第二十九話 回収された生存者
第九層へ下りる正規昇降路は閉鎖されていた。
理由は単純だった。第八層で発生した回収機の異常を受け、探索者協会が全ての縦移動設備を止めたからだ。
律たちは停止した昇降機の前で足を止めなかった。
久我が旧搬送路の壁を槍の石突きで叩く。
「遺体用なら、別に一本ある」
森下が図面を開こうとして手を止めた。
「通信、切ったままです」
「紙は?」
「第七層入口で置いてきました」
「じゃあ探す」
久我が先に暗い側道へ入った。
右肩を負傷した榊は城戸に戻れと言われたが、聞かなかった。倉橋だけは協会職員と地上へ戻している。
城戸は律から三歩離れて歩く。
会話はない。
壊れたC―0の記録核についても、誰も触れなかった。
第九層へ続く遺体搬送路は、人が通ることを想定していない。高さは胸ほどしかなく、途中で何度もしゃがみ込む必要があった。律は右腕の固定具を壁へぶつけるたびに歩みが遅れる。
森下が一度だけ振り返った。
「手伝いませんよ」
「頼んでいません」
「そういうところです」
それ以上は言わなかった。
約四十分後、搬送路の勾配が変わった。
空気が冷たい。
壁に《K―4》と消えかけた塗装が残っている。
扉は開いていた。
中に、人が並べられていた。
死体ではない。
透明な保全槽が十二基。
十一基は空。
一基だけ、内部に高瀬拓真がいる。
胸が動いている。
「高瀬!」
榊が走った。
保全槽へ触れる直前、律が声を出す。
「待ってください」
榊の足が止まった。
振り返った顔には露骨な怒りがあった。
律は続ける。
「生命反応はあります。槽を開ける前に、呼吸だけ確認します」
「また確認?」
「触れば起動する機構があるかもしれません」
榊は数秒だけ律を見つめ、手を引いた。
森下が槽の側面へ耳を当てる。
「呼吸音あります。自発呼吸」
久我が床を見る。
「こっち」
保全槽から伸びた黒い線が、部屋の奥へ続いていた。
壁一面には、十二枠の《初期回収対象》が刻まれている。
三田村遼。
そして、最初の未来遺品袋に名を刻まれた残る十一人。
その下には別枠で《代替・追加対象》があり、榊玲奈、白石律、高瀬拓真の名が並んでいた。
名前の横には二つの欄があった。
《回収予定》
《代替回収》
三田村の予定欄には取り消し線。
代替回収欄には高瀬の名。
「誰かが失敗すると、別の人間を取る」
森下が呟いた。
「人数を合わせてるんですか」
律は返答しなかった。
高瀬の槽の下に、古いプレートが残っている。
《回収優先度零号》
英字表記。
COLLECTION PRIORITY ZERO.
C―0。
城戸が舌打ちした。
「人の名前じゃなかったわけか」
「緊急回収の優先順位です」
律は読める範囲だけを目で追う。
大規模事故時。
救助能力を超える傷病者が発生した場合。
救助成功率が基準値を下回る対象を、救助経路から回収経路へ切り替える。
目的は、遺体と装備の散逸防止。
つまりC―0は、人を殺すために作られたものではない。
救えないと判断した人間を、死ぬ前から死者側へ移すために作られていた。
榊が保全槽へ拳を当てた。
「高瀬は死んでない」
「はい」
「三田村も」
「はい」
「じゃあ壊れてるのはこっちだろ」
城戸がプレートを蹴った。
久我は奥の配線を見ている。
「白石。高瀬を出すぞ」
律は一度だけ保全槽全体を見た。
証拠は十分にある。
だが撮影すれば、どこかへ送られる可能性がある。
端末は出さない。
「開けます」
四人で手動レバーを回した。
保全槽の圧が抜ける。
高瀬が床へ崩れた。
榊が受け止める。
呼吸あり。脈あり。瞳孔反応もある。
「高瀬、聞こえる?」
高瀬は目を開けた。
榊の顔を見て、次に律を見る。
唇が動く。
「……誰ですか」
榊の表情が止まった。
「私だよ。榊」
「すみません」
高瀬は困ったように笑った。
「金獅子の人ですか」
彼は自分の名前は言えた。
年齢も、所属も。
だが第七層へ来た理由も、倉橋も、榊も知らなかった。
直近およそ二年分の記憶が抜けている。
森下が保全槽の内側を見る。
細い針が頭部側へ伸びていた。
《装備・行動記録同期》
律は理解した。
C―0は装備だけを複製していたのではない。
人間の行動記録も、本人から抜き取って保管しようとしていた。
記録を残せば残すほど、本人に近づく。
だが近づいても、人間そのものにはならない。
高瀬は生きている。
それでも二年分は戻らない。
榊が律へ言った。
「これも記録しますか」
「本人の同意が取れるまで外部へは出しません」
「今度は早いんですね」
律は否定しなかった。
部屋の奥で、十一基の空槽が一斉に点灯した。
壁の名前が赤へ変わる。
《回収予定繰上げ》
残る十一名。
実行まで、二時間。
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