狼さん登場
「……えぇー…………」
何とも気の抜けた返事しかできない茜だった。
どうしよう?魔王?生まれ変わり?
ここはノリで頷いた方がいい?
というか、ルツィちゃんったら可愛い顔して電波系なのね…
「生まれ変わりって言われてもねぇ……あはは」
もう笑うしかない。
「陛下が混乱なさるのにも無理ありません。まだ魔王として目覚められてないのですから」
「……もう帰ってもいい?」
課題と朝練のためにも早く帰りたいのに。
なぜか目をぱちくりされた。
「……帰る、と仰いましたか?」
「おいおい、ノドール。おめえは何も教えてないんだな」
ザイードが長々とため息をつく。
「どういうこと?」
「嬢ちゃんの異界渡りは魔界全土の術者を集めて行われたんだ。この術は膨大な量の魔力を使うし、その他もろもろの条件が合わないとできねえんだよ」
「だから?」
段々と声が低く、硬くなっていく。
「次の異界渡りのために条件が揃うのは三十年後だ」
「……ふざけんなっ!!」
勢いよく立ったせいで、椅子が音をたてて倒れた。
「もー我慢できない!あんたたちのイカレ話に付き合ってられるほど暇じゃないのっ。
もうすぐ予選だってあるし、期末テストだってあるのに。早く帰り道を教えてっ!!」
「で、ですから三十年は帰れないってブラスタ公が……」
「教えてくれないなら、自分で探すっ」
「あっ、陛下いけません!!」
さっと身を翻して、重そうな扉を蹴破る。
「どうかお戻りを!陛下!!」
「だから、あたしはそんな名前じゃないっつーの」
短距離選手として鍛えたスタートダッシュを生かす。
瞬く間に、アカネがいた部屋から遠ざかった。
悲鳴に似たルツィーアの制止を聞きながら、悪いとは思いつつも茜は足を止めない。
しかし、茜は脱走したことを後悔し始めた。
迷路のように曲がり角が多く、底知れないほどの広さに迷ったこともある。
だが、それ以上に、あまりの不気味さに冷や汗がいた。
ホラーは苦手なんだよー。
ちょっと泣きそうになった茜である。
茜が爆走している所は廊下らしい。
重厚な深紅の絨毯が敷き詰められ、壁に掛けられた燭台があるが、蝋燭は灯されていないために薄暗かった。
もとは白かったであろう壁は黄ばみ、ヒビ割れからは青黒い蔓が蔓延っている。
蔓は床から天井までを埋め尽くし、所々に毒々しいまでの黒い花を咲かせていた。この花、ときたま笑い声を発するのだ。
それが不気味なことこの上ない。
天井の隅には紫とオレンジという危険信号満載の蜘蛛がカサカサと動き回っている。
黒い花が『ケタケタ』と笑う声が響いた。
「うぅ。ここはどこ?」
立ち止まったら失神すること間違いなしなので、仕方なく走るしかないのだ。
「止まれ!」
「うわっ」
目の前に突然、黒い塊が躍り出てきた。
急ブレーキに体が追いつかず、茜は無様にもべちゃっと音をたてて、鼻から転んでしまう。
そこには黒い狼がいた。
しっかりと地につく四肢は均整がとれて躍動感に溢れている。後ろ足で立ち上がったら、ただでさえ平均身長を大きく下回っている茜よりも遥かに大きいだろう。
墨を流したように真っ黒な毛並みはたっぷりと、緩やかな曲線を描く力強い背から尻尾の線。
どれをとってもうっとりする優美な姿だった。
「やっと本性を現したな、人間」
くぐもっているが、低く通る声は耳に心地よい。
「おおかた、城にある財宝に目が眩んだんだろう。どうやって城に紛れ込んだか知らんが、ノドールの女狐は騙せても、俺は騙せんぞ」
「…………し、しゃべった」
「?」
「かーわーいーいーーー!!」
「なっ」
茜は狼の首もとに顔を埋めると、そのまま頬擦りする。
毛皮越しでもわかるほど狼は硬直していた。
肉食獣特有の鋭い目の端が少しだけ赤いのは気のせいだろうか。
それに、この深い青の瞳はどこかで見たことある。
あれ?でもどこだっけ?
「や、やめろ!気安く触るなっ」
パチン、と何かが弾けた音がした。
「………………」
「………………」
「ブルーエの犬め。貴様、何をしている」
氷点下の声が頭上から降ってきた。
「ブルーエ家の格も落ちたものだな。いたいけな婦女子の前でそんな姿でいるなど」
さきほどまで腕の中にいた狼はおらず、そこには青年がいた。
ギルバードである。
しかも全裸で。
「……ぎ……」
「ぎ?」
「ぎゃあぁあああーーー!痴漢ーーー!!」




