第二部 鵺 (十一)
金創医の家を飛び出した文九郎は、番屋や通りに面した店で侍と御高祖頭巾の女の二人連れを見なかったか尋ねながら、芝金杉から品川への道を辿った。途中で横道へ入ることも考え、路地のある場所や四つ辻でこまめに問い質していったのだが、なかなかそれらしい目撃談が出てこない。
こういう場合には人海戦術が一番である。栗本が指示を出して杢二郎や品川一帯の香具師や人宿といった、情報収集に長けた連中を動かすのだ。
このまま追いかけるより引き返して杢二郎親分の助けを借りようと決心し、文九郎は踵を返した。驚いたことに目の前に権七がいた。文九郎の目をまっすぐに見ながら、にやりと笑った。
「驚かせるぜ。久しぶりだな。今頃こんなところにいるたぁ、今日は仕事休みかい?」
文九郎は焦りと動揺をなんとか隠して権七に対峙した。寅吉はどうしたろうと思った。綾音のことばかり気になって、暫く頭から消えていた。
「あんたの友達が呼んでるんで迎えに来た」
「友達?どいつのことだ?」
「寅吉とかいう、図体だけはでかい奴だ」
文九郎はドキリとしたが、今度もなんとか平静を装った。
「あいつはダチじゃねえよ。あんたとはもう一度一緒に呑みてぇが、今日は急ぎの用があるんだ。またな」
そう返して文九郎は権七の横を通り過ぎようとした。ガシッと二の腕を捕まれた。
「生憎こっちも急ぐんだ。あんたは友達じゃないと思ってるらしいが、寅吉の方は竹馬の友だって思ってる。頼ってくる奴を無下にゃできねぇだろ?」
腕をつかんでいる相手の手から顔へと文九郎は視線を移した。
そこには文九郎が知っている権七とは思えない顔があった。凄みがある。目には残忍な光まであった。
――一体何奴だ?
寅吉に竹馬の友呼ばわりされるのはおもしろくないが、あの茶屋を探れと言ったのは文九郎だ。寅吉がどこまで本気か怪しんでもいた。何か分かれば儲けものくらいの気持ちだった。
文九郎は自身の読みが甘かったと悔いた。
「どこへ行きゃいいんだ?」
文九郎の言いぐさに権七は鼻で笑った。
「黙って一緒に歩こうぜ」
文九郎は脇に刃物があてがわれたのを感じた。たぶん匕首だ。権七は文九郎にくっついてきた。突きつけている匕首を隠すためだ。
「あんた、本当の名前はなんてぇんだ?」
歩きながら文九郎は尋ねた。
「権七だよ」
「嘘つけ」
「本当さ」
権七の匕首に促され、文九郎は北西に向かって歩いた。一体どういう連中なのかと、この前見た男のことも思い出して考えを巡らした。
――まさか、最近武家屋敷や寺を荒らしている賊?
権七がここだと文九郎を立ち止まらせたのは、武家屋敷の長屋門前だった。表に門番はいない。
文九郎は頭の中の地図から、寄合席の松平隼之助の屋敷だと思った。松平姓だが、家康公に血の繋がりはなく、三河時代からの譜代家臣の筋である。
こうした旗本屋敷こそ、町方が踏み込めないのをいいことに、住み込みの奉公人達が長屋門で賭場を開いていることが多い。権七の本当の根城はここかと、文九郎は思った。
権七が軽く三度潜り戸を叩くと、さっと戸が内へ引かれた。中から顔を出した中間は、権七が一つ頷いてみせると、すぐに内へ引っこんだ。文九郎を見ても何も言わず、表情も変えなかった。
権七は旗本の屋敷内に入っても匕首を文九郎の脇腹に突きつけたままだった。文九郎を連れていったのは、長屋門の近くにあった廐だ。
しかし廐に馬の姿はなく、近づいて見えてきたのは、番をするように立っている二人の浪人と、廐の奥に縛られた大柄な男だった。
大柄な男は良く見たら寅吉だった。すぐにわからないほど、面相が変わっていた。相当な暴行を受けたらしく、片方の目は腫れて開かなくなっている。なんとか開けることのできる方の目で文九郎に気づいた寅吉は「ぶ、文九郎……」と、一言甘えた声を出したが、その直後に咳き込んだ。
文九郎は身体の芯から怒りが膨れ上がった。
「寅吉が何したっていうんだ。なんであんな目に逢わさねぇといけねぇんだ」
文九郎は権七を睨んだ。
