23話 麒麟堂家のパーティー②
夜になり、空には満月が昇っている。
パーティー会場を出たふたりは、ホール前の庭園にいた。濃い緑の木々に囲まれた、洋風の庭園だ。人々は皆ホールの中にいるようで、周囲に人影はない。
庭園をしばらく歩いたところで、斎は手を離した。
「すまない。来るのが遅くなった。何もされていないか?」
「大丈夫、です……。斎さまが、来て下さったので……」
「そうか……」
斎は息を吐いた。
「甘露桜家が――お前の妹が来ることまで頭が回らなかった。俺の落ち度だ」
「い、いえ。そんな……斎さまはまったく気にする必要ないと言いますか……。わたしも、妹と会うと思っていませんでしたし……。それに、こういった服が似合っていないのも自覚していますし……」
「僻みだろう、真に受けることはない」
「……え?」
「綺麗だ。似合っている」
彼の顔は真顔で――大真面目に見える。
(……お世辞じゃ、ない? とか?)
「なんだその顔は? 事実を言っただけだ」
灰音の心臓が、再びトクンと音を立てる。
そういえば、彼は舞扇を買いに行った日も、灰音の服装を褒めてくれた。そのことを思い出すと、余計に鼓動が速くなっていく。
(斎さま、わたしのこと、どう思っていますか……?)
灰音は、自分の胸に手を当てた。
わたしは、契約上の妻かもしれない。だけど。
――「俺の妻は鳳凰寺家だ。彼女を侮辱する言葉を、俺は断じて許さない」
対外的な言葉かもしれない。だけど――嬉しかった。わたし、そう言ってもらえて、肩を抱いてもらえて、嬉しかったんです。だから――。
「わたし、本当のことが知りたい、です」
灰音は、斎の顔を見上げて言った。
「クイナさまを第二夫人にお迎えするというのは、本当ですか……?」
「お前、どこでそれを……」
「……っ」
彼が目を丸くして、ああ、本当のことだったんだ――と思った時、
「まぁ、断ったがな」
「え……?」
「父には第二夫人を迎えるように言われたし、鏡月院からはごねられたが――俺は断った。妻はひとりで充分だ」
「…………」
どういうことか、理解が追いつかない。
「で、でもわたし、クイナさまに直接言われて……」
「なに? アイツがお前に?」
斎は鋭い目つきをした。
「はい……。先月、お会いしまして……」
「くそっ……。勝手なことを……」
「その後、瑛士さまにクイナさまのことを聞きまして……」
「あの日がそうなのか……」
斎は額に手を当て、ため息をついた。
「……クイナとは確かに婚約を結んでいた。だが、家同士が決めたことで、俺はどうでもよかった。アイツだって別に俺のことが好きなわけじゃなかった。俺の家名が欲しいだけだろう」
「では、『今でもまだ婚約者だ』というのは……」
「アイツの嘘だ。俺はお前と契約した翌日、鏡月院に行って婚約を破棄している」
「そ、そうだったんですか……」
まったく知らなかった。彼が、御三家との婚約を即日破棄するほどだとは、思ってもみなかった。
灰音は、クイナに言われたことをもうひとつ思い出した。
「で、でも。その、クイナさまはすごい異能をお持ちで、それが子どもの遺伝のためには……」
「なんだ、そんなことか」
「……え?」
斎は、自信ありげな表情を浮かべて言った。
「俺の血がそんなに弱いとでも? 俺の子というだけで鳳凰寺家を継ぐに値する。それに、むしろ、完璧な子が産まれるかもしれないぞ。ちゃんと妖怪がはっきり見える子だ」
「は、……い」
そのあまりの堂々とした言葉に、思わずそうなのかと納得させられてしまう。
「……わたしは、祓う能力は相変わらずなくて――一般的にはやっぱり無能で。だから、遺伝の話にも自信がありませんでした……」
「……お前、子が欲しかったのか?」
「えっ!? い、いえ……! そういうわけでは……!」
