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世紀末救世主になれないおっさんは目が死んでる  作者: 海光蛸八
最終章 約束
66/73

基盤

 譲治は吐き気を押さえながらも、耳をそばだてた。割れ鐘のように鳴る自分の心音以外、何の音もしない。それが一番不気味だった。


「譲治さん!」

 頭上からマコトの声が聞こえる。


「大丈夫だ! 早く電源をつけろ!」


 マコトが「わかりました!」と言って見えなくなってから、譲治は自分が大声を出してしまったことに気が付き、再び辺りを警戒した。工具ベルトのナイフを確認し、腰から飛び出てしまった銃を探して拾い、部屋を出た。このままここに居ては音に気が付いた夜獣が来るかもしれない。


 廊下に出ると、血と肉がこびり付いた壁がライトの光に照らし出される。足元の床も同じように血と肉で覆われている。もともとこういう内装だったのでは、と勘違いしてしまいそうになるほどべったりと。廊下の非常灯も破壊されており、闇夜を照らす街灯のように、ところどころをほのかに照らす程度のしか残されていなかった。


(くそっ……!)


 譲治は耳をそばだてるが、何の音もしなかった。マコトのセンサーでは確かに下層階に夜獣は集まっていた。しかし、何の音もしないのだ。


(どうなってる……)


 まずはマコトと合流しなくてはならない。生体センサーなしに進むのは危険すぎる。壁の案内標識を見ようとするが、その上に肉や血が固着しており、容易には剥せそうにない。たしかマコトは反対側に階段があると言っていた。落ちてきた地点から反対方向に行くしかない。


 視覚と聴覚に全神経を集中する。真新しい血溜まりをまたぎ、肉片を踏み潰しながら、足音を殺して先に進む。相変わらず、自分の発するもの以外に、耳に入ってくる音はない。譲治は曲がり角で足を止めた。

 

 いる。

 血を凝り固めたように赤黒い肌。

 夜獣だ。


 前に譲治が見たものは人の形を保っていたが、目の前にいる夜獣はまさに獣だった。丸まった背中にはびっしりと黒い毛がはえ、だらんと床についた腕にも人間のものとは思えない、獣じみた爪が生えている。前に廃墟で遭遇した夜獣よりも醜悪な姿だ。薄暗いため、その表情は見えなかったが、譲治にとってはその方がありがたかった。顔まで見えたら平静を保っている自信はなかった。

 譲治が息を潜めどうするか思考をめぐらせていると、夜獣は重々しい足音を立てながら譲治から離れていった。角からわずかに顔を出して様子を伺うと、その姿は廊下の奥に消えていった。


 譲治は音を立てないように静かに息を吐き出す。ふと、野獣がいた場所の壁に標識があるのが目についた。よく見るとこびり付いた血肉のすき間から、『浄』という字が見えた。ここが浄水室のようだ。譲治は入るべきかマコトと合流すべきか迷ったが、二度も下層階に足を踏み入れるリスクを考え、浄水室に入ることにした。

 大丈夫だ。このまま切り抜けられる。それにもうすぐマコトが電気をつけてくれる。そうすれば夜獣共が混乱しているうちに脱出できる。譲治はそう自分に言い聞かせながら、自動ドアの前に立つ。鼓膜を激しく揺らす心音を押さえつけながら、浄水室へと一歩足を踏み出した。ドアの開閉音にもいちいち神経が震える。


 浄水室もまた血にまみれていた。どこもかしこも血と腐臭ばかりで、譲治の嗅覚は使い物にならなくなってしまっている。譲治が立っているところからは、正面と左右ひとつづつ、合計三つの金属製の自動扉が見えた。正面の扉の脇は一部がガラスで、何かの機械類が稼働しているのが見える。目当ての浄水装置がある部屋だろう。

 そうとなれば左右の部屋に行っている暇はない。譲治は真っ先に正面の扉に向かった。ロックは解除されていたようですんなりと入ることができた。譲治は意識しないと呼吸まで止まってしまうような緊張感の中、浄水装置の裏側に回り込んだ。赤い取っ手のケースを開けて、中身を確認すると、そこに基盤はあった。


「よし……」


 譲治が慎重にそれを取り出すと、機械は動きを止めた。ということは使える基盤だという事だ。譲治は壊れてしまわないように毛布やタオルで何重にも巻いた。それをリュックの中に入れると、小さく息を吐いた。


「いいぞ……!」


 譲治は急いで立ち上がり部屋を出た。後はマコトと合流すればいい。

 そう思った時だった――。


 重い、足音が聞こえた。


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