第49話 均衡の代償
氷都フロストリアは、崩れ始めていた。
上空を覆うアストレア連邦王国の軍旗。
空中艦が放つ結界砲。
魔導騎士団の整然とした進撃。
対するフロストリア軍は、タリナ王国遠征の直後だった。
負傷兵が多い。
癒しの術は追いつかない。
剣を握る腕は震え、魔導士たちの魔力は底をついている。
一方的だった。
氷の街路で、兵が薙ぎ倒される。
防壁が破られ、塔が崩れる。
まるで狩りだ。
――これを狙ったのか。
至高位大魔導師
アウレリア・ノクティスの瞳が燃え上がる。
「……グラン!!」
氷塔の上に立つ若き分霊体へ、怒号が放たれる。
青年は穏やかにそれを見下ろしていた。
「最も効率的な選択をした、あなた達と同じ……ただそれだけですよ」
その冷静さが、何より残酷だった。
⸻
アウレリアは杖を強く握る。
「儂の存在を忘れておるぞ!」
空気が凍りつく。
詠唱は高速。
圧縮された魔力が空間を軋ませる。
次の瞬間――
極大氷結陣が展開。
蒼白の閃光が地上を薙ぎ払った。
アストレア軍の前列が、まとめて呑み込まれる。
悲鳴すら上がらない。
一瞬で千近い兵が消滅した。
氷と共に、痕跡すら残さず。
アストレア側に動揺が走る。
だが。
氷塔の上。
若きグランは、ただ小さく笑った。
「……避けては通れないようですね」
青い瞳が細まる。
「あなたとの戦いは」
「いいでしょう。相手をして差し上げましょう」
⸻
アウレリアの足元に、巨大な魔法陣が浮かぶ。
幾何学模様が幾重にも重なり、天空へと伸びる。
古代召喚術。
禁呪に近い領域。
「来い――」
雷鳴のような詠唱。
「バハムート!」
空が裂ける。
漆黒の巨龍が姿を現す。
天を覆う翼。
星を飲み込む双眸。
その咆哮が、世界を震わせた。
「お前に何ができる、グラン!」
巨龍が口腔に光を集める。
極大の破壊光。
放たれた。
氷都を越え、戦場全域を白で塗り潰す。
視界が消える。
爆音と衝撃。
数秒、いや、永遠にも感じられる沈黙があった。
⸻
「……ふっ」
煙の向こうで、笑い声がした。
やがて視界が戻る。
若きグランが平然と立っていた。
無傷。
衣一つ乱れていない。
防御陣すら展開されていなかった。
魔力の障壁も何もない。
ただ、立っている。
「……何を、した……?」
アウレリアの声が震える。
「バハムートの一撃だぞ……」
「魔法防御も無しで、防げるはずがない!」
青年は、肩をすくめる。
「防いでいませんよ」
「受け止めただけです」
青い瞳が、冷たく光る。
「この程度、防ぐまでもありません」
アウレリアの背筋が凍る。
「ばっ…バカな…」
「僕にはそよ風にすぎません」
淡々とした口調。
「キミじゃ、僕には勝てない」
「同じ至高位大魔導師という枠にいると思っているなら、それは誤解です」
空気が震える。
「あの称号はね、双璧をなす二人の世界最高という枠で作られたんですよ」
「でも、僕の力は、そんな枠に収まりきらないんですよ」
一歩、踏み出す。
「そして今の僕は、封印もない」
「老いもない」
「全盛期のままです」
⸻
「試してみますか?」
青年が、静かに手を掲げる。
新たな魔法陣。
それは先ほどのアウレリアよりも深く、暗い。
神話級召喚。
「オーディン」
重低音のような詠唱。
空間が歪み、異界の門が開く。
片目の神。
槍を携えた影。
その存在が咆哮する。
「よせ……!」
アウレリアの制止は、届かない。
槍が振るわれた。
光でも闇でもない。
裁定の一撃。
一瞬。
フロストリア軍の中央が、空白になった。
一万人の兵士が消えた。
悲鳴も、血も、残らない。
存在ごと。
⸻
静寂。
焦土の氷原。
アウレリアの膝が、崩れる。
「……強い……」
彼女の声が、かすれる。
圧倒的。
魔力の質。
根本的な格が違う。
理解してしまった。
勝てない。
⸻
「殺せ……」
誰に向けた言葉か分からない。
だが、口からこぼれる。
グランは、優しく笑った。
「そうですね」
静かな足取りでアウレリアに近づく。
「あなたの役目は、ここで終わりです」
青い瞳が、わずかに憐憫を帯びる。
「均衡のための犠牲」
その手が、ゆっくりと持ち上がり、振り下ろすと共に至高位大魔導師アウレリア・ノクティスの姿は消えた。