カア、と顔が熱くなる。
もちろん欲しくないと言えば嘘になるが――いや――ううん――なんと言おうか慌てていると、斎が大真面目な顔で言った。
「だが、鎮妖大祓も近い。今懐妊するのは問題があるだろう」
「ち、違います……! そういうことではなく……!」
「なにが違うんだ」
「で、ですから! ただ、わたしはその、てっきり跡継ぎは別の――第二夫人などを迎えられるのかと思って……! わたしは、お仕事に同行するためだけの、契約ですし……!」
斎は、少し考えるような仕草をした後、口を開いた。
「仕事だけじゃ、ない」
「……え?」
風が吹いて、彼の艶やかな黒髪が揺れる。透き通った黄金色の瞳が、灰音の瞳をまっすぐ射貫く。
「契約が続く限り、俺の妻はお前ひとりだけだ。望むなら、子も灰音と設ける。だから、これからも俺のそばにいろ」
まるで夢みたいだ。こんな言葉を、はっきりと彼の口から言ってもらえるなんて。
「……はい。わかりました。……嬉しいです」
「嬉しいのか?」
「はい……」
灰音は微笑んで返事をした。笑みを浮かべたはずなのに、なぜだろう、目には涙が浮かんでいた。
「そうか」
涙で、視界が歪んでいるせいかもしれない。
斎の表情が柔らかくなって、蜂蜜色の瞳が優しく溶けて見えた。
「ところで、今日はお仕事だったのでは? 大丈夫なんですか?」
「仕事は……気にしなくていい」
「え?」
「あの日、お前が……いや。……すまなかった」
「……?」
満月の光が、庭園をほのかに照らす。
ふたりは並んで、自宅へと帰った。
* * *
「いらっしゃい。お待ちしてましたのよ。――どうぞこちらへ」
パーティーの翌日。
鏡月院家の応接間で、クイナは笑顔で椅子を勧めた。
部屋に入った斎は、椅子には座らず、立ったまま言った。
「クイナ。俺とお前は婚約破棄をしたはずだ」
「……わたくしは認めておりませんわ」
「お前がなんと言おうと、お前との婚約はとうに破棄した」
「なっ……!」
クイナはじろりと斎を睨め付けた。そこには、ただ腹立たしい――という気持ちだけだ。
そんな目で睨み付けられて、斎はさらに冷ややかな目でクイナを見た。
(前回は鏡月院の当主に話しただけだからな。最初からクイナにも釘を刺しておくんだった)
父がどういう魂胆でクイナと婚約を結んだのかは明白だ。鏡月院の能力増幅の呪具、それを巧みに操るクイナ――斎の目の問題を、この呪具によりカバーしようとしたのだ。だが、灰音と結婚した以上、この呪具は不要だ。権力と財力に固執するだけのクイナをそばにおく理由はひとつもなかった。
「先日灰音に嘘を吹き込んだと聞いた。当然、覚悟があってのことなんだろうな?」
「……ふん。今更ですの? ずいぶん前にお話しさせていただきましたけれど。今頃になってあなたに泣きついてきたなんて、ぐじぐじうじうじ、情けない女ですわ」
「なんだと?」
その日数だけ、灰音が苛まれたのだと思うと、腹がふつふつと煮立つようだった。
クイナは、斎に近づいて言った。
「……あんなぽっと出の小娘が良いなんて、おかしいですわ。わたくしは鏡月院。そして強い異能を持ち、呪具を扱うことが出来る。すべてにおいて、あの小娘より優れておりますのよ」
「お前が優れているだと? 見当違いだ」
「なんですって……?」
クイナは、つり上がった目を細める。その顔は、灰音とは大違いだ。
はじめは、合理的な提案だと思った。彼女の異能は役に立つし、助けが必要な彼女は秘密を漏らさないし、欲深い鏡月院に頼らずにすむ。良いことずくめだ。
だが、今はそれよりも……。
「灰音を泣かせたお前と、俺が結婚することはない。永遠にな」
「ちょっと、斎さま……!」
クイナが声を荒げる。
斎はそれを無視して背を向け、鏡月院家を後にした。




