2. 人形たち
魔法というものは要するに天賦の才だ。魔力があるか否かは生まれた瞬間にすでに決まっている。貴族の血筋に現れることが多いとはいえ、決してその才の持ち主は多いとは言えぬために、王立学園でも魔法使いの素質のある者は特別視されていた。特に……カイのような特別神に愛されたかのように才豊かな者は。
もっとも、彼の場合は神と悪魔が共同製作の過程でなんとか妥協しあって創り上げたのだろう、というのが私の意見なのであるが。
「ふざけないでくださる?」
私は「いつもの場所で」とだけ伝言を運んできた紙の蝶を細かくちぎりながら、長椅子にしどけなく横たわっている青年を見下ろした。青年は退屈そうに読んでいた本を閉じ、あくびを噛み殺しながら私を見上げる。
「やあ、ヘレーネ……。ふざけないでって…なんのことかな」
「毎回毎回呼び出して……用があるならあなたが来たらどうなのです?」
「他にいい場所を見つけたなら、きみがぼくを呼び出せばいいよ」
「あなたの話を聞いてあげるために、なぜわたくしがあなたを呼び出してあげなきゃなりませんの」
確かに魔法実験棟のテラスはめったに人が来ない上に彼によって目隠しの魔法までかけられており、「密談」には最適であるが……このだらけっぷりはどうなのだろうか。
一応いつでもそれなりに淑女らしい立ち居振る舞いを心がけている私が間抜けに思えてくる。
「カイさま、ちょっと、聞いてらっしゃいますか?」
「聞いているよヘレーネ……。テアの声以外聞かずに生きたいところだけれど」
「なら呼び出さないでくださっても一向に構いませんのよ」
口先だけでもこんな男に「さま」付けをしてやっているのは、かなり間違っているのではないかと思う今日このごろである。
この状態のコレを、普段彼を完全無欠の生き人形のごとく崇拝している人間たちの前に突き出してやりたいという気持ちをなんとか押し殺し──彼がそのような人間を演じているのは、他でもない彼女がそうであって欲しいとどこかで望んでいるためだということがわかっているから──私はカイの長い足をどけて長椅子に腰をおろした。
「ひどいな……きみ、自分がなんて呼ばれているか知ってる?」
「氷人形」
「まさに今そんな感じだよ……。成長するに従ってやかましくなって」
「わたくしに『やかましい』とおっしゃるのはカイさまだけですわ」
「ああ……そうかもね」
物憂げなため息を吐いて、絵画から抜け出てきたような長い指が青みがかった黒い前髪を払う。めったに笑わぬ私と“対人形”などと噂されているゆえんたる人形じみた笑顔をとっぱらうと、この男はむしろなまめかしくさえ見える。
──いや、彼は彼女の前でも上辺だけの笑みを捨て去っているが、その際はやたら清らかに見えることを考えれば、「笑顔をとっぱらうと」ではなく、「本性をむき出しにすると」と表現したほうが正しいのかもしれないが。
「で、早く今日のお話をなさってくださいませな」
「……結局聞きたいんだね。まあ…いいよ」
彼は本を体の横に置き、多少まともに椅子に座り直してから話し始めた。
「心配しなくても、今日もテアは元気だよ……」
緑の山々に囲まれた学園、青空に見下されたひと気のないテラス、その長椅子に共に腰掛ける二人の男女。私達が……というより彼が話し、私が耳を傾けるのは、彼女のことだった。
どう暮らしているか、なにか困ってはいないかと、そのようなこと。
あの幼い日──差し出された手を取ったとき、カイは私にみっつのことを望んだ。
テアさんが心配しないくらいに健康になること。
テアさんと自分から不必要に親しくしないこと。
テアさんに彼の持つ“醜い心”を悟らせないこと。
私は承諾したが、彼は口約束だけでは満足せず、当時の年齢では使用が許されないはずの契約魔法まで覚えてきて持ち出し、徹底的に守らせた。
何年も何年も、同じ屋敷内にいながら、私はテアさんとふたりきりで親しく話すことどころか必要最低限以上の会話をすることすら禁じられていて。カイからテアさんの話を聞くことが、わたしの日々の楽しみだった。
『テアはこの檻に花の香りと陽光をもたらしてくれる』
