腐乱
二人は互いの死角をカバーしながら先へと進んだ。講演会場の舞台の裏に、鋼鉄製の扉があった。マコトたちのシェルターよりも堅牢な錠が施されていたようだが、譲治たちは難なく通り抜けることができた。
なぜなら、鋼鉄の扉の真ん中から下までがひしゃげ、こじ開けられていたのだ。何か大きな力が加えられたように見えた。夜獣がこじ開けたのだろうか。譲治たちは今まで以上に警戒を強めて血まみれの階段を下りていく。
「また扉ですね」
「二重扉か……」
階段が終わると、ひときわ大きな扉が二人を出迎えた。。扉は開いており、オレンジ色の非常用と思われる淡い光が内部を照らしている。その僅かな光でも内部のところどころが、血で汚れている事がわかった。マコトは扉の脇の装置に歩み寄り、端末を調べ始めた。その間、譲治は辺りを警戒する。
「譲治さん」
少しの間端末を操作していたマコトが、譲治に向かって呼びかけた。譲治は周囲に警戒しながら「どうした」と返事した。
「内部のロックのかかっていた扉は全て開けられました。ですが、地図はおおまかなものしか……」
「そうか、生体反応は?」
「一階にはいないようですが、下層階にはいくつか」
夜獣が、下に何匹もいるということだ。譲治はあの暗く濁った視線を思い出し、背筋が冷えるのを感じた。
「さっきの夜獣は私たちを襲ってきませんでしたよね。だったらもしかすると下にいる生体反応も……」
「いや、下にいる奴らもそうだとは限らない。なんの対策もなしに行くのはやめた方がいい」
二人は腕を組んでうなった。少しして、マコトが何かを思いついたように顔を上げた。
「変電室に行きましょう。確かシェルターの電灯は疑似太陽光だったはずです」
「確かにあいつらは光に弱いらしいが……変電室までたどり着けるか?」
「なんとか気づかれないように行って、電気をつけましょう!」
何とか気づかれないように。そこが一番難しいのだが、それ以外の方法は思いつかない。先ほど遭遇した夜獣に戻ってこられてはそれこそ危険なので、もたもたしてはいられなかった。
「よし、慎重に行くぞ。ここからは少しでも危険を感じたらすぐ入口まで逃げる」
「でも基盤は……」
「死んだら元も子もない。いいな?」
譲治の言葉に、マコトは真剣な面持ちでうなずく。譲治は大型のライトを取り出し扉の前に立った。マコトがハッキングして開錠したおかげで、科学素材でできた自動扉が左右に開く。その途端肉が腐った甘ったるい腐臭と、鉄臭い血の臭いが押し寄せた。
しかし、死体はどこにも見当たらなかった。薄い橙色の非常灯に照らされているのは血の跡だけだ。譲治は警戒を強めながら踏み込み、マコトも鼻を押さえながら続く。
「この臭い……」
「中はひどい事になってそうだな」
視認できるのではと思ってしまうほど濃く漂う死の気配に、二人は息を震わせた。薄く光る案内板に近づきこびりついた血を拭い取って見てみると、変電室は地下三階。浄水室は地下五階だった。まずは変電室へと向かわなければならない。非常灯が点いていることからエレベーターは使えない。そもそも大きな音が鳴るエレベーターを使うのは躊躇する部分もあった。
「大丈夫か?」
「ええ、なんとか」
青い顔で笑みを浮かべるマコトの肩を叩き、譲治は足音を忍ばせて階段へと向かった。階段までの道にも骨の欠片や肉片はあるものの、大きな死体はなかった。しかし、異常なまでの死の臭いは、入り口からずっと二人を包み込んでいる。
「やつらは?」
「大丈夫です。みんな下層階です」
マコトのレーダー反応に注意しながら先へと進んで行く。階段まで到達して階下を照らしてみるが血の飛沫はあっても、死体は見つけられなかった。そういった類のものはないに越したことはないが、やはり不気味だ。
「なんだか、何もありませんね」
「臭いはするが……」
張りつめていた緊張の糸がほんの少し緩み、二人の間に僅かばかりだが余裕ができた。マコトのグローブの生体反応に注意しながらも、譲治は小声で呟いた。
「思い出せないんだよ」
「なにをですか?」
「娘にさ、いつも何かを教えてたみたいなんだ」
「教えてたっていうと、何かの勉強ですか?」
「いやそ、もっとこう……生き方とは。って感じだった」
「なんですかそれ」
マコトが声を押さえて笑うと、つられて譲治も小さく笑った。
「まあ、基盤を見つけて、シェルターでのんびりしながら思い出すとするかな」
「そうですよ」
他愛ない話をして神経を休ませていると、壁に掛けられた階数標識はいつの間にか二階と三階の間を示していた。
「もうすぐ三階だ。ここにやつらの反応は?」
「えっと……ないです」
譲治が覗き込むと、確かに三階と表示された大雑把な地図には、赤い点はなかった。
「三階からは階段の位置が変わってます。反対側ですね」
「よし、ならとっとと――」
その時だった。譲治の足もとの階段が崩れ落ちた。下の階の床も、その下の階の床も続けて崩れ落ちる。浮遊感の後に全身を打ちつける衝撃、それを連続で味わう合間にマコトが自分の名を呼ぶ声が聞こえる。
最下層まで落ちてしまった譲治は、肺から息を吐き出した。全身が強く痛んだが立てないほどではない。不幸中の幸いというべきか、大きなけがはしていなかった。譲治が身じろぎすると科学素材でできた床や天井の破片が床に転がった。譲治は立ち上がり周囲を見回すが、照明が壊れているのかこの階層だけ非常灯の明かりが弱かった。譲治はライトを拾い上げて辺りを照らした。
死体の山がそこにはあった。
何人いるのか、人間なのか動物なのか。それすらもわからない。
おびただしい量の肉塊が、山を作っていた。
血と腐乱した肉の臭いはここから発生していたのだ。




