第16話「久世久遠」
◇避難民
寝袋の上で、番号札を指で回していた。
腹は、まだ重い。
夕食の包みを、チームで真ん中に寄せて食べた。
沢庵が回ってきて、ネイルの女子高生が「しょっぱ」と言い、皆が笑った。
夕食のあとは、特典の配布がある。
寝床のフロアのあちこちで、札を手にしたまま待っている人がいる。
奥の窓際に、寝袋が六つ並んでいた。
どれも、空いたままだ。
天井のスピーカーが鳴った。
従業員が箱を運んでくるより、先だった。
「緊急事態が発生しました。
特典の配布は、一旦中止します。
この部屋から出ないでください」
フロアの入口で、錠の下りる音がする。
近くの男が立ち上がり、扉を押す。
もう一度、肩で押す。
扉は動かない。
「おい、開かないぞ」
窓のほうから、騒ぎの声が少し聞こえてくる。
何を言っているのかは分からない。
高校生の四人が、寝袋から体を起こして顔を見合わせた。
昼に駐車場で見た、車路の人だかりを思い出す。
あの人たちが、入ってきたのかもしれない。
俺たちの寝袋は、入口に近い壁際にある。
財布を前のポケットに押しこみ、立ち上がった。
「靴を履いてください。荷物は、置いたままでいいです」
兄妹の父親が、黙って子供の靴を揃えはじめる。
「子供と、お二人は、奥の壁のほうへ」
おじいさんが頷き、おばあさんの手を取った。
ネイルの女子高生が、寝袋の上で膝を抱える。
「え、待って。なに、ヤバいやつ」
「分かりません。でも、扉から離れてください」
金色の髪の女性が立ち上がり、妹の前に立った。
包帯の男は、箱を抱えたまま動かない。
「ここは、開かないさあ」
入口の扉の前に立った。
肩越しに、奥の窓際を振り返る。
俺は、空いた六つの寝袋を見ていた。
◇白石
駐車場の照明が落とされる、少し前。
客室の階の備品庫で、白石は縄ばしごの束を台車に積んでいた。
客室の窓際に一つずつ備えてある、非常脱出用のものだ。
束を抱え上げ、台車に載せ、また次の束を抱える。
手伝う者はいない。
台車を押して、廊下に出る。
白石は、鼻歌を歌っていた。
調子は軽く、歩く速さに合っている。
廊下の天井に、小さな黒いレンズがある。
その下を通るとき、白石は顔を上げた。
レンズに向かって、片手を軽く振る。
鼻歌は、止まらなかった。
台車ごとエレベーターに乗り、下りる。
扉が開くと、暗い駐車場の匂いがした。
白石は鼻歌をやめ、いつもの顔で台車を押していった。
開いたところの前で、六人が立ち上がる。
白石は何も言わずに頭を下げ、少し下がった。
六人が、縄ばしごを車路へ投げ下ろす。
下で、声が上がった。
黄緑のジャージの男が、身を乗り出して叫ぶ。
「カシラ! 先に上がってください!」
最初に縄ばしごに取りついたのは、鬼頭の周りの男たちだった。
はしごが揺れ、軋む。
一人が上がりきると、次の男がすぐに続いた。
縄ばしごは、何本も垂れている。
はしごの下には鬼頭の仲間が立ち、ほかの者を寄せつけない。
二十人ほどが上がったところで、鬼頭が縁を越えた。
黄緑のジャージの男が、深く頭を下げる。
「お待たせしました、カシラ」
「おう」
鬼頭が、顎で下を指した。
「上げろ」
六人が、縄ばしごを引き上げはじめる。
下で、はしごの先に手が伸びた。
掴みかけた手が、はしごの先に振り払われる。
怒号が上がった。
「ふざけんな!」
「自分らだけか!」
「下ろせ! 下ろせよ!」
はしごが上がりきる。
声は、まだ下から押し上げてくる。
館内のスピーカーが鳴った。
「緊急事態が発生しました。
従業員は、持ち場についてください」
白石は、少し下がったところから見ていた。