ぼくの唯一の光。それが、何かの代用品としての人形のように屋敷内に留められ、窒息しそうなほどに愛されているカイの口ぐせだった。
許嫁となった彼は、時々ふらりと屋敷内につくられていた私の部屋に贈り物も持ってきた。
『これをあげるよ』
『なんですか、これ』
『ブローチだよ。この空を零したような石が似合うと思って……買ってしまったんだ』
『はあ、似合うって誰に』
『テアに』
『……持っていったんですか?』
『いいや』
私がひと目でカイを気に入ったように、カイが私を“自分の考えを理解できるやつ”と認識するまでにそれほど時間はかからず、私達はすぐに互いにうちとけた友人同士のように接するようになっていった。……周囲に誰もいないときに限ってではあったが。
とにかく私達はテアさんの存在ゆえにお互いに相手の心理を多少なりとも理解することができたし、ふたりでいるときにはよくしゃべった。
『テアにはいつも、いらないと言われてしまうんだよ……』
『ああ、テアさんは「使用人だから」っておっしゃるんですね』
『そう。ぼくはテアにそんなことをさせたいわけではないのに』
『じゃあ素直にお嫁さんになってくださいっておっしゃったら?』
『いやだよ……。彼女は自分を卑下してばかりなんだから、ぼくがそんなことを頼んだら、命令と同じになってしまう…。そんなことで「はい」とは絶対に言わせたくないんだ。ぼくはできる限り、何もかも彼女自身に選んでほしいから』
憂うような眼差し。ではなぜ私と許嫁同士になるなどと更にこんがらがるようなばかなことをしたのかと聞けば「それが一番てっとりばやかったんだよ。心配しないでもそのうち捨てられてあげる」とのたまっただめな男。
このだめな男が彼女のために衝動買いするたびに、私の部屋には私のために選ばれたわけではない、私には似合わないモノがちまちまと増えていった。
間の抜けた贈り物はカイが学園に入ってからも続き、二年後に私が入学してからは、一旦手紙になっていたカイからの「テアさん話」と共に顔を合わせてのものへと戻ったのだ。
そうして、数年──。
「……最近、テアに虫がついてしまったんだ」
だめな男が何かを言った。
「なんとか伯爵のことですの? もう数十回は聞きましてよ。で、今度は何があったのですか」
「きみ、文句を言う割にいつも食いつきがいいよね……。一緒に買い物」
「四回目じゃありませんの。ずうずうしい野郎ですわね。カイさまもこんなところでグチグチおっしゃってるのだったら、具体的な対策をこうじてきてくださいな」
「やっているよ……。あいつの興味をきみに移そうとイロイロと話をふったり、なるべくテアに近付けないように用事を振ったり……裏目に出たり空回りすることも多いけれどね」
空回っているのはむしろ毎回カイの気持ちであろう。
「で、テアさんには何か言ったんですの? 伯爵と必要以上に会話しないようにとかなんとか」
「言うわけがないだろう……? ……きみの兄のような粗暴な男であるならともかく……彼女の交際を制限して嫌われたくないから。だいたいあいつと会話する必要なんてそもそもないし」
「うちの異母兄はあなたがことあるごとにイジメるから、最近はむしろおとなしい男性の部類に入ると思いますけれど。ま、とりあえず伯爵をわたくしに押し付けようとするのはやめてくださいませね」
「ああ……押し付ける……とは少し違うな」
ふとカイの青緑の瞳が長いまつげの下で形容しがたい色を宿した。
「あいつはきみにふさわしい男だと思ったから近付いたんだ。ぼくはきみが自主的にぼくとの許嫁関係を解消し、なおかつ幸せになることを望んでいる」
テアのために、とその瞳が語る。きみが捨てられるがわになんてなったら彼女が気にするだろう? と。白い指先がツッと私の頬をなぞり、ほつれていた毛をなおした。
「一度あいつに会ってご覧、ヘレーネ……。あいつとしてもテアにつきまとってぼくに呪われるより、きみと親密になって感謝されるほうが心身ともに良いことだと思うよ」
彼は物憂げに視線を外すと同時に、もうお行きと目隠しの魔法を切り、いつものように一方的に会話を終わらせた。
やがて季節は巡り──。私は黒白の冬の中で伯爵とようやく初めて言葉をかわしたのだった。