「あいつとあんたがどれだけ知ってるのか確めないといけなくてな」
権七はけだるそうに言ったが、文九郎につきつけた匕首に油断はない。
「な、なんにも知らねぇのに、そう言ってるのに!信じねぇんだよ!こいつら!」
寅吉が泣き叫んだ。前歯が一本折れている。
「あんた達は何か企んでるってことだな。こんなことしたら、却ってバレるぜ」
「なに、暫くここでおとなしくしていてもらえりゃいいんだ。あんたとは知り合いだし、人足仕事で世話焼いてもらったから、手荒なことはしたくねぇ」
「暫くって、いつまでだよ」
「明後日までだ」
「生憎こっちもそんなにはじっとしてられねぇ。急いで人を探さなきゃなんねぇんだ。あんた達が何を企んでいたって、町家に関わりなくて、とばっちり受けないってんなら黙ってるよ」
「町家には関わらねぇが、あんたらを信用するわけにもいかねぇ」
「……最近、御目付方が騒がしいってのは、あんた達のせいか」
文九郎は呟くように言った。
「ただの盗賊が御旗本の御屋敷を根城にできるとは思えねぇけど」
「それ以上考えない方が良いぞ」
廐の番をしていた二人が文九郎に縄をかけてきた。
文九郎はおとなしくされるがままになった。二人の浪人もそれなりに腕が立つと感じたからだ。
文九郎が町方に報告するのを阻むための捕縛らしいが、だとしたら、ずいぶん買い被られたものである。
横に座らされた文九郎に、寅吉は小声で尋ねてきた。
「誰か助けに来てくれるだろ?」
文九郎は寅吉の方は向かずに返した。
「いいや、誰も来ねぇよ。俺は一人で姉ちゃ……御姫様を探して歩いてたところを権七に捕まったんだ」
寅吉が蛙の断末魔の声のような、変な声を出した。
「死にたくねぇよ~、死にたくねぇよ~、なんとかしてくれよ、文九郎!」
「うるせぇ!黙れ!こちとら考え事してんだ」
実際には考えていたとは言いがたい。文九郎の頭の中を占めていたのは綾音のことだった。辻斬りをやらかしていたとしか思えない三之助と一緒にいるのだ。正式に綾音との婚姻を申し込んできたというから、そうそう傷つけることはないと思うものの、辻斬りするような輩はいつ豹変するかわからない。
綾音の方も弓は上手かったし、小太刀の方が自信あると言っていたから、むざむざ殺られることはないだろうと思うものの、所詮は女の細腕だ。ぶちきれた三之助に敵うはずがない。
文九郎は自分が何もできないことに苛立ってきた。
――権七達が何をやらかそうと、相手がお武家ならば、邪魔したりしねぇのによ。人足仕事の合間に話したことからも、俺がお武家を嫌ってることがわかりそうなもんだ。なんでわかんねぇかなぁ……
そこまで考えて、やっと文九郎は寅吉に話を聞く気になった。
「寅吉、おめぇはなんでこいつらに捕まったんだ?」
「あの茶屋から博打慣れしてそうな男の後をつけたら、見つかって……」
文九郎は聞かなくてもよかった気がした。しかし念のためと、肝心なことを尋ねた。
「で、あの茶屋のことはなんかわかったのかい?」
「ただの流行らねぇ茶屋みてぇだぜ」
ただの茶屋を探っていてこんな目に逢うわけがない。そもそもこいつをあてにしたのが間違っていたのだと、文九郎は思った。
「ほんとだよ。俺がつけた男の姉貴があの茶屋で働いてるんだ。それで奴はあそこに出入りしてたんだよ」
辺りが暗くなってきた。
廐の見張りに浪人が一人残っていたが、権七ともう一人の浪人はどこかへ消えていた。
権七達は盗賊に違いないと文九郎は思った。この辺りの町地に大きな押し込みは起こっていないが、武家屋敷や寺では盗難が起き続けているらしいのだ。
――たぶんこの連中の仕業だ。
具体的な証拠は何もなく、勘でしかないが、文九郎にはそうとしか思えなかった。
外にはまだ明るさが残っていたが、厩の中は横にいる寅吉の目鼻立ちがかろうじて見えるくらい暗くなった。
用足しを言い訳に隙をつこうと、文九郎が見張りの浪人に声をかけようとした時だった。見張りの浪人が立っているのとは反対側、廐の背後に忍び寄る人の気配があった。
――誰だ?




