第六話 捨てられた拠点に、まだ一人
「信号強度、残り十二パーセント」
赤坂が端末を見た。
第五層北部。
閉鎖された補給拠点の前に、白石律と城戸征司が立っている。
入口は、厚い魔導鋼板で塞がれていた。
三年前の閉鎖処理で溶接されたものだ。
鋼板の向こうから、救助要請が出ている。
――生体反応、一。
信号は今も弱くなり続けていた。
「協会本部の許可は」
城戸が聞いた。
「まだです」
赤坂の指が端末を滑る。
「施設内の設備は複数企業の所有物です。封鎖を破れば損害賠償が――」
「責任者の署名をお願いします」
律が言った。
赤坂の指が止まる。
「何のですか」
「救助要請を確認したうえで、権利確認を優先して待機する判断です」
赤坂の顔が固まった。
城戸が横を向いた。
笑いをこらえたらしい。
端末が鳴る。
――信号強度、十パーセント。
赤坂は画面を見た。
鋼板を見た。
最後に、律を見る。
「緊急救助を許可します」
画面に電子署名が入った。
同時に、律の端末へ通知が届く。
――二級遺品回収員・一時資格を発行。
有効時間、一時間。
「責任は私が取ります」
赤坂が言った。
「生存者をお願いします」
律は回収袋を下ろした。
中から細い工具を取り出す。
城戸が眉を寄せる。
「それで開くのか」
「開きません」
律は工具を鋼板の隙間へ差し込んだ。
「内部の状態を確認します」
先端を押す。
回す。
止める。
金属の奥から、低い振動が返ってきた。
溶接部分ではない。
封鎖扉の内側。
開閉用の機構が、まだ生きている。
「城戸さん」
「何だ」
「剣を貸してください」
「壊すなよ」
「使用するのは柄です」
城戸は納得していない顔で魔導剣を渡した。
律は柄の先を、鋼板と床の隙間へ差し込んだ。
荷重を分散させる。
体重をかける。
金属がわずかに持ち上がった。
城戸が反対側へ手をかける。
「せーのでいいか」
「今です」
二人が同時に押した。
鋼板が歪む。
溶接部分が一つ弾けた。
続いて二つ。
人が通れるだけの隙間が開く。
中から、冷たい空気が流れ出した。
腐臭はない。
代わりに、焦げた魔石の臭いがした。
律が携帯灯を入れる。
床に血が落ちていた。
まだ乾いていない。
「生きている」
城戸が隙間を広げた。
律が先に入る。
城戸が続いた。
赤坂は入口に残り、通信を維持する。
内部の緊急灯が、赤く点滅している。
壁には三年前の案内板。
休憩室。
物資倉庫。
簡易治療室。
血痕は治療室の方向へ続いていた。
律が歩みを止める。
城戸も止まった。
「どうした」
「音がします」
遠くで、金属が擦れている。
ゆっくり。
重いものを引きずる音。
城戸が剣を抜いた。
刀身に青い光が走る。
「魔物か」
音が止まった。
暗闇の奥で、何かが床を蹴った。
「剣を消してください」
「何?」
「光ではなく、魔力を見ています」
城戸はすぐに出力を落とした。
暗闇が戻る。
だが、遅かった。
通路の奥に、二つの白い目が浮かぶ。
低い姿勢。
四本の脚。
背中には、魔石の欠片が何十個も突き刺さっている。
魔力を食べて成長する第五層の魔物。
魔喰い蜥蜴。
城戸が剣を構える。
「俺が止める。お前は治療室へ行け」
「必要ありません」
律は床を見た。
壊れた非常灯が落ちている。
内部の魔石から、青い光が漏れていた。
その先には防火隔壁。
開閉用の駆動部から、不規則な振動が伝わってくる。
一度は動く。
二度目はない。
律は非常灯を拾った。
魔喰い蜥蜴の頭が動く。
白い目が灯りを追った。
「城戸さん。三秒後に剣を点けてください」
「何をする気だ」
律は非常灯を奥の通路へ投げた。
青い光が床を転がる。
魔喰い蜥蜴が飛び出した。
大きい。
頭部だけで、人間の胴ほどある。
城戸の指が柄へかかる。
「三」
魔物が非常灯へ食らいつく。
「二」
魔石が砕け、青い光が口の中へ吸い込まれる。
「一」
城戸の剣が最大出力で光った。
魔喰い蜥蜴が振り返る。
一直線に城戸へ向かってくる。
律が壁の非常レバーを下ろした。
防火隔壁が落ちる。
魔物が境界を越えた直後だった。
巨大な鋼板が石床へ激突する。
魔喰い蜥蜴の姿が通路の向こうへ消えた。
隔壁が激しく揺れる。
一度。
二度。
駆動部から甲高い音がした。
律はレバーから手を離す。
「近づかないでください」
次の瞬間。
開閉装置が火花を噴いた。
完全に停止する。
城戸は光を落とした剣を見た。
次に、隔壁を見る。
「俺の剣は餌か」
「三秒だけです」
「先に言え」
「言いました」
隔壁の向こうで魔物が吠えている。
だが、こちらへは来られない。
戦闘は終わっていた。
律は治療室へ走った。
扉は半分開いている。
中には、倒れた女がいた。
作業服。
腰には古い設備会社の身分証。
右脚から血が流れている。
それでも手には、緊急設備の点検器具が握られていた。
律が膝をつく。
首元。
呼吸。
瞳孔。
出血量。
「聞こえますか」
女の瞼が動いた。
「……誰」
「遺品回収員です」
「遺品……?」
「まだ必要ありません」
律は止血材を傷口へ押し当てた。
女の顔が歪む。
「三年前に閉鎖された施設です」
城戸が後ろから言った。
「どうやって入った」
女は答えなかった。
律が作業服のポケットを確認する。
交換用の部品。
古い鍵。
日付の書かれた点検記録。
一か月に一度。
三年間、途切れていない。
「緊急設備を維持していたんですか」
女の唇が動いた。
「止めたら……本当に、死ぬから」
治療室の呼吸補助器が動いている。
緊急灯も。
救助要請も。
三年間、誰にも使われなかった設備を、この女だけが生かし続けていた。
城戸が点検記録を見る。
「会社は撤退したはずだ」
「会社は、捨てた」
女は浅く呼吸した。
「私は……捨ててない」
律は傷口を固定した。
「話は地上で伺います」
女の身体を担架布へ移す。
城戸が反対側を持った。
「赤坂、聞こえるか」
通信端末へ呼びかける。
『聞こえています。生存者を確認しましたか』
「一人だ。今から戻る」
女の指が動いた。
律の袖をつかむ。
力は弱い。
だが、離さなかった。
「待って」
律が足を止める。
「奥に誰かいますか」
女は首を横へ振った。
青ざめた顔で、治療室の端末を見た。
そこには今も、救助要請の表示が残っている。
「違う」
「何がですか」
女の喉が鳴った。
「救助要請を出したのは――」
隔壁の向こうで、魔物が再び吠えた。
そのさらに奥。
閉鎖された管理室から、短い電子音が聞こえた。
女の指が震える。
「私じゃない」
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