唇が、さっきの鼻歌の続きを、音を立てずになぞっている。
◇久世
駐車場の画面で、男たちがビルの中へ入っていく。
二十人ほど。
先頭は、組長だ。
「ふん。チンピラが二十人か」
椅子に深く座り直す。
「この久世の城に、たかが二十人で何ができる。
見ておけ、キーラ。これは観測の好機だ」
「寝床のフロアは、施錠しました」
「よろしい」
画面が切り替わる。
組長の後ろで、男が二人、白石の両腕を掴んでいた。
白石は、逆らわずに歩いている。
「……は」
椅子から、腰が浮いた。
「白石め。縄ばしごを運んだうえに、次は人質か。
人質となって、この久世を苦しめるつもりか。
いいだろう。受けて立ってやる」
男たちが、駐車場の脇の扉の前で止まった。
扉は開いている。
中は倉庫で、資材の棚が並んでいた。
男たちが、鉄パイプを一本ずつ抜き出していく。
「待て。なぜ倉庫が開いている。誰が開けた。
キーラ、あれは――」
膝が、机の脚に当たった。
湯呑みが机から転がり落ちて、床で割れた。
「そ、想定外だ、キーラ。
対処は、できる。……で、できる、はずだ。
……どうしたらいい」
「大丈夫です、久世。
あなたは、私が護っています」
耳の中の声は低く、一語ずつ、ゆっくりと置かれた。
子供に言い聞かせるときのような声だった。
「ガードロボを前室に出します。
上がってきたら、この部屋の扉を開けます。よろしいですか」
「あ、開ける、のか」
「閉めたままだと、白石さんを盾にされます」
「……だ、出せ。開けろ」
「出しました。背筋を伸ばして、椅子に座りなさい」
浮いていた腰を、椅子に下ろした。
背筋を伸ばす。
◇反社一号
倉庫の棚から、鉄パイプが次々に抜かれていく。
黄緑のジャージの男も、一本を握った。
手の中で、冷たく重い。
鬼頭は、白石の前に立っていた。
「おい。上の連中は、どこにいる」
「お部屋に、鍵がかかっております」
「仕切ってるやつだ。久世ってのは、どこにいる」
白石は、困ったように首を傾けた。
「副防災センターを押さえれば、
ビルの制御が取れます」
「案内しろ」
「かしこまりました」
白石が、エレベーターのボタンを押す。
扉は、すぐに開いた。
男たちが、二度に分かれて乗りこむ。
白石の両腕は、まだ男二人に掴まれていた。
縄ばしごを運んできたのは、この女だ。
カシラに言えば、手を放してもらえるかもしれない。
黄緑のジャージの男は、白石の横顔から目をそらした。
エレベーターが上がっていく。
誰も、口をきかない。
鉄パイプの先が、床で小さく鳴った。
扉が開くと、廊下の先に扉があった。
その手前が、小さな部屋になっている。
中に、機械が二つ立っていた。
犬の形のものと、人の形のもの。
その奥の扉は、閉まっている。
男たちが足を止めたとき、奥で錠の外れる音がした。
扉が、ひとりでに開いていく。
壁一面の画面の前で、椅子に男が一人座っている。
男の前に、低く四角い機械が一つ置かれていた。
◇久世
前室の向こうに、組長が立っていた。
後ろに、鉄パイプを持った男たちが並んでいる。
「お前が、久世か」
喉が、ひとりでに鳴った。
画面の中の人間なら、何人でも見てきた。
画面の外に立たれると、まるで違う。
「な、何か用かね。チンピラ諸君」
「その椅子から、降りてもらおうか」
「断る」
組長が、顎をしゃくった。
男たちが、前室へ踏みこんでくる。
犬型が、低く身を沈めた。
胴の両脇の継ぎ目が開き、細い羽根が横へ伸びる。
羽根は、膝の下ほどの高さで水平に張られていた。
四本の足が床を掻き、犬型が前へ跳ぶ。
鉄パイプが振り下ろされるより先に、男たちの足もとへ潜りこんでいた。
羽根が、脛を横から打つ。
