第66話 残滓
黒い影は、ゆっくりと広がっていた。
まるで空そのものが腐り始めたようだった。
ひよりが小さく呟く。
「……雲?」
ヴァルドが首を振る。
「違う」
目を細める。
「動き方が変だ」
黒い影は、風とは逆方向に流れていた。
生き物のように蠢いている。
つむぎが震えた声を出す。
「気持ち悪い……」
レグルトが低く言う。
「魔物の群れか?」
その言葉に、リリアスが首を振った。
「違う」
赤い瞳が細くなる。
「魔物ではない」
その一言で、空気が張りつめた。
ひかりが聞く。
「じゃあ……何?」
リリアスはしばらく黙っていた。
黒い影をじっと見つめる。
そして、ぽつりと言った。
「残滓じゃ」
⸻
誰も意味が分からなかった。
ヴァルドが眉を寄せる。
「残りカスって意味か?」
リリアスは頷く。
「そうじゃ」
「深層の」
「残りカスじゃ」
ひよりが顔を青くする。
「残りカスって……」
リリアスは続ける。
「深層の存在は」
「完全にこちらへ出ることはできぬ」
「じゃが」
「門が開きかけると」
「こういうものが漏れてくる」
⸻
黒い影は、さらに大きくなっていた。
よく見ると。
影の中で、何かが動いている。
無数の手のようなもの。
口のようなもの。
形が定まらない。
見ているだけで頭が痛くなる。
つむぎが目を押さえた。
「……いや」
「見てると変な感じする」
レグルトが眉をしかめる。
「魔力がない……?」
リリアスは頷いた。
「そうじゃ」
「魔力ではない」
「だから」
「魔物でもない」
ヴァルドが静かに言う。
「じゃあ」
「どうやって倒す」
リリアスは肩をすくめた。
「さあな」
「わらわも」
「戦ったことはない」
⸻
その言葉に、全員が固まった。
ひよりが小さく言う。
「え……」
「魔王様でも……?」
リリアスは遠くを見る。
「昔」
「世界が食われかけた時」
「奴はまだ」
「出てきておらぬ」
黒い影が、ゆっくりと近づいてくる。
その時。
地面が震えた。
ゴゴゴ……と低い音。
塔の瓦礫が揺れる。
ひかりが言う。
「……地震?」
リリアスが首を振った。
「違う」
赤い瞳が細くなる。
「これは」
「門が」
「さらに開いた音じゃ」
その瞬間。
黒い影の中から
何かが落ちた。
ズンッ
塔のふもとに
巨大な黒い塊が叩きつけられる。
それはゆっくりと
動いた。
腕。
脚。
形になりきらない肉の塊。
そして— — —
顔のような部分が、こちらを向いた。
口が裂ける。
声が出た。
「……ア……」
ひよりが震えた。
「……しゃべった?」
リリアスの顔が、初めて険しくなる。
「まずいな」
低く呟いた。
「これは」
「思っていたより」
「早い」
黒い化け物が、ゆっくり立ち上がる。
塔の上にいる
ひかり達を見上げた。
そして。
口が大きく裂けた。
「……ヒト」
冷たい風が吹き抜けた。




