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27話 兆候


 事の始まりは、小さな違和感からだった。

 鎮妖大祓から、数日後。

 灰音が自室にいると、吉江がやってきて報告をしていた。


「新しい使用人、ですか?」

「はい。今日から三名入りました。先月、こちらでお仕えしていた使用人が三人辞めることになりまして、代わりに分家から使用人を呼ぶことになりました」

「そうですか……。わかりました」


 と、返事をする他ない。新しい使用人は、もう来ているのだ。


「後ほどお連れしてもよろしいでしょうか。挨拶をさせますので」

「はい……」


(でも、大丈夫……かしら?)


 灰音は横目で、畳に転がる寿々の姿を見る。

 彼女は妖怪で――鳳凰寺家の座敷童だ。長く勤める使用人には姿が見えるようになるらしいが、もしかしたら新しい使用人には、灰音のせいですぐに見えるのではないだろうか。

 吉江が部屋を出ると、寿々が言った。


「そんなの、『元々見る才能があった』とでも言っておけば良かろう」

「そう、かもしれませんけど……」

「どれ、やつらが来たら妾がテストしてやろう! 才能があるやつはおるかのぅ?」

「数ヶ月隠れててもらうとかはー……」

「なぜ妾が隠れねばならぬのじゃ」

「う、うーん……」


(そのせいで、斎さまの秘密が使用人たちにバレては……)


 元々祓い屋の屋敷で働いていた人たちだ。気にしすぎかもしれないが――。


「い、斎さまに相談しないと……」

「灰音さま。新しい使用人をお連れしました」

「えっ……!」


(もう……!?)


「は、はい、どうぞ……」


 襖が開いて、吉江とその後ろに若い女性の使用人たちが見えた。彼女らは部屋に入ると、灰音に挨拶をする。


「初めまして、灰音さま。本日よりお仕えいたします」

「鳳凰寺灰音です。よろしくお願いします。……っ!?」


 灰音の隣に、寿々がやってきた。


(ちょっと、寿々ちゃん……!)


「妾が天才座敷童☆寿々じゃ! 存分に敬うのじゃ!」

「……!」

「ほれ、挨拶はどうした。妾はこの屋敷の主の式神であるぞ」


 使用人たちは、何も言わない。それどころか、寿々を見ていない。


(触れていい存在なのかどうか、わからないのかも……)


 部屋に妖怪がいたら、そしてそれが話しかけてきたら――反応していいのかどうかわからないのも無理はない。灰音だって外で知らない妖怪に話しかけられても、怪しければ見えないふりをするだろう。


「あの、この子は寿々ちゃんと言って、斎さまの式神です。えっと、噛んだり人に危害を加えたりはしませんし、安全でかわいいですよ」

「動物の説明みたいじゃないかや?」

「そんなことは……」


 膨れる寿々をフォローしようとした時、新人の使用人のひとりが口を開いた。


「えぇと、そこになにか、おられるのですか?」

「え?」

「すみません。私たちは一般の家庭の出でして……。祓い屋ではないので、そういったものは見えなくて……」

「あ……えぇと……。今は、見えてない、と?」

「はい」


 使用人が頷いた。灰音と寿々は顔を見合わせる。


「よっぽど才能がないのじゃ」

「…………」


 そういう問題なのだろうか。

 他のふたりも同様だと言う。


 吉江が「長くお勤めしていればそのうち見えるようになりますよ」と説明した。

 確かに、今までの――灰音が嫁ぐまではそうだったが。






 その翌日。

 灰音が使用人を連れて買い物に出た時のことだ。

 街中のとある店の影に、ぼうっとした黒い人影のような妖怪が見えた。それはじっとしており、特に動きを見せない。


「…………」


 害のない妖怪のことは見ないようにしているが、少し気になって、灰音は使用人に尋ねた。


「あの、そこの赤い屋根のお店ですけれど……。建物の左の影になにか見えますか? その、人影とか」


 普段なら、使用人も頷くはずだ。灰音と同行する使用人には妖怪が見えるはずだからだ。――だが。


「えっと……? 鉢植えですか?」

「その上のあたりです」

「はぁ。……なにも見えませんが……」


 使用人の顔には、単純な疑問の表情が浮かんでいる。嘘をついている感じではない。


「どうされたんですか?」

「灰音さまが、そこの店の鉢植えの近くで人影を見たって」

「うーん……。なにも見えませんね。今もまだ見えますか?」

「私たちには、なんとも……」


 他の使用人も目凝らしながら言った。

 妖怪は今も、先ほどと同じ場所に留まっている。


(もしかして……)