先頭の男の足が払われ、体が前へ投げ出された。
隣の男が、その背中につまずく。
犬型は止まらずに向きを変え、三人目の足を後ろから刈った。
三人がまとめて転がり、鉄パイプが跳ねて壁に当たる。
犬型は前室の奥で足を止め、羽根を半分だけたたんだ。
肘掛けを、両手で握りしめていた。
人型が、一歩前へ出た。
鉄パイプが、頭上から振り下ろされる。
人型は半歩、斜め前へ踏みこみ、腕の内側をパイプに添えた。
パイプは腕の上を滑り、人型の横の床を打つ。
振り下ろした勢いで、男の体が前へ流れた。
その胸に、人型が手のひらを当てる。
手のひらの下で、青白い火花が弾けた。
男は声も出さずに、膝から崩れた。
次の男が、横から鉄パイプを振りまわす。
人型は足の裏で床をなぞるように回り、男の背中の側へ抜けた。
空を切ったパイプに引かれて、男の体が泳ぐ。
その背に、手のひらが当てられた。
三人目も、四人目も、同じだった。
パイプは一度も、人型の体に当たらない。
二度、手のひらを当てられた男はいない。
キャタピラ型は、私の前から動かない。
倒れた男たちをまたいで、四人が前室を抜けてきた。
鉄パイプを構えたまま、私の前に並ぶ。
キャタピラ型の天板が、音もなく二つに割れた。
中から、太い筒が一本せり上がってくる。
筒の根もとで、丸いレンズが四人のほうを向いた。
「目を閉じなさい、久世」
閉じた。
瞼の向こうが、白く焼ける。
男たちの声が、悲鳴に変わった。
「開けていいです」
目を開けると、四人とも顔を押さえてよろめいていた。
筒の先が、わずかに動く。
低い破裂の音とともに、筒から空気弾が撃ち出された。
胸を打たれた先頭の男が、後ろへ吹き飛ぶ。
筒は一人ずつ、順に向きを変えていく。
空気弾の破裂の音が、続けて三つ。
残りの三人も胸を打たれて、床へ転がった。
筒が沈み、天板が閉じる。
キャタピラ型は、元の形に戻っていた。
前室で、組長が膝をついていた。
犬型が、その前に座っている。
「……終わった、のか」
「終わりました。全員、息はあります」
組長の向こうで、白石が立っていた。
腕を掴んでいた男たちは、もう床にいる。
白石の頬が、赤く上気していた。
唇がわずかに開き、浅い息が続いている。
両の肩が、細かく震えていた。
白石は一度目を閉じ、袖の皺を直した。
目を開けたときには、いつもの顔に戻っていた。
「し、白石さん」
声が、裏返った。
「……どういう、つもりですか」
白石は、微笑んだ。
「楽しそうでしたので、やりました」
「た、楽しそう」
「キーロンが、ずっとわたくしを見ておりましたので。
久世さんが負けることは、ございませんでしょう」
白石は、倒れた男たちを見下ろした。
それから、私を見た。
「久世さんも、楽しかったでしょう」
椅子の背に、体を預ける。
長く、息を吐く。
「……もう、やらないでください」
白石は、深く頭を下げた。
顔を上げずに、白石が言った。
「ご命令ください、久世様」
◇外の避難民
車路の折り返しで、誰かが瓶を振りかぶった。
口に詰めた布に、火がついている。
瓶は、遮断壁の前で割れた。
炎が、車路の上に広がる。
壁の前で、火が低く揺れていた。
周りの者たちが、瓦礫から石を拾う。
一人が投げ、二人が投げ、やがて誰もが投げていた。
石は壁に当たって、炎の中へ落ちていく。
「開けろ!」
「出てこい!」
火の向こうで、黒い壁は動かない。
「次の適性確認を始めましょう、久遠」
――――
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第一章は、この話で一区切りです。




