第34話 王子の決断
タリナ王城・西塔。
高台の回廊から、王都全域が見渡せた。
王子リュシアは、白い手すりに両手を置いたまま、しばらく動けずにいた。
王都中央区画。
あの方角で、何が起きているのか――正確なことは、分からない。
だが、空を覆った、あの異様な影。
世界そのものを押し潰すかのような圧倒的存在感。
(……この胸騒ぎは、いったい……)
胸の奥が、ひやりと冷えた。
高位魔導士にして剣士――ヴァルド将軍。
至高位大魔導師――グラン卿。
タリナが誇る英雄。
その二人が、前線に立っている。
それなのに、劣勢な状況は変わらない。
その時。
空が、白く染まった。
次の瞬間、遅れて地鳴りが来る。
塔全体が、軋むように揺れた。
「きゃっ……!」
侍女たちの悲鳴。
だが、リュシアは倒れなかった。
視線は、ただ一点。
燃え盛る王都の中心から、離れなかった。
(……勝ってくれ)
祈りにも似た願い。
だが、それは――あまりにも残酷な形で、断ち切られる。
⸻
「殿下!!」
扉が、激しく開かれた。
飛び込んできたのは、王城守備隊長だった。
鎧は裂け、血に塗れ、呼吸も荒い。
「中央区画より、緊急伝令です」
一瞬、隊長は言葉を探すように視線を伏せ――そして。
「グラン卿が……」
息を呑む。
「……空中から、海へ落下したと……」
世界が、止まった。
音が、遠ざかる。
「ヴァルド将軍も……重傷」
言葉が、理解に追いつかない。
「剣聖アルディオンは……」
隊長は、一度、唇を噛んだ。
「……生きていました」
ざわり、と空気が揺れる。
「……そして」
「裏切りました」
侍女の一人が、その場に崩れ落ちた。
「そ……そんな……アルディオン様が」
隊長が目を見開く。
「……殿下だけでもお逃げを!」
「アストレアは、どうしました?」
隊長の顔が、はっと変わる。
「確かに……何故、来ない……」
⸻
王城・通信の間。
魔法陣が起動し、淡い光が空間を満たす。
リュシアは、深く息を吸った。
光の向こうに、人影が浮かび上がる。
豪奢な王冠。
威厳ある眼差し。
アストレア連邦王国――同盟王。
「……リュシア王子か」
穏やかな声。
「援軍の準備は、すでに整っておる」
王子の胸が、わずかに緩む。
だが、次の言葉がそれを打ち砕いた。
「しかし……何者かが妨害しておる」
「転移魔法が、完全に封じられているのだ」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「巨大な魔力だ……心当たりはあるか」
その時、通信室の扉が開いた。
「至高位大魔導師、アウレリア・ノクティス」
守備隊長の報告。
「グラン卿を退けたのは、あの女と判明しました」
通信の向こうで、同盟王が息を呑む。
「……まさか……」
リュシアは、静かに頷いた。
「あの人なら……転移魔法を封じることも、可能でしょう」
別の扉が、音を立てて開いた。
親衛隊員だった。
膝をつき、声を震わせる。
「……王が……王が!!」
涙を流し、それ以上、言葉は続かなかった。
だが、リュシアは、全てを理解した。
重く、深い沈黙。
王子は、目を閉じ天を仰いだ。
「……分かりました」
その一言で、空気が変わる。
「息のある者は、全員、逃げなさい」
誰もが息を呑む。
「民を優先して」
「兵も、侍女も、貴族も関係ない」
王子は、静かに続けた。
「王家は……ここで、終わって構いません」
瞳が、わずかに潤む。だが、涙は落とさない。
⸻
通信が切れた後。
リュシアは、一人、窓辺に立った。
燃え続ける王都を、見下ろす。
(グラン卿)
(ヴァルド将軍)
胸の中で、名を呼ぶ。
(父上は……正しかったのか……教えてくれ)
王都の空に、残酷な夜明けの光が差し込んだ。




