鼠色の石造りの壁に、ほの暗い明かりのランプがついている。目の前には、机があり、ペンが一本置いてあった。
冷たい感触の石造りの床から足を離そうとして、足を動かせないことと、靴を履いていないことに気がついた。灰音は椅子に座らされており、その椅子に手と足が縛られていたのだ。
部屋の中には誰もいない。ただ、奥の祭壇に、なにかを燃やした後の――燃え尽きた香炉があるのが気になった。
(わたしをここへ運んだのは、紅葉なの……?)
気を失う前、最後に見たのは、妹の姿だった。
――どうして、こんなことになったのだろう。
わたしは、紅葉を恨んでなんかいなかった。小さい頃から才能があってすごいと思っていた。……紅葉が当主でも構わないと思っていた。だから、ずっと我慢していた。無能と呼ばれても、事実だと受け入れていた。
なのに、どうして――……。
ギィ、と重い戸が開く音がして、入ってきたのは、ふたりの少女。
「あらぁ。起きてたのね。おはよう。お姉さまぁ」
「うふふ。お加減はいかがですの?」
それは、甘露桜紅葉と、鏡月院クイナの姿だった。
「紅葉……。それに、……クイナさま。これは一体……」
クイナは祭壇へ近づくと、満足げに頷いた。
「結界が完了したようですわ。これで安心」
「結界……?」
「ここは鏡月院家の地下室。ここにあなたがいることは、誰も知らない。もちろん、斎さまだって。鏡月院家の呪具を使えば、あなたを攫った位置に痕跡を残さない。なにも残さない。ここは地下で、誰もあなたの助けは聞こえない。――そういう結界ですの」
鏡月院家はたくさんの呪具を持ち、巧みに扱うと聞いていたが、まさかこれほどとは……。
灰音の額に、冷や汗が伝う。
「……お願いします。わたしを家へ帰してください」
「家、ですって? いいですわよ、事が終わったら帰して差し上げます。――甘露桜家へね」
「……どうして……」
クイナは扇子を広げながら、灰音にゆっくりと近づいた。
「あなたがね、悪いんですのよ? 灰音さん……。あなたのせいでわたくし、斎さまからおかしなことを言われてしまいましたの。――わたくしはすべてにおいて、あなたより優れてますのよ。異能も、美貌も、家柄も、なにもかも。そう言ったら、彼、なんとおっしゃったと思いますの?」
灰音が黙っていると、クイナは灰音の正面にやってきた。そして、扇子をパンと閉じると、
「わたくしが優れているのは、見当違いだ――と、おっしゃったのですわ。ああ、本当にあり得ない。以前の彼なら、絶対に仰いませんでしたわ」
クイナは閉じた扇子を、灰音の顎にクイと当てた。
「ですからね? なにか理由があるんじゃないかと思いましたの。――〝灰音が優れていると言える理由が〟」
「……どういうことでしょうか……?」
「しらばっくれるんですの?」
目を細めたクイナは、扇子を灰音から離すと、再び口元で広げた。
「――あなた、斎さまに妙な力で取り入ったって、本当かしら?」
「え……」
灰音は目を見開いて、クイナを見た。クイナは扇子をパタパタを扇ぎ、冷ややかな目でこちらを見ていた。
もしかして、わたしの『他人に妖怪を見せる能力』のことを、知っている……?
