第51話 復讐のための、仕組まれた終幕
氷都を包んでいた圧が、ゆっくりと退いていく。
至高位大魔導師の消滅。
剣聖と黒騎士の激突。
常識を踏み潰す力の奔流。
それらすべてが、嵐のように通り過ぎた後。
残ったのは、焼け焦げた氷と、立ち尽くす兵たちの沈黙だった。
グランは、まるで舞台の幕引きを告げる演出家のように、静かに踵を返す。
「目的は果たしました」
淡々とした声。
「後は任せましたよ、カーディス枢機卿」
氷塔の影から、一人の男が歩み出る。
深紅の法衣。
細身の体躯。
知性と打算を湛えた眼。
カーディス・レヴァンテ。
タリナ王国の枢機卿にして、事実上の政務中枢。
彼は優雅に一礼した。
「お任せを」
動揺していたアストレア軍が、総司令官レオニス・ヴァルハイトへ、わずかに目配せをした。
言葉はない。
だが、意味は明確だった。
レオニスは短く頷き、妻へ声をかける。
「エリシア、行くぞ」
エリシアは、まだアルディオンを見ていた。
直感的に彼に対して、何かを感じ取っていた。
その視線の先。
剣聖アルディオン・レイスは、血を流しながら立っている。
⸻
「待て!」
怒声が、氷原に響く。
「勝負は、まだついていない!」
アルディオンの視線は、黒騎士アークレインへと向けられていた。
去ろうとする背中。
それを呼び止める。
屈辱が、胸を焼く。
先程の剣戟。
力の差は明白だった。
だが、認めることはできない。
アークレインは、ゆっくりと振り返る。
漆黒の兜の奥、感情の読めない視線。
「安心しなさい」
低い声が、静かに落ちる。
「私の目的は、あなたを殺すことではない」
――それは。
かつてアルディオン自身が、ヴァルドへ向けて放った言葉。
寸分違わぬ響き。
瞬間。
剣聖の顔が、強張る。
最大の屈辱。
己の言葉を、上からなぞられる。
格下に向けたはずの台詞を、格上から返される。
拳が震える。
歯が軋む。
黒騎士の視線は、まるで路傍の石を見るようだった。
無関心。
それが何より堪える。
「待て……!」
喉が裂けるほどに叫ぶ。
「タリナ王の首を取ったのが、俺だとしたらどうする?」
戦場が、わずかにざわめく。
ニヤリと歪む口元。
挑発。
誇示。
そして、最後の矜持。
アークレインの足が、止まる。
「……ほう」
わずかな沈黙。
「ならば」
静かな声。
「私よりも、仇を討ちたい者がいるはずだ」
視線が、横へ流れる。
「エリシア」
⸻
名を呼ばれ、タリナ王の娘エリシアが歩み出る。
蒼白な顔。
だが、その瞳には炎が宿っている。
「……貴方が、父君を……?」
声が震える。
悲しみ。
怒り。
喪失。
押し殺してきた感情が、溢れ出す。
だが。
手にした剣は、わずかに震えていた。
重い。
復讐の重み。
王族としての責務。
そして、一人の娘としての痛み。
アルディオンは嗤う。
「ふっ……殺せるものなら、やってみろ」
挑発。
堂々と胸を張る。
⸻
次の瞬間。
空気が、わずかに歪んだ。
誰も詠唱を聞いていない。
誰も魔法陣を見ていない。
だが。
「……っ!?」
アルディオンの身体が、硬直する。
足が地に縫い止められたように動かない。
腕が上がらない。
呼吸さえ、浅くなる。
「こ、これは……拘束術式……?」
目を見開く。
高位魔導による完全拘束。
しかも、無詠唱。
視線が周囲を探る。
氷塔の柱の陰。
一瞬だけ、揺らいだ影。
そして、消えた。
神谷。
その姿は、すでにない。
まるで最初から存在しなかったかのように。
⸻
カーディスが、静かに告げる。
「剣聖アルディオン・レイス」
声音は柔らかい。
「あなたをタリナ王国に対する重大戦争犯罪人として拘束します」
兵が一斉に取り囲む。
だが、武器は必要ない。
拘束術式が、完璧に動きを封じている。
アルディオンは歯を食いしばる。
動かない身体。
だが、瞳だけは死んでいない。
「あなたの処遇は裁判で決まります」
カーディスの声は、あくまで事務的だった。
「王都に連行しなさい」
氷都に、冷たい風が吹く。
剣聖という象徴。
その失墜。
フロストリア軍の士気は、完全に折れ勝負は決した。
⸻
エリシアは、剣を下ろす。
震えは、まだ止まらない。
だが、涙は流さなかった。
(この戦いは正しかったのか……)
迷いを払拭するよう、自らに言い聞かせていた。
(……これで良かったのよ)
遠く。
グランと黒騎士の背が、小さくなる。
均衡を名乗る者。
影として付き従う者。
そして、盤上に残された駒たち。
ひかりは、その背を見つめていた。
氷都の戦いは終わった。
しかし。
均衡という名の物語は、さらに深い闇へと踏み込んでいく。




