第二十二話 全員、正しい患者
午前九時までに、七人が運び込まれた。
裂傷。
足首の捻挫。
軽度の魔力酔い。
肩の脱臼。
火傷。
指の骨折。
防具による皮膚炎。
誰も嘘をついていない。
誰も治療を必要としていないわけでもない。
そして。
今すぐ第五層北部緊急待避所へ運ばなければ死亡する患者は、一人もいなかった。
白石律は七件の移動経路を壁面へ表示した。
三人は、地上昇降口の方が近い。
二人は、自力で歩ける。
一人は、応急処置後も探索へ戻るつもりだった。
契約先だけが同じ。
東都ダンジョンサービス。
現場安全支援契約。
「昨日から、軽傷者は全部ここへ送るよう指示が変わっています」
笹木悠斗が言った。
治療資材費。
十六万四千円。
規定の緊急処置料。
五万六千円。
午前中だけで、十万八千円の赤字。
さらに、患者が外した破損装備が治療室前へ積まれていた。
「捨てていいと言われています」
森下が割れた盾を持ち上げる。
所有表示。
東都迷宮装備リース。
患者の物ではない。
契約書には、破損品を救助施設へ置いた場合、処理責任を施設へ移せると書かれていた。
所有権は移らない。
処分費だけが移る。
十七点。
推定廃棄費、二十九万円。
「処分しません」
律が言った。
「置いていかれた物ですよ」
「所有者が放棄していません」
壊れた装備を隔離保管する。
一点一日、八千円。
所有者へ回収通知を送ると、リース会社は翌朝の回収を決めた。
廃棄費は回避できた。
治療の赤字は残った。
◇
八人目の患者が来た時。
律は、受け入れ方法を変えた。
自力歩行可能。
意識清明。
出血制御済み。
最寄りの地上昇降口まで九分。
待避所まで十八分。
「地上への安全経路を案内してください」
笹木が戸惑う。
「救助拒否になりませんか」
「必要な救助方法を変えます」
治療室の一床は、重症者のために空ける。
所属でも。
契約でも。
支払い能力でもない。
意識。
呼吸。
循環。
出血。
歩行。
神経症状。
地上までの時間。
医療上の緊急度だけで受け入れ先を決める。
その直後。
落石事故の患者が三名運ばれた。
一人は頭部出血で意識なし。
一人は自力歩行できるが、同じ質問を繰り返す。
一人は外傷なし。
片瀬美冬は、意識のない患者だけへ向かわなかった。
「三人とも返事をしてください」
短期記憶障害を見つけ、二人を緊急搬送対象へ加える。
軽傷者を地上へ案内していなければ、寝台は埋まっていた。
二人は生存した。
◇
午後。
東都ダンジョンサービスの第五層運用統括責任者、成瀬航から通信が入った。
灰色の作業服。
三十九歳。
赤字拠点を複数立て直した、現場運用の専門家。
『軽傷者を送ったのは私です』
成瀬は認めた。
「理由は」
『地上へ戻せば探索を継続できない。待避所で処置すれば、現場へ復帰できます』
「施設側の実費を下回っています」
『料金を決めたのは協会です』
虚偽はない。
違法でもない。
利用可能な施設へ、正しい患者を送っているだけだった。
成瀬は新しい契約を提示した。
月額六百万円。
医療資材費、会社負担。
設備修理補助、上限三百万円。
条件。
治療寝台二床を、東都ダンジョンサービス契約者用として常時確保。
「非契約者が重症でも?」
『残り二床で対応してください』
「対応できない場合は」
『地上へ搬送する』
一人を所属で後回しにすれば。
拠点は残る。
律は契約書を閉じた。
「受け入れられません」
『即答ですか』
「医療上の緊急度以外で、寝台を確保しません」
『では、現在の料金で患者を送ります』
「拒否する理由はありません」
『十三日後、施設は閉鎖します』
律の左手が一秒止まる。
公開していない運転資金の数字だった。
『施設所有者として、会計報告を確認できます』
成瀬は続けた。
『平等に救う施設は便利です。便利なら患者が集まる。患者が集まれば費用が増える。費用を負担する者は優先権を求める』
「はい」
『拒めば、施設はなくなる』
「その可能性があります」
『理念だけでは運営できません』
「理念だけで運営していません」
律は隔離棚へ視線を向けた。
回収前の破損装備。
異なる盾。
異なる手甲。
異なる胸当て。
それらの破断位置が、ほぼ同じだった。
◇
装備の所有者はリース会社。
勝手に分解できない。
ただし、一人の探索者だけは、破損した手甲を個人で所有していた。
修理費が新品価格を超える。
本人は書面で所有権を放棄した。
捨てられた装備になった。
律は左手を手甲へ置く。
《廃品回収》。
残ったのは、技ではなかった。
荷重が中心から外れ。
固定部が破断する直前の、わずかな振動。
名称を付けるほど完成した能力ではない。
一度だけ感じ取った、壊れる前の違和感。
律はほかの装備へ触れない。
所有権が残っているからだ。
代わりに蓮見が非破壊測定を行う。
内部部品番号。
GS―十四。
七人中五人の装備に、同じ固定部品が使われていた。
規格値より柔らかい。
魔力を通すと、荷重が外側へ逃げる。
その日の九人目。
腰部固定具が割れた探索者から救助要請が入る。
歩行可能。
外出血なし。
だが。
部品番号はGS―十四。
吸気時の脇腹痛。
冷や汗。
地上へ歩かせず、現場救助を出した。
診断は脾損傷。
緊急搬送で生存した。
◇
律はGS―十四を使用する装備へ、使用停止勧告を出した。
対象百二十八名。
成瀬から即座に通信が入る。
『活動計画が崩れます』
「交換してください」
『予備は四十七人分しかない』
「残りの班は活動停止です」
『可能性だけで、八十一人を止める?』
「一名が緊急搬送されています」
『製品不良と確定していない』
「確定するまで使用を続けますか」
成瀬は答えなかった。
律は新しい契約案を送る。
救助の優先権ではない。
活動前の装備確認。
救助通信の一次判定。
最寄りの救助施設への経路判断。
破損装備の原因記録。
異常部品の共有。
一班一日、一万二千円。
医療資材は実費。
現場出動は別料金。
治療順位は医療上の緊急度のみ。
『当社が金を払う利益は?』
「患者を早く現場へ戻すだけでは、稼働率は上がりません」
律は再救助となった二名の記録を示す。
「事故の原因を減らします」
成瀬は黙って契約案を読んだ。
『一週間。二十班で試す』
「保証金、百二十万円」
『現金が必要なんですね』
「十三日後に閉鎖する施設とは契約できないと思います」
成瀬の口元がわずかに動いた。
『合理的です』
試験契約が成立した。
優先治療権。
なし。
危険情報の独占。
なし。
運転可能日数。
十九日。
拠点は残った。
ただし。
成瀬が諦めたわけではない。
通信が切れる直前。
彼は言った。
『全員を救う規則が、本当に全員を救うか。次は数字ではなく、患者で確認しましょう』
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