いや、そんなはずは……。しかし、これが知られたら、芋づる的に斎の能力の欠陥についても知られてしまう……。
灰音の顔は、一気に青ざめた。
「どうなんですの? ねぇ?」
「し、知りません……。わたしは、なにも……」
「うっふふふふふ!」
これまで黙っていた紅葉の笑い声が響いた。
「私、知ってるのよぉ?」
「紅葉……」
「あのね。お姉さまがいなくなってから、私、妖怪が見えなくなっちゃったのよ。仕事が出来なくてお父さまには怒られるわ、お母さまには嘆かれるわ、充には馬鹿にされるわでもう大変! あ、まずはこの分ね」
紅葉が手を振り上げて、パシン、パシン、パシン、と三回灰音の頬をぶった。
そのまま、何事もなかったかのように続きを話す。
「それで気づいたの。これには、お姉さまが関係しているんじゃないか、ってね」
「う……」
「お姉さまが家にいたときは、離れて依頼を受けに行っても大丈夫だったわ。同居だかなんだかが条件かはわからないけれど――ああ、一緒にいる時間かもね? 私たち、仲良くたくさん遊んでいたものね? くすくす!」
紅葉はにっこりと微笑んだ。
「だからね、斎さまも同じじゃないか――って思ったのよ。斎さまが、あんたみたいなグズでノロマで、妖怪を祓う能力もなければ貧相な体の女を娶るなんてね?」
「そうですわ。彼、女性に興味などありませんでしたもの。ですから、紅葉さんに結納時のお話を聞いて驚きましたわ。結婚の理由が、一目惚れ? 一夜の盛り上がり? たった一日の交際で結婚まで決めてしまうなど、あり得ませんわ。彼の婚約者だったわたくしが断言いたします」
「そう。だから――〝斎さまは妖怪の姿が見えない〟んじゃないかって、そう気づいたの」
喉が、ヒュッと締まるような感覚。
それだけは、その秘密だけは、わたしが守らないといけない。
灰音は、慌てて首を振った。
「ち、違います! 斎さまはそのようなことはありません! わたしはただの無能です……!」
「あの斎さまに、そんな弱点があったなんて。くすくす。鏡月院には能力増強の呪具がありますの。斎さまにそれを渡しておきますわ。さぞかし喜ばれることでしょう。あなたみたいな足手まといを戦場へ連れて行かなくて済むんですもの」
「お姉さまの代わりは、あるってこと! わかったぁ?」
「違います、違いますから……!」
ふたりの令嬢は、ニヤニヤと笑う。
灰音が必死に否定すればするほど、面白いようだ。
クイナが眉を下げて、しかし口角は上げて言った。
「さすがにわたくしたちがこの話を外部にすることはありませんわ。そんなことしたら、斎さまの――わたくしの嫁ぎ先である鳳凰寺家の評価が下がってしまうかも」
「甘露桜家の次期当主である私の評価もね」
「……!」
斎の秘密を外部に漏らすと脅しているわけではないらしい。だが、ここで安堵してはダメ。ほっとした表情を見せたら、この話を肯定していることになってしまう。
灰音は緊張を崩さず、ふたりを見た。
――しかし、では、一体どうしてこの話を……?
そう考えたのを見透かすように、ふたりは笑みを浮かべて口を開いた。
「あのね。私たちの要望はひとつだけ。お姉さまには斎さまと離縁して、甘露桜家に帰ってきて欲しいのよぉ」
「そうしたら、わたくしが斎さまと結婚して差し上げますわ」
「……!」
「ね? 皆が幸せになるのよ。無知で無能なお姉さまにもわかるかしらぁ?」
(そういう、こと……)
紅葉はまた仕事が出来るようになり、立派な甘露桜家の当主になるし、クイナは斎の妻になる。そういう提案だった。
彼女たちの言い分はわかった。しかし、だからといって……。…………。
「……っ」
灰音は、唇を噛んだ。
わたしは、そう――本当は彼女らの言うとおりの、条件だけの花嫁で。能力で役に立つために選ばれた契約結婚だった。
だけど、その能力を失ってしまって、斎さまには迷惑を掛けた。その上、その事実を追求されることを恐れて、逃げ出してしまったのだ。
契約は、破棄されるに違いない。
わたしは、本当に無能になってしまったのだ。
だけど。
「……嫌、です」
灰音は、震える声で言った。
紅葉とクイナは、眉を寄せる。
「はぁ?」
わたしは、彼の隣にいる資格がないかもしれない。
だけど、だけど。それでも。
「わたしは、斎さまのおそばにいたい、です……!」
「あんたの意見は聞いてないっての!」
カッとなった紅葉は、手を振り上げた。




