第十三話 十一年分の間合い
「今のままなら、次は死ぬ」
城戸征司が言った。
補給拠点の物資倉庫。
白石律は固定された右腕をかばいながら、左手で記録端末を操作していた。
「襲撃者二名は拘束されました」
「一人逃がして、安西が折れて、証拠を焼かれた」
「はい」
「勝った顔をするな」
律は城戸を見た。
普段と同じ、感じのよい表情だった。
城戸は舌打ちし、壁際の男を呼ぶ。
久我直哉。
十一年間使った槍を失った探索者が、木製の訓練槍を肩へ載せていた。
「右腕が治るまで戦うな、と言っても聞かないだろ」
久我が言う。
「戦う予定はありません」
「予定どおりに襲われる奴はいない」
倉庫の中央へ、薄い訓練マットが敷かれた。
律は左手に短い木棒を持つ。
久我は長槍。
首、胸、腹のいずれかへ先に触れた方が勝ち。
「能力は使うのか」
律が尋ねた。
「使う」
久我の固有技能は《滑り止め》。
覚醒した頃は、靴底が濡れても〇・二秒だけ滑らない。それだけだった。
能力の種は、多くの人間が持つ。
火を少し長く保つ。
握った物を一度だけ落とさない。
暗闇で輪郭がわずかに見える。
最初から魔物を倒せる能力は少ない。
探索者は、弱い能力を同じ状況で何度も使う。
生き残るたびに、発動の時間、範囲、使い方が身体へ馴染む。
久我は泥で使った。
氷で使った。
槍を弾かれたとき、手のひらで使った。
崩れる足場で仲間を支えたとき、石突きで使った。
十一年後。
《滑り止め》は、触れている一点を短時間だけ動かなくする《一点固定》として再評価された。
強くなったのは名前ではない。
使える場面を、久我が増やした。
「始めるぞ」
城戸が手を下ろした。
律は久我の右肩を見る。
呼吸。
重心。
穂先の高さ。
最短距離で内側へ入る。
左足を踏み出した瞬間、槍の石突きが床へ触れた。
《一点固定》。
槍が動かない支柱になる。
久我は柄を数センチ倒した。
律の進路が塞がれる。
避ければ間合いの外へ戻される。
押せば、片腕では槍を動かせない。
胸へ穂先が触れた。
「一本」
経過時間、一・四秒。
律は開始位置へ戻った。
「もう一度お願いします」
二戦目。
今度は正面から入らない。
律は左へ回り、久我の後ろ足を狙う。
久我は槍を引いた。
穂先ではなく、石突きが律の膝へ向かう。
律が木棒で受ける。
久我は石突きを固定した。
木棒ごと律の左手が止まる。
右腕は使えない。
離せば武器を失う。
握れば動けない。
迷った半秒で、槍の柄が首へ触れた。
「二本」
律は木棒を置いた。
「固定できるのは一点だけですね」
「そうだ」
「連続使用は?」
「三回。四回目は足がつる」
久我は隠さなかった。
能力の制限を知っても、律の勝ち筋にはならない。
久我は、能力を使わなくても槍を扱える。
三戦目。
律は十秒動かなかった。
久我も待つ。
先に動けば読まれる。
待てば槍の間合いを崩せない。
律は床の柱と棚を確認した。
《三秒荷重接続》を使える支点はある。
右腕が治っていない。
使えば、今度こそ腱が切れる。
律は能力を選ばなかった。
一歩だけ前へ出る。
久我の槍が伸びる。
律は身体を沈めて避け、柄へ左手をかけた。
久我は槍を手放した。
抵抗が消える。
律の身体が前へ流れた。
久我は素手で律の左肘を押し、背中へ回る。
木製の短刀が、律の脇腹へ触れた。
「三本」
経過時間、二十七秒。
城戸が腕を組む。
「能力を捨てても勝つのか」
「槍を捨てただけだ」
久我は床の槍を拾った。
「俺の仕事は、槍を守ることじゃない。生きて帰ることだ」
律は三戦分の映像を確認した。
最初の一戦は能力で進路を止められた。
二戦目は、制限を読んだつもりで判断を止められた。
三戦目は、久我が武器を手放す可能性を外していた。
「真壁にも狩谷にも、能力の使い方に癖がありました」
律が言う。
「久我さんは、能力を使わない選択が多い」
「弱いからな」
「違います」
律は映像を止めた。
「能力がなくても続けられる動きを、十一年持っています」
捨てられた槍から回収できたのは、一度の刺突だけだった。
攻撃を外した後。
武器を失った後。
足場が崩れた後。
仲間をかばった後。
そこから生きて戻る判断は、槍には残っていない。
久我の中にだけある。
「訓練を依頼します」
律は雇用契約を表示した。
第五層北部緊急待避所。
戦闘・撤退訓練担当。
月額四十五万円。
久我が金額を見る。
「拠点の金、厳しいんじゃないのか」
「現在の運転資金は、二十九日分です」
「なら俺を雇うな」
「次の襲撃で職員を一人失う方が高くなります」
「金の話か」
律は安西の空いた搬送席を見た。
「それだけではありません」
久我はその先を待った。
律は続けなかった。
代わりに、契約書を机へ置く。
久我が署名した。
「最初に教えるのは能力の使い方じゃない」
「何でしょうか」
「使わないで帰る方法だ」
翌日の訓練予定が決まった。
歩法。
間合い。
撤退経路。
武器を失った後の動き。
《三秒荷重接続》は、使用禁止。
律は左手で予定表を入力した。
三度負けた記録も消さなかった。
能力の断片は拾える。
その断片を使って生きた年月までは、拾えない。
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