 じわりとした嫌な汗が体を伝って、着物が肌に張り付くようだった。


ドクン、ドクン。心臓の音が、体の内外から聞こえる。


 灰音はぎこちない笑顔で、使用人たちに「気のせいだった」と告げた。

 しかし、心の中ではあるひとつの懸念が浮かんでいる――。

 


 ――わたし、『他人に妖怪を見せることが出来る能力』を、失った……?



 たったひとつの、わたしの役目。契約結婚の内容。


 わたしは、斎さまのおそばにいる資格を、なくしてしまったかもしれない……。






「寿々ちゃん、どう思いますか?」

「うーむ。わからんのぅ……」


 帰宅した灰音は、誰も部屋にいないうちに寿々に診てもらった。

 寿々は驚いた顔をした後、真剣に診察してくれたが、首をひねるばかりだった。


「妖怪による傷や祓い屋による呪いの類いではなさそうなのじゃ。――人間は弱い生き物じゃ。強いストレスで異能が弱まることも、あるとは聞くが……」

「でも、これじゃ困ります……! わたし、斎さまのお仕事に同行できません……!」

「しかし、呪われているわけでもなく、病でもないとなると、妾にはどうすることも出来んのじゃ……」

「そんな……」


(どうしよう……)


 うなだれた灰音の背を、寿々がそっと撫でる。


 そこへ、


「灰音、今いいか?」


 斎の声がして、灰音はビクッとしながら顔を上げた。

 襖は、灰音の返事を待たずして開けられる。


「い、斎さま……」

「なんだ。寿々もいたのか。急で悪いが、明日妖怪祓いの仕事がはいった。出られるか?」

「…………す、少し体調が、悪くて……。明日は、その……」

「……寿々に診てもらっているのか? まさか、またお前の妹が……!」


 斎の目が険しくなる。

 灰音は慌てて首を振った。


「ち、違います! 妹は関係なくて……。呪いじゃありません」

「寿々。本当なのか?」

「うむ。呪いや病ではなさそうなのじゃ。……疲れかのぅ? ゆっくり休めば治るのではないか?」

「……そうか。悪かったな」


 斎はほっとしたように息をはくと、灰音の側に寄り、額に手を当てた。


「熱はなさそうだ」

「ひゃ……っ」

「なんだ、これくらいで」

「いえ、その、すみません……!」


 彼に会うのは気まずいと思っていたが、実際に会えると嬉しくて、彼の骨張った手が触れるだけで、体温が上がっていきそうだ。


「い、斎さまの手は、いつも温かいですね」

「そうか? ……炎を扱うからか?」

「……ふふっ」

「なんで笑う」

「いえ……」


 灰音は、眉を下げて小さく笑った。


 真面目な彼が好き。

 本人は真剣なのに、少しズレた会話してしまう彼が好き。


 だから。


「明日は……すみません。お休みさせていただけますか」


 わたしは、嘘をついた。

 

「ああ。もちろんだ。明日は俺ひとりで行く」

「はい。ありがとうございます……」


 斎は頷くと立ち上がり、部屋を出て行く。

 襖が完全に閉まって、足音が遠のいたのを聞いてから、灰音は息をついた。


「斎さまに、嘘を、ついてしまいました……」

「……どうするのじゃ? このまま隠し続けるのかや?」

「お仕事に同行しない時点で、契約違反、ですよね……」


 考えると、ぞっとした。


 麒麟堂家のパーティーの日の斎の言葉が思い出される。

 

 ――「契約が続く限り、俺の妻はお前ひとりだけだ」


 それはつまり、契約が続かなければ、この関係は終わりということ……。


 灰音は、机の引き出しにしまってあったレースのリボンを取り出した。

 以前、斎に贈られたそれは、キラキラと光って見える。

 灰音はそれを手で掬うと、胸に抱きしめた。


 このまま隠しても、契約違反で。

 異能を失ったとバレても、離縁されるだろう。

 

 わたしは、どうしたらいいの……?


 焦りと不安が、襲っていた。




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